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おばあちゃん、ありがとう
 土方 靖浩
 解剖実習が終わってから約一ヶ月が過ぎた八月の終わりにこの実習を振り返る文章を書いています。実習直後に書こうと決めていたのが、何故一ヶ月という時間が必要だったのか。率直に申し上げると、解剖実習というものにどっぷり浸かった四月から七月の間に相当消耗していたことに因ると思います。実習が終わりに近づいたあたりでは、あと何回だ、もう少しだ、がんばるぞ、僕の頭の中はこのような感じで、自分の解剖実習の経験、その意味を言葉にするという余裕はありませんでした。
 そして一ヶ月が過ぎました。この一ヶ月の間、友人、家族との会話の中で、解剖実習が話題にあがりました。医学部でない友人の反応をみていると、解剖実習というものの特別さ、御遺体にメスをいれるという特別さに改めて気付かされました。また、父は僕に献体の意志を表しました。息子がお世話になっている医学教育というものに対する父親なりの恩返しという気持ちからでしょう。僕はこの時、複雑な気持ちになりました。父親なりの真摯な気持ちに対する喜びの様な感情と、父親の体を他人に触れてほしくないという、解剖させていただいた身としては、とてもわがままな、でも正直な感情の二つの相反する感情がありました。
 僕が実習させていただいたのは、七十歳くらいの女性でした。敬意と愛情を込めて「おばあちゃん」と呼んでいました。おばあちゃんの献体の御遺志はとても重いものでありますし、御家族の方の気持ちも、僕が持った感情と似たような感情を持たれたかも知れません。僕に出来ることは、おばあちゃんの気持ちを裏切らないということだけだと思いました。実習をしっかりやり遂げる。固い決意を持って実習を始めました。実習独特の緊張感で気力、体力ともにかなり消耗もしましたが、実習パートナーに支えられながら、最初の決意を忘れることなくがんばり通せました。そして、これからも自分の目指す医師像に向かって熱意を持って勉強し続けることが、おばあちゃんの気持ちを裏切らないことだろうと、実習から一ヶ月たった今、そんな気持ちでいます。
 おばあちゃん、本当にありがとう。解剖させていただいて学んだことは、僕が将来、何科に進もうと、絶対に活きてくる、貴重な財産です。実習を終えて、直後は疲れちゃっていたけれど、今はまた「いい医者になりたい」っていう気持ちが、前よも強くなってます。おばあちゃんの気持ちに応えるためにも、僕は自分に出来るベストをつくして勉強していきたいです。がんばるからね。おばあちゃん、本当にありがとう。








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