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1.延長保育
 昭和55年代より保育時間の延長についての世論が高まり始めました。厚生省では、昭和56年10月に延長保育制度を策定。昭和57年4月1日より当園を含む2園が、栃木県宇都宮市の実施園となりました。当時の保育界では、保育時間の延長は子どもにとって不幸な保育であり、断固として反対をしましょう、という風潮が強かったのですが、日本保育協会としては、「働く人のための保育」として、厚生省の打ち出した制度を全面的に受け入れようと、各支部に率先して取り組んでほしいと要請していました。
 
延長保育スタート
 その当時、厚生省が制度化した要綱の中で定員90名、利用者20名以上(週3日以上の利用者)とありましたが、宇都宮市では利用者20名を6名以上と改め、国の制度とは別な制度で出発しました。ちょうど2園とも6名の利用者しかなく、延長保育発足となりました。3歳未満児も5歳児も同要件で月1人1,800円を利用者負担とし、市が職員2人分(人件費にして2時間分)を補助。市より当初20万円の施設設備費を補助していただき、石油ストーブを電気の暖房に切り替え、最後の後片付けは防火がしやすいようにと配慮したことを今でも記憶しています。
 
カリキュラムを立てるに当たって
 デイリープログラムで1日の流れを延長し、午後5時以降のカリキュラムを立てました。降園準備を4時30分とし、各部屋より徐々に延長保育に切り替わるわけですが、部屋数もありませんので、お迎えの人が見える3歳児室とホールを延長保育室に切り替えて実施しました。延長保育に切り替わる5時から6時までは、日中の保育の流れと一人ひとりの伝言を伝えたり、延長保育児とお帰りする子とを分けて、安定させるまでは、戦争のように忙しい時間帯です。
 職員も早番が帰り、中番と遅番との引き継ぎです。県のある監査官が保育の時間帯の調べの中で、5時から6時は保育をしていない時間帯であると言ったそうですが、現場を知らないことが一言で解ります。現場では、1日の保育時間の中で昼食、昼寝の後の時間帯も大変忙しいのですが、降園時は、特に一番神経を使う大変に忙しい時間帯と思っています。延長保育も、夕方のおやつを食べる頃になってやっとホッとする時間帯となります。
 
延長保育指定園としての経過
 社会福祉法人住吉保育園設立より20年を経過し、20周年記念式典を挙行し、その行事の一環として記念誌を発行しました。その中に昭和57年4月より取り組んできた延長保育の実践が記録されていますので、その抜粋をここに記させていただきます。
−実施当時−
 昭和56年10月に保育の多様化と保育需要に対応するために、保育機能を拡大をするとの厚生省の打ち出した延長保育制度が発足しました。保育に対する社会の要望に応えるために生まれた制度であり、この制度そのものは社会ニーズに対応したものとして価値のあるものであるが、きびしい予算編成の中で制度化されたものであり、消化できない現状が続きました。栃木県も宇都宮市・小山市で検討を進めたものの実現せず、結局、宇都宮市のみが実施したのでした。全国的に、実施する園が少なく軌道に乗らない状況が続きました。それは利用する側は是としても、保育園側の犠牲が大きく、制度的にも地域による格差があったためです。
 当時の市児童家庭課長の熱意を受け、厚生省の保育制度の前向きな姿勢に協力すると共に、保育所の機能拡大について社会に対するPRに役立つならと、試験的な感覚で実施に踏み切ったのが住吉保育園の延長保育の出発でした。
−昭和57年4月より実施−
 まず、予算面の計算は除き、延長保育内容面を重点に、やり直しのきかない保育の性格を確認し、職員一同のチームワークを図り、子どもの実態をしっかりとらえ、一つずつ実績を積み重ねる保育を展開しました。大きな混乱はなく、園と保育者の犠牲を除けば、延長保育は新しい保育需要に対応する保育制度であると結論づけられました。
 
 次に、順次その都度発表してきた、延長保育の実践を述べたいと思います。
 《新しい保育需要をどう考えるか》
 全国私立保育園研究大会徳島大会(昭和57年6月開催)にて
〔提案者 磐井君枝〕
 実施して2か月足らずで提案者として指名され大変困りましたが、新しい制度と実施園が少ないということで、実施に踏み切った経過と宇都宮市延長保育実施要綱と補助事業に対する内容を示し、4月の実施園2か園の状況と保育体制を報告し、実施して感じたことを発表しました。
−延長保育を実施して感じたこと−
(1)午後6時までが一般保育時間のため、延長保育児と別室で保育することは二重負担、午後5時以降より同一扱いで保育をする。
(2)給食について、5時30分頃に与えたが、6時までの一般はないわけでやりにくい。
(3)延長保育のためのパート職員を採用する計画も、実際には見つからず、採用できない。
(4)延長保育は、保護者にとって喜ばれる制度また乳幼児にとっても、今までより良い環境になっている場合が多いと思われる。
(5)職員にとっては、大変な責任と負担が感じられるが、保育の多様化に先駆的役割を果たそうとする使命感と意欲で対応している。
(6)今後も、パート職員が採用できない場合は職員に過労(精神的)が生ずるかもしれない。
(7)職員間のチームワークと、休憩時間の確保と利用の仕方を工夫する必要がある。
(8)措置基準が厳しかった。(利用者)
・隔週交替勤務制の職場は認められない。
・週2、3日の遅番就労者も除外された。
・常時6時を超える場合と限られた。
(9)現在の延長保育のみでは、ベビーホテル対策にはならないように思われる。相変わらずベビーホテルは繁盛している。母親の育児意識と社会環境の変化からきているものと思われる。
−まとめ−
 延長保育は、必要とする子がいるならば、当然やるべきことであり、ぜひとも実施すべきである。使命感にのみ頼るべきでなく、制度上の欠陥を補いつつ、最低基準の8時間保育をはっきりきめ、それを超えた時間が延長保育時間であることを明確にさせる必要がある。
 
《実施しての問題点と今後の研究課題》
延長・夜間保育実践交流集会(昭和57年9月) 主催・全国社会福祉協議会
〔意見発表 磐井君枝〕
 全国より実施している園とこれから実施する園の関係者が集い、アンケートに答える形で代表者が発表しあった。
−発表の結論として−
 時差出勤体制の限界と地域差による保育時間8時間の取り扱い方等、現保育時間制度の問題点の整理と対応の方法の検討を、引き続き今後の課題とすることとしました。
 今必要とする子がいたら、保育者としてまずこれに応えつつ検討を重ねることが大切ではないだろうかと締めくくりました。
 この発表をした後、NHKより実施園としての取り組みについて取材をしたいとの申し出があり、ニュースで放映されました。
《延長保育に取り組んでの感想》
昭和58年3月「福祉を考える」〔福祉教育シリーズ第9集より抜粋〕
 保育利用者の就労の多様化に対応し、ベビーホテル対策としての延長保育の実践を通して、保育される立場とする立場に対するものと、当園の利用者父子家庭について報告しました。
−実践して良かったと思う点−
1 園児の成長上、特に困った点は出ず、むしろ入所当初より情緒的安定が見られた。
2 保母も大変な仕事と考えていたが、工夫し協力しあえば、責任は果たせるものと知った。
3 保母も保護者も、時間内安心して活動できる。
−まとめとして−
 延長保育は父母の就労問題と児童憲章を合わせ検討するべきであり、すべての事柄を保育所のみで解決するものとは勿論考えないが、その子達を社会的に守る義務があると思う。
 人として生まれ、かけがえのない時間を安定した楽しい保育時間として過ごさせるのは、私達保育者の使命であると考え、延長保育に取り組み、保育需要の多様化に対し保育所の機能拡大に努力している。








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