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1. 調査概要
 2001年9月11日のワールドトレードセンター(WTC)のテロ直後米国の主要マスコミは、過去幾つかの大事件を乗り切ってきた米国はWTCの事件にも屈すること無く必ずテロに対し勝利を収めるだろうと報道した。この幾つかの大事件の中には、1929年の大恐慌、1941年の真珠湾等と共に1980年代の日本製造業の優位が挙げられている。当時の日本製造業の優位は米国政府及び米国経済界にとっては日本人が想像する以上に脅威であり、製造業の復権は1980年代後半から1990年代始めの米国製造業の悲願となった。当時は日本の対米輸出超過に対する日本たたきが横行する一方、日本に関する研究書も多く出版されたが、あるものは曲解し、あるものは当を得ていると言った状況であった。それらの書物で共通していたのは、日本の武器が目標産業政策(Targeting)だということであり、Tsusanshou(通産省)やzaibatsu(財閥)といった単語が米語になりかけた程であったが、それから10年、現在では日本の製造業を脅威と考えている米国人は鉄鋼分野でのアンチダンピング提訴等のごく一部を除けば存在せず、米国における日本の存在感は急速に低下している。
 
 米国製造業は復権を果たした1990年代、数々の政策が複合的に実施された。1993年に大統領に就任したクリントンは、就任早々6つの科学技術政策を発表しているが、その中で先端高度製造技術(全米ネットワーク構築技術、新フレキシブル製造技術、環境調和型製造技術)の構築を重要課題として取り上げている。また、造船関連分野では、1993年造船及び造船所転換法を公布し、タイトルXI融資プログラム(融資比率87.5%、返済期間25年、米国内建造が条件)により軍需部門への依存過多となっていた米国造船業の商業造船市場への再参入をファイナンス面から支援することとした。(しかしながらアメリカン・クラシック・ヴォヤージ社の破綻に伴う2億ドル以上の保証債務返済の可能性等、本来の産業競争力の向上に寄与しない政策ツールには限界が見えており、近年その融資案件はしりすぼみの状況となっている。)
 
 クリントン前大統領が就任した当時は1980年代後半から始まる米国製造業の復権が実を結び始めていた頃である。1986年マサチューセッツ工科大学は、MIT産業生産性調査委員会を編成して2年間にわたり日・米・欧の8分野の製造業を対象に調査研究を行ない、「メイド・イン・アメリカ−アメリカ再生のための日・米・欧産業比較」を発表したが、この報告書は米国産業界に多大の影響を与えた。この理由の一つは、産業界の多くは自助努力によりクリントンが就任する1993年始め頃までにはリストラクチャリングを終了しつつあり、新たな産業展開を図ろうとしていた時期であったことが挙げられる。
 
 MIT報告書は、米国産業界の地位向上を計るための政府の役割に関し多くの紙面を割いており、クリントンの産業政策立案に大きく影響した。クリントンも次々と政府が関与する産業プログラムを実施したが、効果は必ずしも大きくはなかった。最も成功したのはセミコンダクター分野で産・官・学を網羅した国家インフラストラクチャーのSEMATECHである。造船・舶用工業の分野でもSEMATECHのような産業の国家インフラストラクチャーを作るべくMARITECHが発足したが、影が薄れてきている。
 
 米国の場合、製造業の復権に最も貢献があったのは、民間の自助努力である。1991年秋にリーハイ大学のアイアコッカ財団によって発表された報告書「21世紀の米国製造業の戦略−産業主導論」において、俊敏で機動的な生産という意味で使われたアジャイル・マニュファクチャリング(Agile Manufacturing)は大きな反響を呼び、以来、産・官・学三位一体となって啓蒙普及運動が行われるようになった。具体的には、顧客ベースのビジネスを展開する上で、アジャイル・マニュファクチャリングの実現は顧客や市場の変化への速やかな対応を可能とし、これにより米国産業は再び世界市場におけるリーダーシップを回復出来るというものであり、階級組織からチーム主体の水平型組織へ、孤立プロセスシステムから統合化プロセスシステムへ、大量生産方式からマス・カスタマイズ生産方式へ、ローカルからグローバルな生産行動へ、シークエンシヤル・エンジニアリングから、コンカレント・エンジニアリングへ等の具体的方針を与えている。個々の製造業が、世界市場においてリーダーシップをとるために最も重要なことは、新製品開発・設計・生産・流通のプロセスを変革し、顧客の欲する製品を素早く提供し、また顧客の需要を創造し得る体制を作ることであろう。コンカレント・エンジニアリングでは、製品コンセプトの段階から顧客のニーズ、スケジュール、コスト、品質等の種々の専門家が参加することにより、競争力ある製品を作り出し、その後の顧客ニーズの変化に対する対応も容易となる。
 
 米国製品のマーケットの拡大という意味で、1990年代に起こった大きな変革は、1994年1月1日発効した米国、カナダ、メキシコを加盟国とする北米自由貿易協定(North American Free Trade Agreement: NAFTA)により市場の一体化、活性化が加速されたことである。NAFTAは、欧州連合のように通貨を統一したり、共通の輸入関税を設定したりはしないが、各加盟国の政治的独立性を充分に保ちながら経済的には、正に一国として運用しようとするものであり、その内容は1999年までに輸入ライセンス等の非関税障壁を撤廃し、併せて金融の自由化、ダンピング輸出の原因となる労働・環境問題の統一的解決、近代化を図ろうとするものであった。
 
 1990年代の米国舶用機械工業界内部の栄枯盛衰はめまぐるしい。1992年6月に連邦議会技術評価局(Congressional Office of Technology Assessment)が発表した「将来の安全保障の構築(Building Future Security)」と題する報告書の中で、米国の舶用工業についても分析が実施されているが、これによれば、冷戦構造終結後の舶用機器メーカーの産業基盤は大打撃を受けると予想し、業種毎に2000年に存続しているであろう企業数を数字で示している。簡単にいうと2000年には殆どの業種で企業数が激減するとの予測であったが、2000年の現実は、殆どの企業が好業績で存続している。例えば、上記報告書では1980年に3社あった大型ディーゼルエンジン(中速と思われる)製造事業者は2000年には、0社になると危機感を煽っているが、Caterpillar社がMak社を買収してこの部門に参入したりして2000年のメーカー数は逆に多くなっている。(もっとも、発電部門を中心に大型ディーゼルエンジン市場が拡大しているという要因も見逃せない。)
 
 1990年代舶用工業界に起きた一番大きな出来事は、ウエスチングハウス社の一般舶用機器分野からの撤退であろう。ウエスチングハウスは、原子力空母及び潜水艦の推進用原子炉のメーカーとして有名であるが、蒸気タービンや減速機といった一般舶用大型機械もGEと並び一方の雄であったが、1994年ウエスチングハウスはこの一般舶用機器事業部をNorthrop Grummanに売却した。逆にNorthrop社はその後、2000年12月に米国の6大造船所のうち、IngullsとAvondaleを傘下に持つLitton Industriesを買収し、更に2001年11月には米国最大の造船所Newport Newsを買収する等造船・舶用工業において、メジャープレーヤーになるという基本方針に従って着実に行動しており、大手企業における事業(資源)の選択と集中もまた、企業活性化の重要なキーワードとなっている。
 
 本報告書は、現在の米国舶用工業界を代表する5つの会社を選んで、その各々につき企業実態、製品と技術、業界内における地位、業績を向上させた要因につき述べたものである。業種が片寄らないようにディーゼルエンジン(Caterpillar)、ガスタービン(GE Marine)、減速機(Cincinnati Gear)、リクリエーション用ボート(Bombardier)及び、航海計器(Sperry Marine)を選んだが、いずれも、1990年代に躍進を遂げた会社ばかりであり、アジャイル・マニュファクチャリングを実践してきた会社である。
 
 1990年代後半になって、米国では大型合併等を含めた事業(資源)の選択と集中による生き残り策が本格化しており、舶用機器工業の世界も例外ではなくなっている。本報告書で取り上げたSperryは1996年にLittonに買収されLitton Groupの一員として業績を伸ばしてきたが、上述の如く、2000年12月LittonはNorthropに買収された。但し1990年代のSperryはLitton Sperryとして名が通っており、また、Litton自体もNorthropに買収された後も当分独立企業体として運営されることが決まっているので、本報告書では、Litton Sperryとしての記述に留め、Northropについては、「あとがき」において若干触れるに止めることとする。
 
 各章の「企業実体」と「製品と技術」は、夫々の会社の内容を知るために設けた節である。「業界内における地位」の節では、夫々の会社が属する業界の全体が分かるように配慮した。本報告書の主題である米国舶用機械業界の「分析」は、各章最終節の「業績を向上させた要因」に要約されている。








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