読売新聞朝刊 1999年3月25日
検証・不審船追跡 自衛隊出動めぐり緊迫 積極、消極論が交錯
国籍不明の不審船二隻が日本領海内に入った事件で、政府は自衛隊による初の海上警備行動発令に踏み切ったが、最終決断に至るまでには政府部内で積極論と慎重論とのせめぎ合いがあった。海上保安庁の巡視船も自衛隊の艦船も結局、不審船の捕そくには至らず、警備体制の問題点も浮き彫りになった。政府の決断と海上保安庁、海上自衛隊による不審船追跡の過程を検証した。(本文記事1面)
◆防衛庁長官は「海保の仕事だ」
二十三日午後五時半過ぎ。首相官邸に小渕首相、野中官房長官、高村外相、川崎運輸相が顔をそろえた。
不審船の領海侵犯への対応を協議した閣僚レベルの初めての会合だった。そして、事態の展開によっては、海上自衛隊に対する海上警備行動の発令に踏み切るということが確認された場となった。
しかし、実際の議論は海上警備行動の是非をめぐって行きつ戻りつした。踏み切るべきだと主張したのは、意外にも古川貞二郎官房副長官や米村敏朗首相秘書官ら首相官邸の事務方で、野中長官、川崎運輸相らは、海保による停船命令で対応するだけでよいと慎重姿勢を示していた。
遅れて出席した野呂田防衛庁長官も「内局の意向も聞いたが、これは海保の仕事だ」と発言した。
川崎運輸相は「何とか頑張ってみる。しかし、最悪の事態も想定し、海上警備行動発令に備えて全閣僚の了解はとりつけておくべきだ」と応じた。
これにより、対処方針は、次のようになった。
〈当面、海保が停船命令を行う。海保で対応が困難な場合は、海上警備行動発令の是非について再検討〉
この間、黙って閣僚らの議論を聞いていた小渕首相は会合後、記者団に対し「必要がある時はいかなる対応もする」と言明し、首相公邸にこもった。
◆海保本部長は「火器やむなし」
海上保安庁は二十三日午後一時過ぎから、二隻の不審船に対し、航空機から順次停船を命じた。しかし、二隻はいずれも命令を無視して約八ノット(時速約十五キロ)で北上し続けたため、二隻が日本漁船であることを前提に、漁業法違反(立ち入り検査忌避)容疑で追跡を開始した。
午後七時過ぎころ、二隻は二十ノット(時速約三十七キロ)以上に速度を上げ始め、巡視船艇との間が徐々に広がり始めた。現場から状況連絡を受けていた第九管区海上保安本部長は午後七時三十一分、「(警察官職務執行法に基づく)火器使用もやむなし」と決断、巡視船艇四隻の船長に、威嚇射撃のゴーサインを出した。「第2大和丸」には午後八時から、「第1大西丸」に対しては午後八時三十一分から、それぞれ威嚇射撃(計千二百九十五発)した。
しかし、二隻は依然、停船命令に応じる気配を見せなかった。不審船は、速度は約三十五ノット(時速六十四キロ)前後を出せたのに対し、巡視船は二十五ノット程度。午後九時を過ぎたころからは、巡視艇が次々と燃料不足に陥り、現場から離脱。巡視船のレーダーからも船影が消え、午後九時半ごろまでに、二隻の不審船を追跡しているのは、事実上、海自の護衛艦だけとなった。
◆防衛庁幹部は「30分以内に捕そく」
海保の停船命令による捕そくが絶望的になった二十三日午後十一時過ぎ、閣僚の一人は古川副長官から電話を受けた。
「(海上警備行動発令による)自衛隊は出さない方がいいという方向です」
このころ、野中長官は周囲に「どうせ不審船は捕まらないのだろう。このまま海保の停船命令だけの対応で十分ではないか」と語っている。川崎運輸相も同様の主張で、野中長官と古川副長官に至っては、帰宅のため、首相官邸を後にし、「初の海上警備行動」は幻に終わるかに見えた。
この流れを大きく変えたのは防衛庁だった。
同日午後九時半過ぎから首相官邸で開かれた関係省庁局長クラスが集まった実務者会合でも、防衛庁が主導し、会議の雰囲気は海上警備行動を発令すべきだとの意見が大勢を占めた。最も積極的だったのは防衛庁で、夕方の時点で慎重だった同庁が百八十度転換した理由について、政府関係者は「おそらく制服組側から強い要望があったのではないか」と推測する。
同日午後十一時半過ぎ、「第1大西丸」が日露両国の中間点の手前でいったん停止した。
防衛庁はにわかに色めき立つ。
「中間地点前で停止したので、三十分以内に捕そくできます」
防衛庁幹部は、慎重論を唱えていた川崎運輸相に海上警備行動発令を強く求めた。野呂田長官は首相公邸で待機していた小渕首相に連絡するとともに、帰宅していた古川副長官に電話し、野中長官とともに首相官邸に戻るよう要請した。
首相は官邸対策室に戻った古川副長官から三度にわたって説明を求め、最終的に、自衛隊発足以来初めてとなる海上警備行動発令の手続きを取るよう指示した。二十四日午前零時四十五分、持ち回り閣議が終わり、発令が決定した。
ただ、発令後の海自の行動は当初の予定とは異なるものだった。
閣僚の一人は証言する。
「発令を認めてほしいと働きかけを受けた時点では、第1大西丸捕そくのために日露中間地点内で行動すると聞いていた。しかし、実際に最初の警告射撃を行ったのは、護衛艦『みょうこう』で、すでに中間地点を越えていた第2大和丸に対してだった」
いつの時点で、海上自衛隊の活動範囲が日露中間地点から防空識別圏まで拡大したのか。「防衛庁は絶対に捕まえるという意気込みを見せていたので防空識別圏まで拡大したのではないか」(運輸省幹部)との見方もあるが、海上警備行動に至る意思決定プロセスには、閣僚と官僚、首相官邸と防衛庁の意見が何度も交錯し、不透明な部分もあるのは間違いない。
◆対北朝鮮で政府、対話路線は維持
政府は、国籍不明の不審船が朝鮮半島方面に逃走した事件で、「断定はできないが、状況証拠からいけば、不審船は北朝鮮のものだろう」(外務省幹部)との判断を強めている。これが事実なら、小渕首相が二十日にソウルでの日韓首脳会談で明示した対話重視政策に、北朝鮮から水を差された形になるが、政府は米韓両国との連携を維持する観点などからも、当面は北朝鮮との対話路線は維持したい考えだ。
政府は二十四日、外交ルートを通じ、北朝鮮に不審船の捕獲と日本への引き渡しを求めた。しかし、政府内では「これまでの北朝鮮の行動形式から見ても、前向きな対応は期待できないだろう」との見方が強い。
高村外相も同日午後、衆院沖縄及び北方問題に関する特別委員会で、今後の北朝鮮への対応について、「こういう事態を相手方に申し入れるということも簡単にできない状況であるとすれば、好ましいことではないから、何らかのルートを作っていくための努力をさらに続けたい」と述べた。
政府としては、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)への十億ドルの拠出問題についても、「KEDOとの拠出協定を早急にまとめ、今国会で承認を得られるよう引き続き努力したい」(政府筋)としている。
写真=自民党国防3部会合同会議で不審船への対応を説明する野呂田防衛庁長官(中央)(自民党本部で、24日午後1時15分)=横山聡撮影
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