解剖学実習を終えて
中田 夕香子
三か月に及ぶ解剖実習期間を、いろいろな思いをして過ごしてきました。体力的にきつかったし、剖出がうまくいかず焦ったりいらいらしたりと精神的に余裕がないこともありました。また、目的の小さな血管や神経を見つけたときや、想像とは違う実物を目にしたときに、驚きや感動と言ってもいいような感情を覚えたこともありました。本当にいろいろなことに触れ、いろいろなことを知った日々でした。
しかし、納棺式の日に、棺に貼る御遺体の名前を手にしたときの思いに比べれば、そんな数々の思いも色褪せるでしょう。
私はそれまで、名前のもつ力を知らなかったと思います。
名前を知らずに解剖していた時は、御遺体はあくまで「解剖体」でしかありませんでした。それが、名前を知ると、その方が一挙に「人」になり、苗字からはその方の家族が、名前からはその方の生前が、何も知らないというのに心に押し寄せてくるようでした。名前がこんなにも、その持ち主を想像させるものだとは今まで思いもしませんでした。
その名前を、忘れてはいけない気がしました。
こういう気持ちを知って、それを忘れずにいたら、患者取り違えによる医療過誤なんて起こりえないと思います。
名前を知ったことで、最後の最後でその方の「死」と向き合うことができ、正しく解剖実習を終えることができたと思います。
解剖の知識や理解だけでなく、名前を知った時に押し寄せてきた胸の詰まる思いを忘れることなく、患者さんひとりひとりの名前とそれが背負う人生まで尊重できる医者になりたいと思いました。そういう医者になることで、献体という形で出会ったその方に、私なりのお礼ができる気がします。