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解剖学実習を終えて
 高山 純子
 解剖学実習を終えた今、私自身何を得たかということについて考えてみました。終えてしまってから改めて考えると、解剖学実習は私に人体の構造、機能、形態的な知識ばかりでなく、生命、人生、人間という視点からの様々な感情を与えてくれました。そのため、今は篤志家の方々、ご遺族の方々に対する感謝の気持ちをすごく感じます。そのような方々のおかげで多くのことを学び、体験できました。それは確かに私が感じていることであり、又この経験を共にしたみなさんも同じように感じていることと思います。
 しかし、思い起こしてみると、私は実習を通して、常にどんな時もこのような気持ちでご遺体に向かっていたかというとそうではなかったと気付きました。
 つまり、教科書や図版で得た知識を実際の肉体を通して確認し、探求し、理解を深め、吸収していると感じているまさにその時には、ご遺体を明らかに肉体として、物質化してみていたということです。
 人間が人間の体を解剖するという極めて特異的な厳しい行為が、医学・歯学を学ぶ者にだけは許されています。その非日常的な非人道的な行為を、今述べたような感情で、つまりご遺体の人格、人生、人間関係を考えながらそれに挑んだら、とても平静を保っていられるものではないと思います。この時私達学生は、ご遺体に対する二つの感情、二通りの考え方を自然と身につけることができていくのだと私は感じました。
 追悼式、実習の始まりと終わりに毎回行う黙、全ての実習終了後の納棺、ご遺体の名前をお一人ずつ読みあげ、最後にあらためて感謝の意を表わすとき、人格、人生、人間関係の刻み込まれた「ご遺体」を感じ、実習中の、あの非日常的な空間にいるときには、知識の宝庫として「ご遺体」を感じていました。このことは私達に医師としての自覚、ものの見方、倫理観、患者への態度や身体へのまなざし、そのようなものに気付かせてくれたと思います。ただの肉体としてとらえ、主訴をただ治療すればいいというだけであってはならない、が一方、患者の人間性を考える、患者に対する思いやり、そのようなことだけでは、もちろん患者を治療することはできないという両面性のようなものを実習を通し、自然に学んでいっているように感じました。
 ご遺体は最初の患者であると言われることの意味をあらためて深く考えさせられました。








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