毎日新聞朝刊 1988年1月16日
「爆破指令」の金正日書記
過去の事件でも名前
韓国側の発表では朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日・朝鮮労働党政治局常務委員兼書記(四五)が、金賢姫らに対し大韓航空機爆破を指令したとされるが、ラングーン事件(一九八三年十月)などそれまでにも北朝鮮がらみの事件で、同書記が直接指揮していたのではないか、との見方が主として韓国側から流されてきた。
全斗煥(チョン・ドゥホァン)韓国大統領一行を狙ったラングーン事件では、韓国の四閣僚を含む十七人が死亡したが、事件直後、逮捕された北朝鮮工作員は裁判を通じて軍首脳から直接命令を受けたと証言した。韓国では金正日書記が事件を直接指令したとの見方が有力だった。
ラングーン事件と今回の大韓航空機事件の間には(1)金正日書記の“指令”(2)韓国の国際的地位の向上を阻害しようとした(3)北朝鮮の外交特権の利用――などの共通点が指摘されよう。
また最近では、北朝鮮から一昨年米国に亡命した韓国の映画監督、申相玉さん(六一)と妻の女優・崔銀姫さん(五七)のケースがある。二人の証言によると、二人は七八年、金正日書記の指示を受けた工作員によって香港からら致された。金書記が崔さんを北朝鮮の南浦外港で出迎えた時の写真も二人によって公開されており、二人に面談した時、金書記は、ら致が自らの指示によるものであることを認めた上、北朝鮮の映画製作技術のレベルが極めて低く、韓国でトップクラスの二人に指導してもらう必要があった、と述べたという。
金正日書記自身もまたナゾの多い人物である。金日成(キム・イルソン)主席の長男であり、同主席の後継者としての地位をほぼ固めているが、詳しい経歴など不明の部分が多い。
母親は金主席の前妻、金貞淑女史(故人)。一九六三年、平壌の金日成総合大学を卒業した直後から朝鮮労働党の党内活動を始めたといわれる。七三年九月、朝鮮労働党宣伝・扇動部長兼党書記に昇格して以来、金主席の実弟、金英柱氏に代わって「後継者」に浮上、七五年ごろから金主席と並んで「党中央」「親愛なる指導者同志」などと呼ばれ始めた。
八0年十月の党第六回大会後の中央委で、政治局常務委員、党中央委書記局員、党中央軍事委員に選出された。この三部門のすべてに入っているのは金日成主席と金正日書記だけで、この時点で北朝鮮ナンバー2の地位は固まったとされる。
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