3 歴史的建築物の調査結果
(1)旧武毛銀行本店(国指定登録有形文化財)
所在地 |
:下吉田3871-1 |
建築年 |
:大正7年(埼玉県大正建造物緊急調査報告書による) |
建築面積 |
:78m2(当初は約70m2の下屋があったが取り壊された) |
延面積 |
:146m2 |
敷地面積 |
:392m2 |
主体構造 |
:煉瓦造(埼玉県大正建造物緊急調査報告書による) |
屋根 |
:瓦葺 |
階数 |
:2階 |
所有者 |
:吉田町 |
▲正面現況
○現況
県内でも数少ない煉瓦造りの洋風建築物であり、デザインレベルは高い。特に二階の大広間は32m2を有し、装飾的な折上天井となっているなど格調の高い空間が維持されている。
近年、吉田町の住民団体によって、絵画や写真、陶芸作品などの展覧会、「はじめの一歩展」が開催され、新たな利活用が試みられている。
▲2階大広間
○歴史的経緯(青葉佐一氏へのヒアリング調査、および吉田町史による)
吉田宿では明治以前から金崎の方へ行っていた鶴見氏が吉田宿に金崎永保社を設立。これが武毛銀行の前身となる。後に金崎永保社は国神銀行となり、金融業共栄株式会社と合併し、明治35年には本店が現在の敷地に移され株式会社武毛銀行と改称された。
大正時代になると、肥土晴三郎氏他、下吉田の有力者が主体となり業務を拡張して社屋を新築することになり、大正8年頃に完成。大正9年の臨時株主総会時には、株主総数220人、資本金50万円となり、当時の秩父郡内では大宮町秩父銀行や小鹿野町西武銀行を越える大銀行となった。その後、大正11年に秩父銀行と合併した。
大正12年の震災により改修され、さらに、雨漏りを防ぐため昭和5年頃傾斜屋根となった。また、近年下屋が取り壊されたが、現在残っている建物は大火でも焼けず、当時のままである。 近年まで歴史民俗資料館として活用されていた。
▲昭和2年頃
敷地図 S:1/500
(拡大画面: 39 KB)
下屋取り壊し以前の平面図(出典:埼玉県大正建造物緊急調査報告書)
1階平面図 S:1/150
2階平面図 S:1/150
東側(正面)立面図 S:1/150
北側立面図 S:1/150
西側(裏面)立面図 S:1/150
南側立面図 S:1/150
○簡易耐震診断
外壁と基礎の状況から中地震に対して倒壊の危険性は低いと思われるが、組積造である可能性が高いことと経年劣化を考慮すると大地震に対しては安全とは言えないため、補強を考える必要がある。
簡易調査の限りでは躯体には耐久性上の深刻な問題は見当たらないため将来的にも使用可能であると思われる。
耐震補強の方法としては、建物内部から耐力壁に鉄板を面的に接着させる方法が適していると考えられる。