No.23 旧松の湯
切妻造、妻入の木造二階建ての建築であるが、間口約10間半の建物の正面に比較的軒高の高い庇屋根をかけ、「こみせ」屋根まで覆う特異なファサードを示す。また北側の正面には「松の湯」の象徴ともいえる枝振りのよい松の木が庇屋根から突き出している。すでに明治44年(1911)には公衆浴場として営業しているので、それ以前の建築といえる。浴場の内部の造作は上質で、広い脱衣室の天井は格天井であった。通り土間はなく、浴場の裏には居室が続き、屋敷奥には土蔵と「まきおきば」が配置されている。現所有者の佐藤寛氏によると、大正4年(1915)にこの松の湯を所有して以来、平成5年11月まで78年間営業してきたという(図3-48)。
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図3-48 旧松乃湯 図面
No.24 こみせ美術館
切妻造、妻入の木造二階建て店舗付住宅で、妻壁のデザインをはじめとして、「こみせ」の形式やその奥の店舗の蔀戸、二階の格子窓など、ファサードはほぼ完全な姿で伝統的形式をとどめている遺構である。この建築は大正2年(1913)に弘前郊外の造り酒屋の家を移築し、西谷家の住宅としたものである。同家は呉服店や質屋を営んできたが、現在は店舗部分で各種みやげものを扱っている。北側に2間幅の通り土間があり、店舗の裏には居室が2列に続き、二階の居室も表側、居間上、裏側の3か所に設置されていた。奥には2棟の土蔵が配置され、土蔵と店舗・主屋とに囲まれた比較的広い部分がここでは坪庭となっている。手前の土蔵には明治15年(1882)に建設されたことを示す墨書が、奥の土蔵には大正6年(1917)に大工棟梁・池内永太郎、石工・鈴木弥作らによって建設されたことを示す墨書がそれぞれ発見された。これらの土蔵も弘前から移築したものかどうかは不明である。なお、ここの「こみせ」には上が障子戸で下が板戸の蔀戸が一部残っており、参考になる(図3-49,50,51)。
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図3-49 こみせ美術館 図面1
図3-50 こみせ美術館 図面2
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図3-51 こみせ美術館 図面3