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毎日新聞朝刊 2002年9月18日
日朝首脳会談 北朝鮮、実利を優先−−拉致・謝罪、宣言に盛らず
 
 【平壌・澤田克己】朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日(キムジョンイル)総書記は17日午後、百花園迎賓館の会談場で、「遺憾だったとおわびしたい。二度と(拉致を)許すことはない」と語った。金総書記は拉致事件の解決を突破口に日朝関係を急進展させることで、ますます強まる米国の圧力から逃れ、自力回復が不可能な経済・食糧問題の解決を試みるしかなくなっているのだろう。
 ◇体面捨て生き残り−−対米、経済支援にらみ
 同日午前11時、会談場の百花園迎賓館に姿を見せた金総書記の表情は、00年6月に同じ場所で韓国の金大中(キムデジュン)大統領と対面した時よりはるかに緊張して見えた。カーキ色のジャンパー姿の総書記は入り口で小泉首相と握手を交わし、約20メートル離れた会談場までエスコートしたが、2人の間に会話はなかった。小泉首相は、田中均アジア大洋州局長と高野紀元外務審議官を紹介したが、総書記は手を伸ばして握手をしただけだった。
 拉致事件を認めることは、金総書記がここ数年強調し続けている「実利追求」路線の集大成といえる。金総書記が自ら指摘したように、目的は、特殊機関の日本語教育と、工作員が韓国に潜入する際に詐称する身分を獲得するためだった。
 しかし、北朝鮮は87年の大韓航空機爆破事件で日本人になりすました金賢姫(キムヒョンヒ)元工作員が逮捕されて以来、こうした破壊活動を行っておらず、「拉致」は北朝鮮にとって今や重荷となっている。
 「体面」を捨て、拉致事件を認めた見返りは、北朝鮮の体制生き残りに必須のものばかりだ。
 韓国に亡命した北朝鮮の元外交官は、金総書記が日朝首脳会談に応じた最大の理由にイラク攻撃を急ぐ米国の強硬政策への恐怖感を挙げる。金総書記は「イラクの次の標的にされるかもしれない」と考えており、日朝関係の進展をてこに、米国から攻撃されない環境をつくろうとしているという見方だ。
 関係筋によると、北朝鮮は、米国のブッシュ大統領が1月、北朝鮮とイラク、イランを「悪の枢軸」と名指しした直後、日本の朝鮮半島専門家を通じて「北朝鮮の取る措置は小さなものでも、きちんと評価してほしい」と日本外務省に伝えた。北朝鮮はその後、スパイ罪で2年余り抑留されていた元日本経済新聞記者を解放し、「行方不明者の調査継続」を表明した。
 経済面での見返りも大きい。社会主義圏の崩壊で深刻な経済難に陥った北朝鮮は今年7月、物価と給与の大幅引き上げを柱とする大改革を実施した。「ヤミ経済が横行している現状を改善し、なんとか表の経済を活性化させようという措置」(外交筋)だ。しかし成功のカギを握る、物資の豊富な供給の見通しは立たないままだ。日朝国交正常化で得られる「補償」は、金正日体制にとって、何に代えても必要だったのだ。
 ただ、日朝の国交正常化と「補償」問題の解決は、米朝関係の進展なしには不可能だ。そのためには拉致事件の解決だけでは足りない。米国がもっとも重視し、日本にとっても安全保障上の深刻な問題である北朝鮮の核・ミサイル問題が解決しないかぎり、「日本からの経済協力が行われることはない」(同)からだ。
 北朝鮮は最近、米国との対話にも積極的なサインを送るようになっている。この日署名された平壌宣言で北朝鮮は、核問題に関する「すべての国際的合意」の順守とミサイル発射の凍結を03年以降も続けることを表明した。どちらも米国が強く要求してきたことだが、宣言の文言はいまだ具体性に欠ける。金総書記が今後、米国との対話でどのような態度を見せるかが、北朝鮮を中心とする朝鮮半島情勢の焦点である状況に変わりはない。
 ◇拉致・謝罪、宣言に盛らず−−北朝鮮、内外で使い分け
 【平壌・澤田克己】小泉首相は17日の日朝首脳会談で金総書記が拉致事件について「遺憾であり、率直におわびしたい」と語ったと明らかにしたが、日朝平壌宣言には「拉致」や「謝罪」との表現は盛り込まれず、日本側が過去の植民地支配についてのおわびに言及したのとは対照的な扱いとなった。北朝鮮メディアも、拉致被害者については従来通り「行方不明者」との表現に固執し、首脳会談で謝罪したことも触れなかった。
 北朝鮮の朝鮮中央テレビは17日夜、小泉首相と金総書記が会談し「平壌宣言」が発表されたと報じ、宣言全文を読み上げた。だが、同宣言は拉致事件について「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題」と指摘しただけだった。北朝鮮の国内向け朝鮮中央放送は17日夕、拉致事件について「今まで同様、他国の主権と利益の侵害に反対している」とのコメントを伝えただけだ。
 海外向けの朝鮮中央通信でも外務省報道官談話を引用し「日本人行方不明者の消息が確認されたと通知した」と報じただけで、「拉致」との言葉を使っていない。
 これらの報道ぶりは、拉致事件は「謀略」との立場を取り、海外向けの平壌放送などで日本を非難してきた従来の姿勢と変わらない。
 拉致問題はこれまでの日朝国交正常化交渉で常にブレーキ材料だった。再開された日朝国交正常化交渉が中断された後の00年12月1日、労働新聞は「日本は拉致問題をわめいた末、行方不明者調査事業自体が永遠になくなりうるということを認識すべきだ」と調査中断を盾に警告。その2週間後には中断を発表し、国交正常化交渉の挫折を決定づけた経緯がある。
 内外での対応を使い分けるこの北朝鮮の便法は、10月から始まる正常化交渉に影を落とす可能性がある。
□写真説明 家族の死亡が確認され、うなだれて外務省飯倉公館を出る(左から)有本恵子さんの父・明弘さん、横田めぐみさんの母・早紀江さんと父・滋さん=東京都港区で17日午後5時35分、加古信志写す
 
 
 
 
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