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解剖学実習を終えて
 神谷 泉
 五月から半年以上もの間続けてきた解剖学実習を終えて、いくつか感じることがあります。解剖学実習は一般に、「医師になるための第一関門」とか「医学生になったことを実感するとき」であるとよくいわれます。昨年の四月に入学して以来、先輩方が解剖をしたときの話を聞くたび、私は「今まで肉親の死にも立ち会ったことがなく、亡くなっている人間を見たことがない自分が、解剖学実習をして、果たして正気でいられるのだろうか」などと幾度も不安な気持ちを抱いていたことを思い出します。
 実際、初回の実習では、献体してくださった方々の「自分のからだを医学の発展のために役立てたい」という尊い思いを先生からうかがったにも拘わらず、ご遺体を直視することさえできませんでした。
 けれども何度か回数を重ねていくうちに、これまで生物学や解剖学で教わってきた人体の構造を実際に自分の目で見ることができる解剖学実習に、私は非常に興味深さを感じました。人体の構造物は、どれも何らかの役割を持ち、その目的に合わせて緻密かつ合理的に作られているものであるとわかり、「生きている」ということが気の遠くなるような、尊敬すべきことだと毎時間、新たな発見と驚きがありました。また、個体差も著しく、人というのは外面、内面だけでなく、「内部」まで大きく違うものなのだな、などと考えたりもしました。
 夜八時過ぎまで実習にかかったこともありました。最初の授業で先生に見せていただいたご遺族からの「この人はよいお医者様に大変お世話になりました。みなさんもどうぞ、この人のからだで一生懸命勉強して、よい医師になってください」という手紙が頭から離れませんでした。
 解剖させていただいた三十体ちかくの方にも、生前はそれぞれの人生があって、家族がいて、この目で何を見、耳で何を聞き、この手で何をさわっていたのだろう。実習の前後の黙では、毎回、感謝と共に、そんなことを考えていました。
 後期にもなると、生理学や生化学の講義も解剖学実習で学んだことに結びついて、理解がしやすくなり、バラバラだと思っていた基礎医学も次第にひとつにまとまってきたように思います。
 解剖学実習を終えた今、私は膨大な解剖学用語や人体の仕組みだけでなく、生命の尊厳も学ぶことができたような気がして、医師になるという自覚を新たに持ちました。献体してくださった方々やご遺族の善意を決して忘れることなく、これからも貪欲に学んでいきたいと思います。








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