読売新聞朝刊 1991年5月16日
金賢姫教育係の「恩恵」
埼玉出身 35歳元ホステス 子供残し、53年失跡
一九八七年十一月の大韓航空機爆破事件で死刑判決を受けた後、特別赦免された金賢姫(キム・ヒョンヒ)元北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)工作員(二九)の日本人教育係とされた「李恩恵」(リ・ウンヘ)=日本名「ちとせ」=について、警察庁と埼玉県警は十五日、昭和五十三年六月ごろに失跡した東京都豊島区内の元キャバレーホステス(三五)である可能性が極めて強いと発表した。同庁では、身元確認の裏付けとなる物証がないため、断定はさけたものの、「間違いない」としている。
同庁の幹部も、同日午前、ソウル市内で金元工作員に面会、写真照合してこの事実を確認した。同庁は今後消息を絶っている元ホステスに関して、拉致(らち)事件の疑いで捜査を進める。
警察庁は昭和六十三年二月以降、捜査を進めてきた。その結果、女性は、埼玉県出身で、昭和三十年七月五日ごろの生まれ。同県内の公立高校を二年で中退、飲食店関係で働き、五十三年六月ごろまでの数か月間は、豊島区内のキャバレーで「ちとせ」という名前でホステスをしていたという。
女性は高校中退の直後に結婚、失跡当時は離婚状態で、家族とも離れ、男女一人ずつの子供と生活していた。しかし、子供を託児所に預けたまま失跡、家族はその直後の五十三年七月四日、捜索願を出していた。
この元ホステスの年齢、母親の出身地が新潟県の佐渡で、調理師免許があること、兄弟など親族関係などが、金元工作員が証言した「ちとせ」の特徴と酷似していることから、同庁などでは、この女性に間違いないと判断。今月十四日、警備局の漆間巌・外事一課長を韓国に派遣し、十五日午前、ソウル市内で複数人の女性の写真を金元工作員に見せたところ、彼女もこの元ホステスが「ちとせ」だとして写真を指したという。
おことわり 「李恩恵」の日本名について、読売新聞社は、本人の失跡当時の状況が不明であること、残された二人の子供を含む親族のプライバシー、不測の事態などを考慮し、匿名としました。
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