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産経新聞朝刊 1988年1月16日
五輪破壊へ再び照準も
捜査結果の発表全文
 
 【ソウル十五日=共同】韓国国家安全企画部の大韓航空858便事件捜査結果の発表全文は次の通り。
 
 【事件概要】
 八七年十一月二十九日十四時五分ごろ、ビルマ・アンダマン海域上空で空中爆発して百十五人の尊い生命を犠牲にした大韓航空858便事件は捜査の結果、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)金正日(書記)の指令に従って自ら行った恐るべき蛮行であることが明らかになった。
 今回の事件の犯人は「蜂谷真一」と「蜂谷真由美」という名前で日本人を偽装した北朝鮮対南工作員たちであることが立証された。
 ▽犯人像
 一、バーレーン空港で服毒自殺した「蜂谷真一」は、今回の事件の主犯で北朝鮮労働党中央委員会調査部所属の特殊工作員・金勝一である。
 一、現在調査中の「峰谷真由美」もやはり同調査部所属の特殊女性工作員・金賢姫であることが明らかになった。
 二人は'88ソウル・オリンピック妨害など北朝鮮の対南かく乱特殊工作のため、八四年七月から三カ月間、父娘に偽装し海外を旅行しながら現地適応訓練を終えた。
 その後、八七年十月七日、「'88ソウル・オリンピック参加申請妨害のため、大韓航空旅客機を爆破せよ」という北朝鮮の金正日親筆の工作指令によって一カ月間、時限爆弾操作方法など特殊訓練を受けた。
 二人は八七年十一月十二日、平壌・順安飛行場を出発。モスクワ―ブダペスト―ウィーン―ベオグラードを経て、十一月二十八日二十時三十分(現地時間)バグダッドに到着した後、アブダビ行き大韓航空858便に乗り換えるため、空港待合室で約三時間待った。
 十一月二十九日五時五分(現地時間十一月二十八日二十三時五分)ごろ、飛行機の出発二十分前に、二人は旅行者携帯用品に偽装したラジオ時限爆弾と、酒に見せかけた液体爆発物の爆発時間を九時間後に操作した後、爆破航空機(858便)に乗った。
 十一月二十九日七時四十四分(現地時間十一月二十九日二時四十四分)、中間寄着地であるアブダビ空港で二人は爆発物を棚の上へ入れて降りた。
 大韓航空858便は八七年十一月二十九日十四時五分ごろ(韓国時間)、ビルマ近海のアンダマン海域上空で爆破され、百十五人が尊い生命を奪われた。
 ▽犯人の身元事項
 日本人「蜂谷真一」といわれてきた金勝一は長期間、海外活動をした七十歳の北朝鮮労働党中央委員会調査部所属の特殊工作員。平壌市内の牡丹峰区域に妻と七人の子供が住んでいる。特に日本語、中国語、英語、ロシア語の四カ国語に精通しており、電子技術の部門に専門知識を持っている精鋭工作員である。
 日本人「蜂谷真由美」といわれてきたのは二十五歳の金賢姫。平壌市東大院区域トンシン洞で北朝鮮外交部に勤務していた父・金元錫(五八)の一男二女の長女である。平壌ハシン人民学校とチュンシン中学校を経て金日成総合大学予科一年を修了して平壌外国語大学日本語科二学年に在学中の八○年二月、容ぼうと才能、家庭的背景すべてが優れていて中央委員会調査部所属の工作員として選抜された。
 八二年四月には労働党に入党。八五年八月十五日、解放四十年記念功労メダル、八七年四月十五日には国旗勲章三級を受けた。
 父の金元錫は六二年から六七年までキューバ駐在の北朝鮮大使館三等書記官として勤務したことがあり、その後ソ連駐在の大使館にも勤務した。現在はアンゴラ駐在貿易代表部水産代表として勤務している事実が明らかにされ、確認中である。
 現在、平壌市内の紋繍区域紋繍一洞アパート七階一号には三人の家族が住んでいる。結婚前、開城マンウォン中学校教師であった母リム・ミョンシュク(五四)、平壌東興中学校教師である妹、平壌外国語大学アラブ語科を卒業した弟。家族はすべてが北朝鮮社会では家柄が良く、熱烈な党員である。
 特に金賢姫は美ぼうと良い家庭環境で人民学校時代から子役俳優をしていたといわれ、中学校一年の時の七二年十一月二日、平壌で開催された南北第二次会談に出席した韓国の張基栄代表に対し、花束を手渡した本人であるともいわれる。
 ▽工作員訓練
 金賢姫は平壌外国語大学二年在学時の一九八0年二月、容ぼうと日本語能力、出身階層のために工作員として選抜され、八0年四月から平壌竜城区域にあるスパイ養成機関「クムソン政治軍事大学」で一年間、缶詰状態で政治思想理論と撃術(格闘技の一種)、射撃術、行軍などの軍事訓練を受けた。
 八一年四月から八三年三月までの二年間、「平壌トンブクリ招待所」で日本人女子工作員と一緒に生活をして日本語と日本の風習、生活礼節など、日本人を偽装するための日本人化教育を受けた。
 その後、八三年三月から八四年七月まで約一年四力月間、平壌トンブクリにある別の招待所へ移り、軍事訓練、自動車運転、写真技術、スパイ通信教育など、対南工作員としての必要な専門教育を受けた。
 ▽海外適応実習旅行
 対南かく乱工作に投入するため、八四年七月父娘工作員として編成された犯人たちは、三年四カ月間、爆破訓練、言語教育と資本主義に適応するため、海外旅行実習など徹頭徹尾、工作教育を受けた。
 その後、八四年八月十五日から一力月間、現地適応訓練をするため、ウィーンを経てコペンハーゲン、フランクフルト、ジュネーブ、パリなどの都市を旅行しながら共産国家では北の旅券を使用、西側国家では偽造日本旅券を使用していることが確認された。
 欧州旅行を終えた金賢姫は単身、香港を経由、マカオに入り「愛都ホテル」一二二号室に待機した。
 犯人・金勝一は日本人・蜂谷真一に変身して八四年九月二十一日、単身金浦空港に人り、九月二十六日まで六日間、ソウルのプレジデントホテルに投宿。八四年九月二十八日にマカオに行き、そこに待機していた金賢姫と落ち合い、北京を経て十月二日、平壌に戻った。
 金賢姫は平壌に入った後、八五年一月から六月まで六カ月間、日本語と中国語の集中的教育を受け八五年七月から八七年一月まで一年六カ月間、中国・広州とマカオに派遣されて言葉と生活風習を習得した。
 七年八ヵ月という長期間にわたり、海外工作員としての専門教育と外国人化教育を受けてきた。
 ▽大韓航空858便爆破指令
 今回の大韓航空858便爆破事件は八七年十月七日、金正日が北朝鮮労働党中央委員会調査部長を通じて金勝一、金賢姫に下した親筆の工作指示に従って実行された。
 金正日の親筆指令要旨は―。
 (1)党は南朝鮮側の二つの朝鮮策動とオリンピック単独開催策動をやめさせるために大韓航空機一機を爆破することを決めた。
 (2)時期的に重要な今回の行動は世界すべての国家のオリンピック参加意思に冷水をかけることであり、南朝鮮のかいらい政権に致命的打撃を与えることである。
 (3)必ず成功させ、絶対に秘密が保障されなければならない―などであった。
 大韓航空機爆破指令を受けた二人は、八七年十月七日から十一月十日まで一ヵ月間「平壌トンブクリ招待所」で受けた特殊爆破訓練を通じて(1)爆破方法は旅行者たちが日常的に携帯している小型ラジオと酒瓶に偽装した時限爆弾を機内へ設置、原因不明の爆発を装い、証拠を残さないこと(2)航空経路は北朝鮮労働党調査部・崔課長が責任を持って引率して平壌を出発、モスクワ、ブダペスト、ウィーンなどを経由してユーゴスラビアのベオグラードヘ到着すること(3)爆発物はベオグラードで崔課長から受け取ること(4)バグダッド発ソウル行き大韓航空機に搭乗してあらかじめ準備した時限爆弾を機内へ持ち込み、中間寄着地であるアブダビ空港で降りウィーンヘ脱出、崔課長と合流して平壌へ戻れ―という具体的な指令を受けた。
 この時、金賢姫に別途与えられた任務は(1)主工作員・金勝一が爆発物を作動させることができない不意の状況が発生した時には、彼に代わって作動させること(2)日本人父娘の観光客を偽装、金勝一の身分を隠し、工作金を管理すること(3)最悪の場合は毒薬アンプルが入ったたばこを飲んで自殺し、金正日同志の権威と威信を守る―などである。
 平壌出発二日前の八七年十一月十日、北朝鮮労働党中央委員会調査部長は、金正日の親筆指令であることを強調しながら、二人に「八七年十一月二十八日二十三時三十分、バグダッド発ソウル行き大韓航空858便を爆破しろ」という最終指令を下した。
 北朝鮮は大韓航空機爆破が事件後もだれの仕業か分からないよう完全犯罪を企てるために十月から十一月の二カ月をかけて精密な計画を立てた。
 北朝鮮の犯行目的はオリンピック参加申請締め切り日の約五十日前にソウル行き航空機を爆破することによってソウル・オリンピックの安全問題を国際的な話題とし、参加予想国を委縮させ、終局的にはソウル・オリンピック自体が開けないようにすることだった。
 八七年十一月前後から改憲、大統領選挙など政治日程が立て込み、複雑化している国内政局をさらに混乱させて社会不安を増大させ、民主発展・推進を阻害させることだった。
 特に、中東と東南アジア地域に寄着地が多い大韓航空路線中、バグダッド発ソウル行き大韓航空858便を爆破標的としたことは、この路線を集中的に利用している海外進出勤労者たちを犠牲にすることによって国内勤労階層、庶民の対政府不信をさらに募らせることができる、との計算から生まれたことは明らかだ。
 ▽金正日に対する宣誓後、任務遂行
 爆破指令を受けた二人は八七年十一月十二月六時、招待所応接室で金正日の写真の前で金賢姫が代表として金正日に対する誓約文を朗読し、宣誓した。
 その内容。「今は国が八0年代の社会主義大建設に燃えたぎっていて、南朝鮮革命が高潮に達している。敵の、“二つの朝鮮”策動が悪らつ化している条件の下で戦闘任務を受けて出発する」「その後に、生活する期間はいつでも党の信任と、配慮を心して三大革命規律をよく守り、お互いに協力しながら与えられた任務を力いっぱい果たします(注=三大革命規律は組織、事業、生活規律を指す)」「生命の最後の瞬間まで、親愛なる指導者、同志の気高い権威と威信をどんなことがあっても守り闘う」
 宣誓を終え、金賢姫は金玉花名義の北朝鮮旅券を受けて、外交官旅券を持った北朝鮮労働党調査部・崔課長と崔指導員の引率の下で主犯・金勝一と一緒に平壌・順安飛行場を出発。モスクワ経由、八七年十一月十三日、ブダペストに到着した。
 そこで現地北朝鮮大使館員の案内で秘密アジトに六日間、待機した。八七年十一月十八日、北朝鮮大使館の乗用車でオーストリアのウィーンに行く途中、車内で北朝鮮旅券を返納し「蜂谷真由美」名義の日本偽造旅券を受けた後、ウィーンに到着。パークリンク・ホテル六〇三号室に五日間、投宿した。
 八七年十一月十九日、金勝一がオーストリア航空会社で工作目標の大韓航空858便に搭乗するためにウィーン―ベオグラード―バグダッド―アブダビ―バーレーン行きの航空券を購入した。
 次の日の十一月二十日には、アリタリア航空会社で任務完遂後に帰るためのアブダビ―アンマン―ロ―マ行き航空券を購入した。
 八七年十一月二十三日、十四時十五分(現地時間)ごろ、オーストリア航空機でウィーンを出発、同日十五時三十分ごろ、ユーゴに到着。メトロポール・ホテル八一一号室に投宿しながら、任務終了後、崔課長、指導員と合流するためにローマからウィーンまでの航空券を十一月二十六日、オーストリア航空会社で購入した。
 二人は八七年十一月二十七日十九時ごろ、別途、列車便でベオグラードに到着した崔課長から日本製(ナショナル)パナソニックラジオを偽装した時限爆弾と酒瓶に偽装した液体爆弾を受け取った。
 爆発物を受け取ったに二人は事前計画として八七年十一月二十八日夜、バグダッド発アブダビ、バンコク経由ソウル行き大韓航空858便に搭乗。金賢姫がショッピングバッグに入れて持っていた時限装置爆発物を座席番号7Bと7Cの棚に載せ、携帯品だけ持ってアブダビ空港で降りた。
 バンコクを目指して運航中の大韓航空858便は十一月二十九月十四時一分(韓国時間)、アンダマン海域上空でラングーン管制所に「定刻バンコク到着予定。時間と位置正常」という最終交信の後、犯人たちが時限装置をセットした九時間後である十四時五分ごろ(韓国時間)、空中爆破したことが判明した。
 ▽捜査経緯
 八七年十一月二十九日十四時一分、大韓航空858便がラングーン地上管制塔と最終交信後に失跡、政府と大韓航空は全般状況を分析した結果、飛行機がテロによって空中爆発した可能性が高いと判断してアラブ首長国運邦駐在大使館と大韓航空支社に緊急指示した。アブダビ空港で降りた十五入の外国人搭乗者名簿の名前を確認、「蜂谷真一」と「蜂谷真由美」をその容疑者として追跡した。
 二人は、通常日本人旅行者たちが入国申告書に姓だけを記載することとは違い「シンイチ」「マユミ」と名前だけを記載。ウィーン、ベオグラードなど北朝鮮が海外工作拠点としてしばしば利用している地域を旅行、さらに目的地であるバーレーンにはベオグラードからアンマンを経由して直行するのが便利なのに、二人は三時間、または六時間ずつ空港内で通過旅客として待機しながらバグダッドとアブダビを経由する大韓航空858便を利用した。
 また、二人は大韓航空機失跡事件を知って出発時間を繰り上げてホテルを急に出発したなどの不審点が見受けられた。
 バーレーン駐在韓国公館は、二人が持っていた旅券を現地日本大使館に緊急確認した結果、偽造旅券であることが明らかになった。
 バーレーン当局が空港で出国手続きをしようとした二人を連行、調査した過程で突然、二人は服毒自殺を図り、容疑が一層深まった。
 一方、安企部(国家安全企画部)は事件発生直後、事件を北朝鮮の犯行と推定して捜査官をバーレーンに急派した。犯人たちが毒物を利用して服毒自殺を図った手法は北朝鮮のスパイたちが検拳された時によく用いる行動手法と同じである。
 自殺用毒物の状態は過去検挙されたスパイ辛光洙、丁海権らが所持していたものと同じである。
 捜査事例を根拠に、バーレーン捜査当局に、二人は北朝鮮工作員であることは間違いないと説明、引き渡しを要請した。
 バーレーン当局から十二月十五日、被害当該国である韓国側に犯人・金賢姫の身柄と金勝一の遺体、二人の証拠物一切の引き渡しを受け、本格的に(韓国側は)捜査に着手した。
 ▽十二月十五日、ソウル到着直後
 金賢姫は、服毒の影響と脱力状態で健康が悪化、目を閉じて横たわり、食事と陳述を拒否した。
 徹底的に自殺に対して予防措置が取られたところ、服毒の後遺症治療と健康チェックを受けていた犯人は、到着した翌日の十二月十六日より、中国語と日本語を使って簡単な陳述をし始めた。
 到着三日後の十二月十八日、食事のおかゆを食べた犯人は中国語で「ハンバーガーをくれ」と言った。その時から食事をし始めた。
 比較的に精神的安定を回復しても犯人は、五日間も続けて韓国語の質問には一切反応を見せず、中国語で詩を書いて紹介するなど中国人の変装を続けた。
 犯人は中国語と日本語で「私は中国黒竜江省生まれのペクチェヘ(名前)で、広州に住んでいた」「出生後、母が再婚して私は孤児になった」と供述。
 さらに「八六年七月、広州からマカオに不法移住して、と博場従業員として生活していた時、蜂谷真一に会ってその養女として入籍、日本に住んだ」「朝鮮人と再婚、紡績工場に働いているお母さんに会おうと平壌に行ったことがある」などと供述した。
 こうした虚偽の陳述を繰り返したため、捜査上、難しい点が多かった。
 しかし、犯人は調査を受ける過程で、寝具を整理する方法などが徹底的に規律化した北朝鮮招待所の習慣と分かっただけでなく、彼女が居住したと主張する日本の住所地が虚偽と確認された。
 中国、日本の伝統的生活様式や地理に不案内で、使っている中国語が黙竜江省なまりでない点など陳述内容の真偽が多角的に追及された。
 日時が経過するにつれ、犯人はテレビなどを通じて見たわが国の市民生活の状態や捜査官の尋間方法などが北朝鮮で教育を受けた内容と大きく違う点などから、自分自身が誤った教育を受け、北朝鮮のテロ行為に道貝として利用されたことを自覚するようになり、深い心理的動揺を見せ始めた。
 ソウル到着八日後の十二月二十三日十七時ごろ、犯人は突然、横にいた女性捜査官の胸を押しながら「お姉さん、ごめん」という朝鮮語(韓国語)を初めて使い、今にも泣きだしそうな顔をした。その後から彼女は犯行の一切を朝鮮語で順々に自白するようになった。
 ▽事件発表を終えて
 今回の事件は北朝鮮が'88オリンピック妨害のために七年を超える長期教育をして特殊工作員男女一組を構成、わが国の言葉を書けない完全な外国人を偽装して国際テロを敢行、百十五人の尊い生命を無慈悲にも奪った蛮行、という点にその特徴があるだろう。
 この間、確信を持って捜査過程を黙々と見守りながら声援して下さった国民の皆さんに深く感謝をし、これからは国民すべてが心を合わせ強固な対共産主義安保体制で大きな望みであるソウル・オリンピックを成功裏にやり遂げることができるよう、引き続き声援して下さるよう望む。
 また、今後は事件と関連して、外国から捜査共助要請がある場合、これを喜んで受け取って国際捜査を実施する用意があることを明らかにし、必要ならば共産圏国家を含めたすべての内外の言論人たちに関係資料の公開などすべて取材便宜を提供することを約束する。
 終わりにすべての捜査過程を通じて積極協調をしていただいたバーレーンをはじめとする友好国政府と関係機関に対して深く感謝をささげる。
 もう一度、この事件で犠牲となった英霊たちのめい福を祈り、遺族の皆さんに深甚な哀悼と慰労の意をささげるものである。
 
 
 
 
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