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おわりに
1 「MARITECHプログラム」は成功だったのか
 MARITECHプログラムの大きな目的は、米国造船業界を国際商船建造市場に復活させることにあった。このため、個別の造船会社が実施する個別の船型開発に助成するというプロジェクトが多数含まれていた。しかし、結果として米国造船業界は、国際商船建造市場に復帰できないばかりか、ジョーンズ・アクトによって保護されている内航商船でさえ、満足に建造できないことを露呈してしまった。以下に典型的な事例を紹介しておく。
 
[1] ニューポート・ニューズ造船は、MARITECHプログラムによって、40,000DW級のプロダクト・キャリアーの船型開発を行った。開発した船型を元に、外国船主からプロダクト・キャリアーをシリーズで受注したが、最初の3隻が竣工した段階で莫大なコスト超過が明らかになり、契約はキャンセルされた。伝えられるところによると、1隻当たりの契約船価は約50億円であったにもかかわらず、実際のコストはこの3倍に達したという。ニューポート・ニューズ造船は、以後、商船建造からの完全な撤退を表明した。
 
[2] インガルス造船は、MARITECHプログラムによって開発した船型により、アメリカン・クラシック・ボヤージ社から旅客定員1,900人のクルーズ客船2隻を受注した。さらに、MARITECHプログラムで旅客室をユニット化し、旅客室を外注する技術開発も行った。しかし、最近明らかになったところによると、インガルス造船は工程が遅延している上、コストが大きく超過しているとして、船主に対し船価の引き上げと引き渡しの延期を求めている。
 
 以上のように、MARITECHプログラムで個々の造船会社が船型開発した船舶は、受注はできたものの、かえって造船会社の収益を圧迫し、信用を失墜させることになってしまった。この意味からいえば、MARITECHプログラムは成功したとはいえない。ただし、MARITECHプログラムの中には、電子商取引や造船工程におけるIT技術の導入等も含まれており、これらはNSRP ASEプログラムにも引き継がれているものがある。MARITECHプログラムは初期の目的のほとんどを達成することができなかったが、派生した技術については、依然発展しうる可能性は残っている、といえる(米国造船業に対する現実的な貢献の有無は別にして)。
2 MARITECHとNSRP ASEの違い
 本文中でも紹介している通り、MARITECHとNSRP ASEでは、目的、性格、運営、プロジェクトの内容等が大きく異なる。そのため、当初予定されていた「MARITECH ASE」というプロジェクト名称がNSRP ASEに変更された程である。
 まず、目的は海軍艦艇建造のコスト・ダウンであるとした。これは、MARITECHが、米国造船業界を国際商船建造市場に復帰させることを目的としていたのと、表面的には大きく異なっている。この背景には、MARITECHにも関わらず、米国造船業界の国際競争力を全く回復させることができなかったことがあり、さすがに同様の目的を掲げるのは不適当とされたのであろう。しかし、海軍艦艇建造のコスト・ダウンに関係するとはいえ、プロジェクト自体は生産技術の開発や契約形態を含めたビジネスの進め方の見直し等であり、商船建造の分野そのものである。「海軍艦艇建造のコスト・ダウン」という題目は、政権内部や海外造船諸国といった内外からの批判をかわす観点からも、「軍事技術開発」という印象を持たせたかったのではないか、と思われる。NSRP ASEのプロジェクトの中には、これが「軍事技術開発」との位置づけでなければ、WTOの助成コードに抵触する可能性があるものがある、と思われる。
 性格の点でいえば、MARITECHが「個別企業に対する助成」であるのに対し、NSRP ASEは「業界に対する助成」としていることが大きな変化ではある。MARITECHの成果が実施企業内部に止まり、業界全体に行き渡らなかったことの反省として、NSRP ASEではプロジェクト実施者に技術移転の努力を義務付け、実施させている。ただし、プロジェクトで利用された個別企業の所有する知的所有権も移転対象に含めるのか、プロジェクトで生まれた知的所有権の取り扱い等については、統一的な取り決めはなく、ケース・バイ・ケースで契約により定めるらしい。従って、どこまで技術移転が進むかについては依然疑問が残る。
 運営面では、海軍内部で担当部局が変わったほか、MarAdが運営から外れた。MarAdは、商船や商船建造にのみ権限を有しており、プログラムの目的が「海軍艦艇建造のコスト・ダウン」である以上、出番はなかったのであろう。また、人的資源や能力の面から見ても、MarAdにNSRP ASEを運営する力があるとは思えない。NSRP ASEの運営面での大きい特徴は、海軍が直接監督、運営するのをやめ、先端工学研究所(ATI)という民間企業に直接的な監督、運営を委ねた点である。研究開発の場合も、民間活力を導入し、コスト対効果の最大化を図るのが狙いであろうと思われる。
 プロジェクトの内容を見れば、当然ながらMARITECHの時は多くを占めた船型開発は皆無となり、その替わりに生産技術開発が多くを占めている。ただし、生産技術開発のプロジェクトでは、実質的に造船所が一社(他業種からの参加企業はあるが)というプロジェクトがかなりある。開発効率の面から言えば、一社で実施するのが効率的ではあろうが、生産技術はコスト競争力に直結するだけに、上述したNSRP ASEの性格である技術移転が順調に進まないおそれもあり、MARITECH同様、開発成果が実施企業のみに止まってしまう可能性が高いと思われる。また、ビジネスの進め方の改善にも力を入れているが、これには二つの側面があると思われる。一つは、国際商船建造市場で通用するビジネスができること、特に契約を結ぶ能力である。信じられないことではあるが、米国の造船所には適切な商船建造契約書を作成できる能力に欠けており、このため仕様の変更が頻繁に発生する等の問題を生じ、コスト超過や納期遅延を招いている。二つ目は、ビジネスへのIT技術の導入である。IT技術については、造船所内、造船所と顧客間、造船所と舶用機器メーカー間等あらゆる場面で導入が検討されている。米国の造船業界はIT化に乗り遅れた、と見られており(他者からも自分自身でも)、このまま推移すると米国内の他産業からも見放されてしまう、という危機感を有しているようだ。
3 米国造船業の商船建造技術水準
 NSRP ASEの個々のプロジェクト内容や、その進捗振りから米国造船業の技術水準をある程度うかがい知ることができる。ここでは、商船の建造技術、特に工作技術に絞って考察してみる。
 NSRP ASEのプロジェクトの中には、日本で既に実用化、あるいはほぼ実用化されている技術が多い。例えば、レーザー切断技術、線状加熱等である。この内、レーザー切断技術についてプロジェクト実施者は、加工精度の向上が図られた、としたほか、大型プレス機を使用することにより大きな構造部材を溶接することなく精度良く作ることができ、工数が削減できたと評価し、その例として、コルゲート・バルクヘッドの製作を示した(2001年米国造船学会シンポジウムでの報告)。しかし、コルゲート鋼板を接合し、より大きなバルクヘッド構造を作成することは実証されていない。一般にコルゲート鋼板同士の接合は溶接歪み等により困難で、間に調整用の平板をかませる等の工夫が必要であるが、プロジェクト実施者は全く知らなかった(もっとも、プロジェクト実施者の造船所では大型船を建造しておらず、コルゲート鋼板同士を接合する必要がなかったようだ。)。線状加熱についても同様で、日本では自動化する場合は入熱量に正確を期すため、一般に入熱は不安定なガス・バーナーではなく高周波加熱によっているが、NSRP ASEプロジェクトではガス・バーナーで加熱し、入熱量を計算していた。以上のように、生産技術については日本で実用化されている技術と同程度か以下の水準の技術を開発しており、米国造船業の生産技術水準は、決して高くない。これについて、関係者の一人は「いきなり高度の技術を導入しても、使いこなせない。まず、自分たちでできる範囲で開発し、使いこなすことが重要だ。」としている。これはこれで正しいのであろう。
 次に工程管理に関する技術開発(これを技術開発と呼ぶに値するかは別として)も目立っている。これは、米国の造船所では工程を管理するという常識自体が確立されていないためである。ただし、このような事態に立ち至ったのは、海軍によりスポイルされてしまったためで、気の毒な面はある。即ち、艦艇の建造は長期(概ね3〜7年間)に渡る上、建造中の仕様変更等も珍しいことではなく、工程を管理しようにもできない、あるいは無意味であるためである。しかし、度重なる商船建造の失敗、特に著しい納期遅延の発生により改めて工程管理の重要性が認識された。この分野での「先生」もやはり日本であり、いかに工程上から無駄をなくすかを熱心に検討している。関係者間では「無駄」という日本語がテクニカル・タームとして通用していた。一方で、舶用機器等の部品供給ネットが余り強力ではない上に、米国ではある程度の納期遅延は当たり前という雰囲気があり、「ジャスト・イン・タイム」の導入等には苦労している模様である。
4 造船に対するIT技術の導入
 NSRP ASEの各プロジェクトで注目したいのは、IT技術の導入である。それも単にコミュニケーションの手段として導入するのではなく(無論、IT技術がコミュニケーションに果たす役割は大きいが)、情報に付加価値を加えようとしていること、造船業界内部で協力しあう基盤整備に利用しようとしていることに注目したい。例えば、設計の分野では、CADを利用して設計し設計情報を電子情報として活用するのみならず、構造をパターン化して設計の一部をコンピュータに委ねようとしている。構造のパターン化に成功すれば、工作現場の自動化や工数の削減、鋼材や部品の調達の合理化にもつながり、波及効果は大きいと思われる。
 業界内協力の基盤整備として、リソース・センターの構築が進められている。設計や生産技術は個々の造船所固有の「資源」であるが、NSRP ASEのような公的助成を受けた研究の成果や公表されている論文等は「業界共有の資源」となりうる。これを効果的に蓄積し、有効に活用しようというという試みは、近年売り上げに占めるR&D費の割合が低下しつつある日本の造船業界でも参考になるのでないだろうか。なお、NSRP ASEで開発が進められているリソース・センターは、会社運営、人事、教育訓練等広範な分野を対象としているが、実際にどのような「共有資源」があるのかは、今ひとつ判然としないところである。
 IT技術の導入により、米国でも造船e-コマースの開発が進められている。造船所、顧客、舶用機器メーカー、船級協会等をネットで結び、商談、機器の調達等を仮想空間上で行おう、というものであり、類似のものは既に日本や欧州でも立ち上がっている。ただし、NSRP ASEでは、舶用機器の調達のみならず、新規の商談、外注、部品の配送やアフターサービスに至るまで、一貫して仮想空間上で取り扱おうとしているのが特徴である。幅広く手を広げすぎ、の感もあるが、ジョーンズ・アクトに守られた内航船市場は限られた市場であり、それなりに成功する可能性はある。ただし、プロジェクト実施者も指摘していたことではあるが、この種のe-コマース市場が成功するためには、数多くの企業が参加する必要があり、特に造船では舶用機器メーカーの参加が欠かせないが、米国の舶用機器メーカーは、さほど強力なサプライ・ネットを有しておらず、日本や欧州のメーカーの参加が欠かせないと思われる。さらに、米国では舶用JISに相当するような規格があまり整備されておらず、規格の整備や用語の統一も図る必要があろう(この目的のための別途のプロジェクトがある)。
 IT技術ではないが、新技術の造船分野への応用も考えられている。関係者は、造船業に応用できる可能性のある新技術として、新素材とバイオ・テクノロジーを挙げた。新素材ではハニカム構造材やステルス材料が注目されているが、次期米海軍の主力駆逐艦となるはずのDD-21級ステルス駆逐艦開発プロジェクトは、有効性等の面で、軍事専門家から疑問視されており、なかなか難しいようである。一方、造船とバイオ・テクノロジーの関係は、一見、奇異に思われるが、例として「汚水や油の処理(現在でも実例あり)、排ガス中から有害物質の除去、バラスト水の処理、船底防汚塗料の代替」等が想定される、という。米国の造船業界は、このような新技術の探求に熱心であり、思いもつかない開発成果が上がる可能性もある。
5 技術開発への取り組み方
 NSRP ASEのプロジェクトを概観して感じたことは、米国の造船技術研究者があまり現場を知らないのではないか、ということである。米国では、これまで技術者(ホワイト・カラー)と労働者(ブルー・カラー)が明確に分かれていた。最近になって、技術者が現場で指揮、指導する必要性が認識され、技術者が「ライト・ブルー・カラー」と呼ばれるようになっているが、研究開発に取り組むような技術者の現場知識は十分でないように思える。
 一方、米では特定の分野について深い知識を有する専門家(コンサルタント)が多く、また専門分野も非常に細かい。NSRP ASEでもそのような専門家が多く共同研究者として参画しているが、特にビジネス手法の開発やIT関係技術に多い。彼らは自己の分野からの提言を出すことはできるが、それをいかに造船所(商談、設計、生産)の諸活動に適用するかについては「私は私の知識で助言するだけ。後は、造船所が何をやりたいか、何ができるか、を考えなければならない。」(生産性向上の「専門家」)、「必要な機能と目的を明らかにしてくれれば、どのようなハードウェアが必要か、どのようなソフトウェアを導入・開発すべきか、すぐに検討できる。」(IT技術の「専門家」)となる。優れた専門家が多い反面、造船業や造船所の実態に自己の知識を沿わせてみよう、というアプローチはないように思えた。プロジェクトの目的や意図が徹底できていないと開発が挫折する可能性もあると思われる。このため、海軍では先端工学研究所にプロジェクトの調整を委託し、プロジェクトの進捗状況のチェックや軌道修正等を委ねているのであろう。優れた能力を有する機関が調整の任にあたれば、質が高く層の厚い専門家群に恵まれている分、NSRP ASEは、今後、大いに発展する可能性もある。
6 NSRP ASEの今後
 NSRP ASEは、2003会計年度まで継続されるであろう。本文中にもある通り、予算的には比較的少額(年間3,000万ドル(約40億円)以下。決して少額ではないが海軍全体の研究開発費からすれば数%に過ぎず、相対的には「少額」といえる。)であり、目立たないことや、議会から強い反発も浴びない(逆に支持は多い)ことにある。Title XI融資保証予算も、最近は、一会計年度当たり10〜30万ドルで推移しているが、こちらは予算項目として独立しており、しかもMarAdという予算規模の小さい組織の予算であるため、議論を呼び易いのと事情を異にしている。
 NSRP ASEの効果は、今後を見ないと判らない。特に商船建造コストがどれほど低減できたか、納期遅延等が発生せず米国造船業の信用回復につながったか、が評価の対象となろう。米国では、ジョーンズ・アクトにより保護されている内航船が老齢化しており潜在的な代替需要が見込めることや、OPA90の部分実施(2003年)に向けて内航タンカーの建造需要が顕在化しているのに加え、メキシコ湾岸の海底油田開発に伴うシャトル・タンカーの需要も期待でき、久々に商船建造案件には事欠かない。これらのジョーンズ・アクト船を、これまでよりは安く、確実に建造、引き渡しができて初めてNSRP ASEの効果が確認されることとなる。なお、海軍も海軍艦艇建造コストの引き下げという効果を当然の権利として求めるであろうから、米国造船業界がこれにどこまで応じられるか、も興味深いところである。また、NSRP ASEの特徴の一つである「業界横断的な取り組み」についても、個々の造船所が建造コスト引き下げや生産性の向上というような具体的な成果を上げて、初めて軌道に乗るものであり、初期の目的が達成できなければ意味はない。
 NSRP ASEは、制度、運用や個々のプロジェクトについて、日本の実態と比較すると非常に興味深いものである。確かに、米国造船業界の生産技術は、日本に比べ劣っている。しかし、研究開発の進め方、成果を業界全体に拡散させる方法、IT等の新技術への取り組み姿勢等については、日本の関係者の参考になる事例が決して少なくない。NSRP ASEの個別プロジェクトの成果はもちろんであるが、研究開発助成プログラムとしての終わり方(後継プログラムの有無を含め)や成果の生かされ方(MARITECHでは成果の活用方法に問題があった)等について、今後とも注目する必要がある。








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