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「私を変えてくれた剣道」
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千葉県館山市
中西養心館
小学六年生
谷野涼子
 
 もし、私が剣道をやっていなかったら、学校の勉強や発表も、友達とのおしゃべりや行動も、いつもみんなのあとについているような、意志の弱い自分であったと思います。
 まして人前での体験発表など想像もつかないことでした。
 私が小学校生活になれ、新しい友達もできたころに、母から「涼子も剣道を習ってみない?」と言われたのですが、あまりのり気ではなかった私に「剣道をやってみたこともないのにイヤだと決めつけないで、一ヶ月の体験入門をしてみたら。」「自分の限界を作らず、がんばれ!」という両親の言葉にあと押しされてのことでした。
 当時、兄は小学五年生で低学年のころから剣道を習いはじめていましたし、母も兄と一緒に道場で汗を流していました。
 亡くなった母方の祖父、安藤徳太郎は、高野佐三郎先生のもとで修行した人で八段範士。御前試合に出場するなどとても剣道が強かったと祖母から聞かされています。
 そんな環境の中にいながら消極的な私は、何か新しい物をはじめる事にとても臆病でした。母は、そんな私の性格を心配し、自信をつけさせたいとの思いから剣道をすすめてくれたのですが、私にとって剣道も例外ではありませんでした。
 剣道をはじめて数ヶ月たつころから「剣道をやってみるなんて言わなければよかった。」と思いながらの道場通いで、剣道の練習日だと考えるだけでゆううつな気分になったり、稽古中に気持ちが悪くなったりのくり返しでした。
 中途半ぱで投げ出しそうな私のために、父方の祖父、母も何かとはげましてくれたのですが、何も習いごとをしていない友達がうらやましくさえ思えました。
 そんな私に大きな心の変化があらわれたのは、四年生になったときです。
 幼稚園の妹が私にえいきょうされて入門し、翌年には、女子の入門者が増えたことで「私ががんばらなくちゃ」という思いがわいてくると、長く感じられた稽古も同じ時間なのに「あっ」という間に終わるようになり、「特訓も参加してみよう!」「もう少し強くなりたい。」と考えるようになっていました。
 そして、今年の二月に行われた館山・三芳地区青少年剣道大会では、個人戦で初めて優勝することができました。道場の先生方や仲間達に一緒に喜んでもらえたことがとてもうれしかったです。
 ただ母には、「勝った時ほど他の人の気持ちを考えなければいけない。」ときびしく注意され、日ごろ、館長の中西安広先生から、竹刀をふり回すことが剣道ではない。勝ち負けより大切なのは試合に臨むまでの努力と態度であり、道場に入る時のはき物の置き方、あいさつの仕方、そして、剣道をたしなむ者はいじめを止める立場にならなければならないと教えられている事を思い出し「はっ」としました。私はうれしさのあまり大事だったはずの剣道の精神をすっかり忘れていた自分を恥ずかしく思いました。
 これからも多くの試合が予定されており、その一つ一つが小学校生活最後の思い出になっていきます。
 全日本選手権大会、国体に何度も出場され八段に昇段された館長、中西先生の門下生として二度と恥かしいことのないように心も技も最高の形で試合に臨みたいと思います。
 学校生活の中でも「ずい分積極的になってきたね。」といろいろな先生に声をかけていただくことが多くなり、自分自身でも自信を持って発言や行動ができるようになりました。
 もし、以前の私のような友達がいたなら、私をここまで育ててくれた剣道の良さと、どんなに苦しくてもそのことにたえられた人には、楽しさや喜びが何倍にもなって返ってくることを教えてあげたいと思います。
 そして、健康であるからこそ続けてこられた剣道を通して体の不自由な方、お年より・小さな子供にいたわりの心で接することを、本当の強さとは、やさしさであることを学ぶことができました。
 これからも館長をはじめ、たくさんの先生方の教えをよく聞き、守りながら心も体ももっと強くなれるよう努力を重ねていきたいと思います。
 道場で一緒に稽古している母、高校でも剣道を続けている兄、小学二年生となった妹、そして、養心館の仲間達と共に、一つの事をつらぬき通すことが今の目標です。
 最後に、いつも家族や剣道に深く理解を示し、かげから応援してくれる父に感謝し、まもなく進学する中学でも父に、剣道部に入る事をあらためてお願いし、許していただき、一生剣道を続けていく事を約束したいと思います。








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