日本財団 図書館


「ぼくが一番やりたかったこと」
z0007_01.jpg
大分県日田市
三芳少年剣士会
小学三年生
松尾雄真
 
 ぼくには、剣道をしているおじさんがいます。おじさんは、としかつおじさんと言って、大分でけいさつの仕事をしています。おじさんは、剣道大会のメダルを、数えきれないほどもっています。おじさんは、小さいころから、ぼくと同じ三芳少年剣士会にいて、剣道をしていたそうです。だからぼくの先ぱいになります。
 ぼくが、ようちえんの時、おじいさんがぼくに、おじさんの剣道のメダルを見せてくれました。ぼくは、「ぼくもメダルがいっぱいほしいなぁー。ぼくも剣道をしたいなぁー。」と思いました。
 そこで、ぼくは、お母さんに、
 「ぼくも、剣道をならいたい。」
と、おねがいしました。でも、お母さんは、
 「まだ小さいから、サッカーをしなさい。」
と、言いました。それは、ちょうどぼくが、ようちえんでサッカーをしていたからです。
 一年たって、ぼくが年長さんになってからもう一回、お母さんに、
 「剣道を、ならいたい。」
と、おねがいしました。すると、お母さんは、ぼくを三芳の道場につれて行ってくれました。一しょに剣道の見学に行ったのです。ぼくは、その時、ちょっとうれしかったです。みんなが剣道をしているのを見ていたら、かんたんそうに見えました。
 家に帰ってから、お母さんに、
 「剣道していい。」
と、きくと、お母さんは、すぐに
 「いいよ。」
と、言ってくれました。ぼくは、心の中で「ヤッター。」と、さけびました。やっと、ぼくがやりたかった剣道ができます。
 ぼくが、剣道に行くようになって、おばあさんがぼくにはかまをきせてくれたり、お世話をしてくれるようになりました。おばあさんは、昔、としかつおじさんのお世話をしていたので、お母さんより剣道のことをよく知っていました。おばあさんは、二年生の夏休みまで、ぼくの面つけなどのお世話をしてくれました。
 剣道のけいこは、思ったよりきつかったです。あせが出て、目に入っていたくなったり、かたがいたくなったり、手足にマメができたり、かかりげいこがとってもきつかったりしました。
 それから、ぼくの悪いクセを、先生から注意され、なかなか直らない時は、とてもくやしいと思いました。ぼくが、竹刀のにぎり方が悪くて、なかなか直らない時、「なんで、直らないのかなぁー。」と、心の中で言っていました。けいこが終って、ぼくがおふろに入って、
 「どうして直らないのかなぁ。」
と、ブツブツ言っていると、お母さんがわらいながら、
 「剣道をならわない方がよかったね。」
と、言いました。ぼくは、すぐに、
 「そんなことないー!。」
と、大きな声でさけんでしまいました。すると、おじいさんから、
 「うるさい。」
と言われて、げんこつをもらったこともありました。
 ぼくには、剣道のおうえん者がいます。まず一番は、おじいさんです。ぼくが、し合で勝ったりすると、よく、はく手をしてくれます。それから、メダルをとったりすると、ごちそうをしてくれます。とってもうれしいです。
 二番目は、おばあさんです。おばあさんとは早おきして、一しょにさん歩に行ったりします。もちろん、ぼくは、マラソンです。
 三番目は、お父さんとお母さんです。お父さんは、仕事がいそがしくて、あまり見てもらえませんが、お母さんは、「どんどんうっていきなさい。」と、いつもうるさいくらいおうえんしてくれます。
 四番目は、としかつおじさんです。仕事がひまな時は、時々おうえんに来てくれます。それから、たまにメンやコテのうち方を教えてくれます。
 ぼくには、たくさんのおうえん者がいるので、きつい時もがんばれます。それに友だちもきつい時がんばっているので、ぼくもがんばろうと思います。みんなでたくさんけいこをして、いろんな大会に出たいです。そして、二年生の時の近県大会で、ゆう勝した時みたいに、みんなと、さい高にうれしい気もちになりたいです。
 ぼくの目ひょうは、としかつおじさんに剣道で勝つことです。これからも、どんなにきついけいこでも、友だちやおじさんに負けないようにがんばります。ぼくが、一番やりたかった剣道だから、強くなりたいです。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION