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読売新聞朝刊 1991年5月16日
「恩恵先生に間違いない!」 写真示し金賢姫元工作員 母親は公開時から確信
 
 ◆「ちとせ」、家族、境遇…ピタリ
 大韓航空機爆破事件から三年半、事件の大きななぞとなっていた金賢姫・元北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)工作員(29)の日本人教育係、李恩恵(リ・ウンヘ)=日本名「ちとせ」=の身元が十五日、ついに割り出された。埼玉県出身の元キャバレーホステス(35)。母親の出身地、飲食店勤務時の源氏名など数々の特徴が、金・元工作員の証言とピタリと一致した。十三年前の昭和五十三年六月ごろ、なぜ、彼女は東京から消えうせ、北朝鮮で工作員の教育係になったのか。同じころには、福井県などで連続三件のアベック行方不明事件が起きており、なぞはさらに膨らんでいる。
 昭和六十三年二月、金賢姫・元工作員の証言に基づき、「李恩恵」の似顔絵や家族構成、身体特徴、趣味などが公開された際、埼玉県在住の母親や親類は、「うちの子供に間違いない」と確信した。しかし、現在、中学生と高校生になっている二人の子供のことを考え、世間の騒ぎになることを心配し、親族会議を開いて「絶対に外に漏らさない」と決めていた、という。
 実際、捜査開始当初、警察も母親に事情を聞いていたが、本当のことは話してもらえなかった。
 全国から三百五十九件の情報も寄せられたが、「ちとせ」に結びつく手掛かりは得られなかった。
 その後、昨年六月、「ちとせ」という日本名や母親が佐渡出身であることが判明。今年三月には、元ホステスに結びつく有力な聞き込み情報が得られた。このため、再度、家族に協力を求めたところ、「本人の名前は匿名」を条件に協力が得られ、「ちとせ」であることが確認された。
 こうした情報をもとに、今月十四日、同庁外事一課の漆間巌課長ら三人がソウルに飛んだ。韓国国家安全企画部の係官とともに十五日朝、金・元工作員に面会した。「ちとせ」と似ている十数人の女性の写真を一枚ずつ見せていくと、七番目に出した写真を見た金・元工作員は顔色を変え、写真をぐっと目の前に引き寄せて、じっと見つめた。
 そして、「恩恵先生を若くして、多少、太くすれば、間違いありません」と答えた。それが元ホステスの十七歳当時の写真だった。
 全部写真を見たあと、金・元工作員は「私の言ったことがウソでないことをわかってもらった。ありがとう」とうれしそうに語ったという。さらに、金・元工作員は「恩恵さんは無理やり連れてこられた時は、夏物の服を着ていた」と新しい事実も口にした。
 すでに父親は死亡しているが、兄が東南アジアへの出張経験があること、姉の一人が学生時代、テニス部経験者であること、子供が二人いること、高校中退直後に結婚した夫とは離婚状態にあったことなど、捜査の過程で元ホステスについての親族の証言と金・元工作員の証言とのあまりの一致は、捜査員をも驚かせた。
 一方、元ホステスが勤めていた東京・池袋のキャバレーによると、二十二歳当時の昭和五十三年三月ごろ、飛び込み応募で勤め始め、六月ごろまでの約二か月間働いていた。
 本人の話では、埼玉県内に住む夫の元を飛び出し、当時二、三歳ぐらいだった男一人、女一人の子供を新宿区高田馬場のベビーホテルに預けて店に出ていた。
 しかし、「二―三月の約束」でベビーホテルに子供を預けた後、店や家族にも連絡をしないで突然、姿を消した。店に二、三十万円の借金があり、やはり埼玉県内に住む実兄が、半年がかりで分割返済したという。
 当時を知る同店の店長は「店での名は千登瀬。一日百五、六十人の女性が出勤していたので、蒸発事件がなければ覚えていなかったと思う。びっくりした」と話していた。
 
              ◇
 
            「李恩恵」と元ホステスの共通点
 
 李恩恵(金賢姫元工作員の供述による)        元ホステス
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本籍   不明だが母の出身地が佐渡     埼玉県で母親の出身地が佐渡
出生地  東京周辺             埼玉県
生年月日 1957.7.5(2〜3歳    1955年7月5日ころ(出生
     年上の可能性も)         届が遅れ日付特定ができず)
氏名   「某ちとせ」または「ちとせ某」  飲食店勤務当時、「ちとせ」
                      名で働く
成育地  東京周辺(上野公園周辺か)    埼玉県。(上野公園周辺に親
                      類があり、よく遊びに行った)
学歴   高校卒業程度           高校中退
身体特徴 163〜165cm程度、56   165cm、54〜56kg、浅
     kg程度四角顔で幅が広く浅黒い  黒い四角顔・ほお骨が出ている
性格   整理整とんが下手         身辺整理はあまりしない
しぐさ  見送り時大きく手を振る      派手な手の振り方をする
言語   「〜ね」「〜さ」「        「〜ね」「〜さ」「ばっか
     ばかみたい」を多用        みたい」を使っていた
し好   コーヒー(1日5〜6杯、     コーヒーは好きでかなり飲ん
     ブラック)            でいた。たばこは失跡当時1
     たばこ(1日10本以上)     日20本以上
職業   水商売経験あり          飲食店勤務の経験がある
     そろばんができる         珠算3級の資格をもっている
家族関係 父 病気がち、無職        父は生前病気がちで、死亡直
                      前の2〜3年は働けない状態
     母 佐渡出身、調理師       佐渡出身、調理師免許を持つ
       本人は末っ子         本人は末っ子
     子 北朝鮮入国(1978〜    失跡(1978年)当時、男
       79)当時、男児(3歳)、  女各1人の幼児を残している
       女児(1歳)がいた
その他  1978〜79年ころ拉(ら)致  1978年6月ころ失跡している
 
 
 
 
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