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産経新聞朝刊 1988年1月16日
金正日書記が親書で爆破指令
五輪妨害が狙い
金賢姫 党所属の特殊工作員
 
 【ソウル十五日=大田明彦特派員】大韓航空(KAL)機墜落事件にからみ、バーレーンで服毒自殺を図った「蜂谷真由美」の取り調べを続けていた韓国捜査当局は十五日午前十時から、ソウル市郊外の国家安全企画部の本部内で「真由美」を同席させて記者会見し、事件は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)による爆弾テロであったことなどを明らかにするとともに、これまでの捜査結果を発表した。「真由美」と自殺した「真一」の二人は北朝鮮労働党所属の工作員で、今秋のソウル五輪の妨害工作のため、ナンバー2の金正日(キム・ジョンイル)書記の直接指示を受け、機内に爆弾を仕掛けていた。バーレーンで身柄拘束中、犯行を否認していた「真由美」が事件の全容を自供した点について、「真由美」は内外記者団を前に「韓国の本当の姿を知り、北への不信感から全容を明らかにした」と泣き出しそうな表情で語った。北朝鮮による犯行が裏付けられたことで、日本の外務省、米国などが一斉に「テロ防止の国際的な努力にもかかわらず、再びテロ行為が行われたことは極めて遺憾である」と強く非難。韓国側も今後、国運などに北朝鮮非難の決議を求めるが、世界各国の間で大きな波紋を呼びそうだ。=2、3、国際、社会面に関連記事
 
大学時代選抜され 8年間訓練を受ける
 
 発表によると「真由美」の本名は金賢姫=キム・ヒョンヒ=(二五)。北朝鮮労働党中央委員会調査部所属の特殊工作員。北朝鮮外交官の長女で、父はアンゴラ大使館に、母と兄弟は平壌にいる。
 「真一」はやはり工作員の金勝一=キム・スンイル=(七0)。二人のうちの主犯格。平壌に妻と七人の子供がいる。日本語、中国語、英語、ロシア語ができ、電子技術の専門知識を持っていた。
 金賢姫の自供によると、二人は昭和五十九年七月「父娘工作員」に編成され、一緒に一カ月間海外を旅行、現地適応訓練を行った。
 昨年十月七日、「ソウル五輪参加申請国が少なくなるよう、大韓機を爆破せよ」という金日成主席の息子で、ナンバー2の金正日書記の親書による工作指令を中央委調査部長を通じて受けた。
 二人は昨年十一月十二日、平壌にある「招待所」(スパイ訓練所)で金正日書記の写真を前に宣誓。調査部の崔課長を含む四人でモスクワ経由ブダペスト(ハンガリー)へ。そこから陸路ウィーン(オーストリア)に向かう車中で日本人名義の旅券を受け取った。さらに二十七日にベオグラード(ユーゴ)のホテルで崔課長からプラスチック爆弾「コンポジションC4」を入れた日本製ラジオと薬酒びんに入った液体爆弾を受け取った。
 このあと二人は二十八日夕、バグダッド(イラク)に到着。大韓航空858便に搭乗する二十分前、勝一が爆弾を九時間後に爆破するようセットした。二人は機内で爆弾入りのバッグを棚の手荷物入れに置き、アブダビ(アラブ首長国連邦)で大韓機を降りた。
 はじめの計画ではいったんアブダビに滞在し、その後ローマ経由で戻ることになっていたが、ビザがなくて人国できなかったため予定を変更。用意していたもう一枚の航空券でバーレーンに入国したが、この計画が狂ったことが偽造旅券所持の疑いで身柄を拘束されることにつながった。
 金賢姫は十五日、内外記者団を前に終始うつむき、「ソウル市内を回り、人民の生活を見て、北(北朝鮮)で教えられたことと現実がかなり離れており、何が本当であるかが分かりました。私はだまされた。申し訳ない」と自供に至った動機を話すとともに謝罪した。
 金賢姫は平壌の金日成総合大学予科一年を経て平壌外語大日本語科に編入。五十五年二月、容ぼう、日本語能力、家柄などを買われて朝鮮労働党から工作員として選抜された。同年四月以降、近世政治軍事大学や平壌市北里の招待所で射撃や思想などの訓練を受けた。
 金賢姫は、一男二女の三人兄弟の長女、父親の金元錫=キム・ウォンソク=氏(五八)はキューバの北朝鮮大使館の三等書記官のあとソ連の大使館でも勤務し、現在アンゴラの北朝鮮貿易代表部の水産部門の代表。母は元中学教師。
 金賢姫は、人民学校(小学校)のころ子役で映画に出演。中学一年だった昭和四十七年十一月、故・張基栄副首相が「南北会談」のため北朝鮮を訪れたとき、平壌に到着した同副首相に歓迎の花束を渡したこともあるという。
 この時期に韓国が捜査結果を公表したのは、ソウル五輪の参加申し込み締め切り(十七日)を前に、北朝鮮を除く主な東朝諸国が参加を表明したことなどが背景にっている、とみられる。
 国家安全企画部当局者は「真由美」の今後について「法によって処理する」と述べた。
 
金賢姫の日本語指導員
ら致された日本女性 風習や生活様式など教育
 
 「蜂谷真由美」こと金賢姫(二五)は五十五年から約八年間にわたって北朝鮮の首都、平壌の招待所(訓練所)で、工作員としての訓練を受けていたが、その際、日本語研修の指導にあたっていたのが、北朝鮮工作員によって日本からら致されて工作員に仕立てられた日本人女性(三一)であることが金賢姫の供述で明らかになった。
 それによると、金賢姫は金日成合大予科一年を経て平壌外語大日本語科に編入されたあと、朝鮮労働党から工作員として選抜され、五十五年四月から七年八ヵ月にわたって平壌の招待所でスパイの訓練を受けた。五十六年四月から五十八年三月までの二年間は同市内のトンボクリ招待所で日本人女性工作員と寝食を共にし、日本語や日本の風習、生活様式など、日本人になりすますための“日本人化教育”を受けていた。
 この日本人女性工作作員は、日本の海岸で北朝鮮工作員にら致されて北朝鮮に渡ったあと、金正日書記から「お前に各前はない」とされ、「恩恵」(ウンヘ)という名前をつけられて“日本人化教育”の指導者に仕立てられていた。金賢姫の供述では、ほかにも日本からら致された数人の日本人男女がいたという。
 日本国内では五十三年夏に福井、新潟、鹿児島の海岸で若いアベック三組が相次いで蒸発するなどの事件が起きており、関係各県警で捜査を行った結果、現場に残された遺留品などから外国情報機関が関与した疑いが持たれたが、その後の行方はわかっていなかった。
 
 
 
 
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