大潟村運動広場・大潟村水上スキー場
Cherry garden (総務接遇班)
「無意識のうちに「ソーリー」を連発」
早いものでWGが終了してから1ヶ月が経過しました。先日のアメリカ同時多発テロ事件があったためか、WGでの思い出がとても昔のことのように思えます。
組織委員会始めスタッフの皆様本当にご苦労様でした。
大会期間中は毎日が刺激的でした。「国際的ボランティアに参加したい」思いで、ボランティアをさせて頂きましたが、例えば、飲み物一つでも文化や表現の相違を感じました(欧米の方はウーロン茶を好まない、スポーツドリンクは和製英語で通用せず、選手は「アクエリアス」と固有名詞で要求、「レモンウォーター」とも話してきた)。
また、会話の大半は、Yes/No、ありがとう、すみません、数量が言えるだけで成立することも意外でした。
自分自身、失敗だったのは、手伝ってくれた選手に対して、無意識のうちに「ソーリー」を連発していたことです(「サンキュー」と自然に言いたかったのですが、習慣を覆すのは容易ではないですね。)。
また、スタッフの方々との出会いも忘れることができません。あの炎天下、誰一人疲労感を浮かべず、笑顔で活動でき、本当に素敵な時間でした。
仲間との出会いや大会の経験は、大げさかもしれませんが毎日の活力となり、また、英語でも何でも意欲的に取り組む姿勢を、より前へ向けることができました。
特に大潟村会場の皆さん、有難うございました。
素敵な一夏の思い出です。絶対に忘れません!!
菊地 神奈 (競技進行記録班)
「参加できたのは私の身近な人の理解や協力があったから」
大潟に住んでいる縁のあり、パラシューティングのお手伝いをしました。ビデオルーム担当で、選手が撮影してきた映像をダビングしていました。
大会2日目に、自衛隊のヘリに乗れるかもしれないという話が来ました。一人ではしゃいでいたのですが、ジャンケンで勝たないといけなかったのです。その日は結局負けて乗れませんでした。翌日、またそのチャンスが巡ってきました。そして、ギリギリ乗ることができました。上空から見た大潟村はとてもきれいでした。自分の短大も見えたし、遠くの海も見えました。
業務に関しては、機械の使い方がすぐに飲み込めず、同じビデオルームの方にほとんどやっていただきました。また、選手やジャッジの言っている英語が分からなくて通訳の方に助けていただきました。それから短大の先生や友達が見に来てくれたという話を聞いたときや、買い物をしたお店の人に「頑張ってね」と言われた時が嬉しかったです。
今考えてみると、ボランティアに参加できたのは、私の身近な人の理解や協力があったからだと思います。業務中もスタッフの方々に親切にしていただいたことがたくさんあり、本当にありがとうございました。
楽しい思い出をたくさん作ることができて良かったです。
大内 治子 (選手管理班)
「初めて見たパラシューティング」
ボランティアは初めての経験でした。うまくやれるか少々不安でしたが、班長さんが大変できた方で、気持よく仕事でき大変よかったです。
パラシューティングというスポーツも目の前でくり広げられるのを初めて見、感激しました。世界のトップとは本当にすばらしいものです。
このような又とない機会に何かしらお役に立てたと思うと、とても嬉しいです。
一緒に働いた皆さんお世話様でした。ありがとうございました。
乱筆乱文お許し下さい。
村井 美奈子 (総務班 受付案内係)
「選手や仲間との交流」
大会当日からミスしてしまう点が、準備期間にくらべてとても少なくなっていった気がします。
それも班長さんを先頭にボランティアリーダーの方達への信頼がとても大きいものだったからだと思います。「この人達ならついて行けそうだ」「ボランティアって何て楽しいんだろう」と心の底から感じることができました。
自分の目標の英語を使うことが出来て、とても充実したものでした。選手との交流も、仲間との交流もこんな楽しい夏休みはもう一生経験できない!!と思ってます。
短い間でしたがとても良い思い出になりました。(今でも選手との交流が続いています)
ありがとうございました。
石井 茂雄 (広報報道班)
「英語学習へのよい動機づけとなったはず」
人生に2度とないであろう感動と充実感を味わった。
秋田に住んでいても、このように国際色豊かでレベルの高い大会を開催し、県民の協力によって成功できたことは、大きな自信となった。又何か国際的な行事に取り組んでみたいような気持ちになった。
私は英語教育に携わっている者だが、生きた英語を学べる絶好の機会となり、WGを通し県民の英語のレベルは相当向上したはずである。隠れた大きな副産物を与えてもらったと思う。私自身、秋銀本店、秋田中央郵便、秋田市タクシードライバー240名の英会話研修、大潟村での2回のウエルカムパーティー、実際の会場等で生きた英語に触れることが出来、最高の機会に恵まれ、心から感謝している。特に中学生達が積極的に会話にトライしていたことは、英語教育の観点から素晴らしいことで感心した。英語学習へのよい動機づけとなったはず。
県民がそれぞれの立場で1つの目標に向かって協力し合い大きな成功を収めたことで、秋田県に大きな誇りを自信を感じた。
大潟会場は観客も多く、熱気に充ちていた。組織委員会や上層部でボランティアを動かしてくれた方には陰で相当に苦労されたことと思う。心から感謝したい。
<印象に残ったベスト5>
[1] 役員、選手を含め約70人と英語で会話したこと
[2] 村民広場と川辺に日本や外国の国歌が流れ、それぞれの国旗が掲揚されたこと(今後2度とないだろう)
[3] 勝利者インタビューの係で、英語と日本語で記録をまとめたこと。
[4] フランスの水上スキーの選手が競技中にコンタクトレンズを紛失し、五城目町の眼科に連れて行ったこと。
[5] 多くの有名人と話ができたこと。オランダのヘーシンク、フローリック会長、小野清子参議院議員、成田妹、アメリカウェークボード協会長他
極楽 豚坊 (総務班)
「戦場で、皆知恵を出し合って戦った」
「ボランティア」という響き、初めは、ためらいのような気持ちでした。でも、ボランティアというよりも、むしろ、W・Gというイベントに参加したいという気持ちが沸いてきて、同時に「私に何ができるのか?」「私にできることは何だろう?」という不安もありました。
ホテルから出勤(?)という形でスタート、チケット販売という係です。ここは、「頭で計算した金額」「口から出る金額」「手に持つ金額」この3つが必ずしも一致しないこともあるという現実を再認識。でも、これはどんな聖人君子でも仕方のないことです、と言いたいのです。何故なら、皆精杯一頑張ったのだから…。あのテント内の戦場で、皆知恵を出し合って戦ったのですよぉ…。
何はともあれ、W・Gというイベントに僅かながらも関わることができたことを誇りに思います。皆さん、本当にありがとうございました。感動と誇りは宝物です。
ただ、遠かったり、諸々の事情で、ボランティアのイベント等に参加できなかったのが、とても、とても、とても、心残りです。
木村 真澄 (選手管理班)
「あの時の選手は中東へ?」
私の仕事はパラシューティングのマニフェストだったので、選手の皆さんの近くに居りました。この競技者には軍人が多いそうでアメリカチームも空軍の方々と聞いておりました。
この度の同時テロ潰滅戦のため、彼らも中東に飛んだのだろうかと気にかかり、金メダルに輝いた彼らの姿が私の中で、かつてのサラエボを思わせます。
合田 範 (医療救護班)
「真撃な県職員と村職員」
私は、大潟村会場のみ担当でしたので、他会場はわかりませんが大潟村会場担当の県及び村職員の支援職員の真摯な又熱心な態度に我々ボランティアも自然と吸い込まれたのではないでしょうか!
水上スキー会場は晴天で入場券売場等は熱さで苦しかったけれども、班長・係長は適切な指導をしてくれた様に思います。感謝します。楽しかった仕事でした。
又、今回の英語研修も非常に有意義であったと思います。
佐々木 和昭 (競技施設班)
これからのイベント企画、ボランティア活動を行う上で大変参考になりました。
岩谷 作一 (警備・会場整理)
「WGという種を、より大きな花に」
ワールドゲームズ秋田大会が終わって早1ヶ月が過ぎた。時々通りかかる、あのにぎやかだったパラシューティングや水上スキー会場付近は、黄金色の稲穂にさわやかな秋風が吹き渡り、何事もなかったような静かな田園風景に戻っている。
1年前、30数年の教職生活を終えてWGボランティア登録をしたのが、きのうのようになつかしく思い浮かんでくる。
張り切って申し込んだ英語研修は途中で棄権してしまったが、大潟会場に決まってからは、県の担当職員や地元の職員の熱意に打たれ、できるだけ事前研修会にも参加した。
当時はこれほどまでしなくてもと思うこともあったが、今振り返ると、それなりに意義のある研修であったし、危機管理面からするともっと必要な準備もあったのではないかと思っている。
パラシューティングのボランティア活動は8月15日から始まったが、開会式のデモンストレーションが好評だったためか、1日目から予想以上の観客が詰め掛け、チケットをもぎる手にも力が入った。暑くて大変だったが、まるで米粒のように天空を舞う選手が、途中で大輪の花を咲かせて降りる姿には大きな感動を受け、笑顔で地上に降り立つ選手たちに惜しみない拍手が送られた。
3日目には、予想外にも本部の計らいで、選手と共にヘリに同乗し、彼らの強い緊張感と秋田の大地を眼下に見渡す機会を直に体験することができ、本当にラッキーであった。
台風11号の到来で、1日遅れの水上スキーもパラシューティングに劣らず多くの人々に感動を与えた種目だった。
特に開会式で選手宣誓をした、成田童夢・夢露兄妹の演技にひときわ大きな拍手が送られ、ニュースポーツの醍醐味を十分堪能できたのではないだろうか。
私にとって延べ7日間のボランティア体験は、“自ら進んで社会に役立つ仕事を無報酬で参加すること”の意義の大きさを教えてくれた得がたい機会となった。
パンフレットに「世界の国から、輝く太陽がやってくる」という一文があったが、たくさんの“太陽”から大きなエネルギーをいただいたのは、私だけではないはずである。この種を大切にし、より大きな花をまたみんなで咲かせたいものである。
ゆんゆん (総務班)
世界の一流選手の競技を目の前でみれたことは貴重な体験だった。
ボランティア同志で仲良くなれたし、友だちもできた。
能登谷 洋子 (総務班)
「コミュニケーションが大切」
組織委員会始めスタッフの皆様、本当にご苦労様でした。ボランティアの立場から見て、本当によく頑張ったと思います。
私はスタッフの指示に従って行動しただけでしたが、業務内容がよく分からないままでの開始でしたので、初日は右往左往しましたが、だんだん慣れてきました。
やはりコミュニケーションが一番大事なのではと思いました。皆さん目的は同じですから、あとは人間関係だけと思いました。
フジサン (警備交通班)
「出会いを楽しんだ」
今春退職後、初めてのボランティア活動でした。
開会式の総合案内班、パラシューティングと水上スキーの警備交通班を担当した。
11日間のボランティアでは、任された仕事を楽しみながら果たすことができたと自分なりに満足している。思いがけない出会いや外国人との交流機会もあり、一日一日が張り合いのある素晴らしい気分でした。
ボランティア活動は善意の奉仕であると解し、相手を思いやるサービスの提供のつもりでいたが、会場ではつらい任務もあった。
ヘリコプターによる危険区域の立ち入りを禁止するところやチケット不備の人がおり、縄張りを越えて立ち入る人の監視や場内整理で苦言や注意を言う立場であった。
しかし、これがボランティアかと何となくやるせない割り切れない気持ち、自分でも迷いをもった。
家族の心配をよそに、あの灼熱の太陽の下、早朝は6時から終わりは7時頃12〜13時間をボランティア活動にかけたが、自分の意気込みもさることながら家族の支えもあったからこそである。共に活動した仲間の日焼けした顔、腕が印象的でした。
60代以上のボランティアの人も結構参加していた。若年層の仲間とともにスムーズに活動できていたと思う。その知恵と経験が随所に活かされ、まとまりになっていた。彼らは以外にも気さくで打ち解け易く、共に出会いを求めているのがわかった。私とて同じ、出会いを楽しむことができた。
H19年の国体でもボランティア活動をしたいと考えているが、それまでの間も是非何かのお役に立ちたい。 皆さん声をかけて下さい。喜んで立ち上がります。 ワールドゲームズ秋田大会、ありがとうございました。
奈良 華代 (報道広報班)
「Thank you World Games 2001 AKITA」
すばらしい感動をありがとう!苦労もたくさんあったけど、それをはるかに上回る楽しかった事・嬉しかった事がありました。
予想以上の来場者数・英語での悪戦苦闘・選手との記念写真・目の前で見た競技の迫力・ボランティアの交流etc…
本当にすばらしい思い出になりました。 皆が“ワールドゲームズ成功”へ向って、心を一つにして頑張ったこと、きっとこれからの人生に大きな自信を与えてくれるでしょう!!
児玉 幸徳 (競技総務班)
「どうせやるなら楽しくやりましょう」
会場の班長の方がボランティアを行うにあたり、“どうせやるなら、楽しくやりましょう”とのこと。まったく同感致しました。
またその言葉のおかげで楽しく活動させて頂きました。本当にありがとうございました。