3.母親の職業
4.小学校低学年受け入れ
[1]利用理由
[2]母親の職業
5.利用日数
6.利用料金
3歳未満児 |
1日 |
2,200円 |
3歳以上児 |
1日 |
1,000円 |
13年度〜 |
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3歳未満児 |
1日 |
2,500円 |
3歳以上児 |
1日 |
1,500円 |
7.利用児童の年齢区分
(9)自己評価
一時保育について国の制度ができたのは平成2年度、当園は次年度の平成3年度より実施しました。当時実施園が全国的にも少なく、一時保育の内容を話せば園長同士からも「大変ですね。運営面においても、職員の人材養成や収入面においても楽ではない保育メニューですから」と言われました。保育園は、児童の措置委託時代、公費が順調に交付されていれば安定した運営を続けることができました。保育を取り巻く環境は、年々運営を支える財源は下降線を辿り、児童福祉法の改正・自主運営、更に第三者評価・苦情処理等、如何にして自助努力せねばならないかという時代が既に到来しております。保育園運営の資本は、園児の入園状況と職員の人材育成が原動力であると思います。特別保育メニューは容易に受け入れできるものの、実施すればする程大変であり運営に苦慮が多いことものしかかってきます。一時保育・延長保育もすでに自主運営に制度の変更が行われ、4年目になりますが、保育ニーズとして、一時・延長保育とも高いランク付けにされています。
近年、市町村行政も子を持つ住民の要望に応えるべく少子化対策に取り組み、保育現場には様々な実施要請がある反面、環境整備・現場で実践するための条件整備(予算執行)の遅れが目立ちます。
保育園の使命は、保育環境に対処し多様化する保育ニーズに最大限努力することだと思います。通常保育と異なり、初めて出会う親子・集団生活に慣れない一人ひとりの個性に合わせた保育、職員同士の協力・苦労を克服する一日。そして、子どもを迎えに来る親の笑顔、保育士の苦労を重ねても保育できた喜びが園内に浸透し、いつでも受け入れに万全な態勢が備わっていること。ここまでやり通せる自信に結びつけた精神力と協調心こそ、わが園の誇り、伝統として持続して行きたいと願っています。
一時保育を担当して
一時保育担当として一番大変だったことは、重度の障害児を受けもったことです。療育センターに通っていましたが、健常児との関わりの中で、心身の発達を促したいという親の願いから、一時保育の申し込みとなりました。受け入れに当たっても、園長との話し合い、保護者の一時保育への理解協力、そして何よりも本児にとって安全であることが重要となりました。子どもの名前はN.M、受け入れ当時は3歳になったばかりでした。一人での歩行はできずに、移動はハイハイ、もしくは支えながらの歩行となり、体のバランスがとれない状態、また言葉は喃語程度でした。両親が日中就労のため、普段から世話をしている祖母の付き添いで、週1回の午前中のみの登園となりました。療育センターの指導員のように専門ではないが、私たち保育士としてどこを介助すれば良いのか、保育の内容、他児への影響はどうかなど悩んだりもしましたが、保育士が一人ついて祖母と二人で手をひいて移動させたり、一緒に遊んだり、戸外での遊びも積極的に取り入れることにしました。本児は言葉がはっきりしなくても、「〜したい」という気持ちはしっかり持っており、友達の関わりを求めたり、食事も一人で食べたい、みんなと同じ遊びをしたいと常に感じていたので、少しずつ発達しているように私たちも感じることができました。
登園して2年目になると、週2回に回数を増やし、措置児クラスの担任も気にとめ、声がけしてくれるようになりました。私自身、障害児保育についてわからない点が多く、少しでも実践に役立てればと、障害児保育セミナーに一年間参加したことで、半日の保育の中でも心身の発達が促せるものを取り入れてみることもできました。活発な遊びを好むため、戸外での遊び、運動的な遊び(夏はプールなど)も本児に合わせて様子を見ながら取り入れてみました。まだ、支えなしでは歩くこともできませんでしたが、少しずつ体のバランスが保てるようになってきていました。しかし、体が重くなってきているため祖母が支えるのも困難となり、私一人で支えることも少なくありませんでした。運動的な遊びを好む分、支える際危険な面はないか、発達を促すためによりよい介助はあるのかと考えていた時、医療技術専門学校の先生に実際本児の様子を見てもらい、状況も説明した上で、「転倒してもけがのないよう頭にはヘルメット、ひざにはサポーターを着用するようにしてはどうか」とアドバイスを頂き、親にも説明し実際に使用してみました。初めはなかなか慣れず、嫌がっていましたが、少しずつ慣れ、私たちも安心して保育することができました。一つの方向からだけではなく、いろんな方向から見つめて、本児に無理なく、そして安全に楽しく過ごせるように努めるのが大切だと感じました。
結局、約2年の登園で、福祉施設への通園のため、また祖母が連れてくるのが困難とのことで一時保育の利用を辞退することになりましたが、本児と過ごした2年間は私にとっても保育士生活の中で、貴重なものとなりました。一時保育の子どもたちも本児に対して自然に接してくれ、優しく声がけしたり、一緒に遊んでいたことも、私の心の支えとなり、私はもちろん子ども同士も成長できたのではないでしょうか。不勉強な点も多かったと思いますが、少しでも役に立つことができたなら嬉しく感じます。 (保育士 大原礼子)
一時保育の中で
嬉しかったこととしては、非定型保育の子どもはノートが綴りになっていることもあり、前回の登園から今回の登園までにあったことなどを書いていてくれていたことが、一番嬉しかったです。やはり、預けている親が安心して、保育者との間に信頼関係がないとなかなか書けないと思います。実際初めのころはあまり書いていなかった親も、少しずつ書くことが多くなってきて、そこからお互いの会話(ノートを介してのもの、送迎時など)も増えてくると思います。子どもの親が安心して預けられるようになればなるほど、安心してコアラ組(一時保育のクラス名)として過ごせるようになるのかなと思いました。また、緊急保育の場合でも何回も預けている子であれば何枚かの綴りにしているので、久しぶりの登園でも保護者側のコメントがあれば、そこをスタートにしての子どもとの関わりも広がっていくと感じました。
初めての登園など、なかなか慣れにくい子で専用保育室自体に抵抗を示し、入れないで外を散歩して過ごしていた子が、一歩でも専用保育室に入れたり、「先生」という一言を話してくれるようになったとき、保育園が“つらい場所”という認識から、少しずつ“楽しいかもしれない”という期待を持てるようになっているのかなと、そのような場合もとてもうれしく思いました。そして何回来ても午睡ができない子が、抱っこやベビーカーなどでも少しずつ眠れるようになり、最後には布団で眠れるようになった時、初めてすべてを投げ出せる、安心して過ごせる場所であると子どもが思えるようになった証拠かなと、保育者側も安心できたことを思い出します。何よりも「先生」と呼んで専用保育室の保育者まで走り寄ってくる姿をうけとめた時が一番の喜びです。 (保育士 矢萩尚子)