天王町総合体育館
yuko (総務班受付係)
「とまどい!そして感動」
大会がはじまり、自分が活動してみるまで、どのような対応をしたらよいのかわからず不安の中で進めていく形となった。
やはり思ってもみないようなことを聞かれたり、またそれを誰に聞いたらすぐ回答をくれるのかもわからなかった。競技団体の対応の仕方によって、こちら(ボランティア)の仕事の流れがスムーズにいくかいかないかも決まるのだと感じた。
今回ボランティア活動に参加して、思いもかけない人と知り合いになれたり、選手と身近で触れ合うことができ感動した。
いい経験ができたと思う。また何かの機会にボランティア活動に参加したいと思う。
安田 メイ (総務班選手役員係)
「大会各部の連絡不足が残念」
私は兵庫県西宮市から参りました安田メイです。
私は、開会式の医療班と空手道と相撲の選手役員係でした。
ボランティア活動の機会を私に下さって、秋田ワールドゲームズ2001組織委員会のみなさんに感謝の気持でいっぱいです。
この大会を通じてたくさんの友達ができて、いろんな人と巡り会って、そして、貴重な体験をさせていただいて、本当によかったと思っております。
私は、各国の選手達が試合中に相手をライバルの目で見る試合に対するその真剣さと、試合の後、相手を友達の目で見るその愛情あふれる友情を見ていると、なんと素晴らしいことでしょうと感動しました。そして、大会を支えている人々の真剣さと熱心さを見ていると、大会が成功したことは当たり前だと思います。本当におめでとうございます。自分も一員として誇りを持ってよい思い出を残すことができました。
ものには完壁にすることがむずかしいものもありますが、一つだけ残念なことがありました。それは大会の各部の連絡が不足なので、当日に本部とか連盟とかなどには意見不一致なところがあったのではないでしょうか。
でも、秋田の皆さんにはこのような体験が一度もなかったので、完壁な結果は誰にもできないと思います。
はじめての経験としては素晴らしかったと思います。ほめてあげたいと思います。
本当にワールドゲームズ2001の大成功おめでとうございます。
佐藤 弘子 (観客整理係)
「人間素直が一番!」
天王町総合体育館を会場に行われた、空手・相撲競技のボランティアを担当させて頂きました。
空手は自分自身、小学生時代に師範である父から習っていたこともあり、親しみを感じ、大会に協力できること、間近で選手と関われることに感激しました。
相撲競技では、観客の力の入れようには圧倒されるばかりでした。中には地元小中学生専用席が一番良い席だと文句を言い出すお客さんもいました。事情を説明し理解をして頂いたつもりが、ふと気がつくと3席チェーンをずらして、知らん顔で座っていたのです。声を掛けると「1席しかずらしていない!これ以上は譲れない!」と言い張り、私たちも理解を得られなかったことにショックを隠し切れない状態でした。しかし、その人々は私の近所の住人だったことが後日判明…出会った時に相手の方から話題に触れてきました。後になって自分でも気まずい思いをしていたようでした。
やはり、人間素直が一番!後味の悪かった出来事も、今となっては笑える良い思い出です。
研修を重ね、大会で協力し合っていくうちにボランティア同士の仲間意識も強くなり、一番嬉しいことは、WGが終わった今でも気の合う仲間として度々会っていられることです。
WGとは無関係に英会話を習い始めていた私は、これを期に親しくなれた地元ALTの方々との触れ合いで励まされることも沢山あります。
WGへの参加で私はステキな思い出と新しい自分の発見・素晴らしい仲間を得ることができました。
参加できて本当によかったと思っています。
佐々木 幸子 (警備係)
「楽しんだ8日間」
天王会場は空手、相撲でしたが外国の方と接することが多かった。片言の会話だけだったけどアスリートたちはわりとリラックスしていて私たちにも気軽に声をかけてくれた。
メダルのこわれた選手がいて代わりのメダルが彼女が帰る間際に届けられて皆で良かったと喜び合いました。
トラブルは何もなかったと言いたいが、それなりに対処しながら私達も皆でがんばって「最後のお疲れ様ありがとう」で皆笑顔で解散しました。
とにかく楽しかった、学んだの8日間でした。
西村 健一 (総務班 庶務係)
「選手対応の心配解消談」
WGボランティアとして活動参加に希望したものの、大会開催まで、数回の研修においてボランティアとしての心得を得たとは申せ、果たして、WG参加国の来訪選手に対しての対応が出来るのか不安であった。
しかし、バスで、会場に到着した数カ国の選手を迎えるに、不安が一気に解消された。国こそ違い、一人一人の挨拶は“オハヨー〜〜〜”の連発。相手は数カ国とは言っても、それぞれ日本語の、日常用語の要点を勉強して来訪するとは、つい知らず、対面早々思い知らされました。
お陰様で、単語語学を交え、曲なりにも大会期間中、皆様の足手まといになりながらも、何とか初期の目的を達成することが出来ました。
【好評であった日本食】
大会期間中、選手、ボランティア等に配布された弁当については、研修中、諸々の注意がございました。
国によって、副食肉の種類の相違があることをとくと聞かされ、弁当の配布の要点説明と心得、選手嗜好の相違ないように、大会当日の昼食時間を待ちをしました。
弁当は、外国人、日本人用と、別々に配布の違いが生じないように区別をいたし、選手の到来を待った。競技の終了と共に選手到来。洋食を外人選手に渡すものの“日本食に”目がくらみ取り換えの要請。
弁当区別の説明もままならず。限りある和食も、食文化と申されようか。外人選手の頼もしい競技エネルギーになったようでした。
武田 直美 (警備係)
「ワールドゲームズ2001私の夏」
一昨年の冬にボランティア登録を済ませたものの、送られてくるパンフレット類を横目に、ほとんど事前研修会に参加できない状態で本番を迎えました。
天王会場での“空手”“相撲”競技の4日間が私の業務でした。そのときの様子を少し振り返ってみます。
[1日目] 着替え室の警備(空手)
…誰もこない…
私ってボランティアしてるんだよなあ…
着替え室利用者わずか3人…
でもちょっとあいさつできたよ!
[2日目] 体育館横警備ドリンク配り(空手)
1日目とうって変わって忙しい、忙しい!
えっ!?コーラしか飲まないって?もうないよー!
[3日目] 役員室前警備(相撲)
初めてナマで見た選手の体格の大きさに、びっくり!
お弁当足りなくなった?量が?数が?
どこ行ったらいいのー?
[4日目] 表彰式進達
突然決まった浴衣での進達…とても緊張!
どっしりとした、メダル6つの重さにメダリストの
すごさを実感…。
以上、たった4日間のボランティアでしたが、とても刺激的で感動的な体験となりました。
この秋田の地でたくさんの人と出会えたこと、協力できたことは、私にとってかけがえのないものとなり、またこれからの私自身に大きく影響することでしょう。
ボランティアを支えてくれた方々、ボランティアとして(スタッフとして)一緒に頑張ったみなさんに心から感謝します。
小野 栄 (観客整理係)
「自分は自分の役割を一生懸命やれば!」
もともと自分は陸上競技の選手であり、空手、相撲とは違いますが、地元天王町で、しかも日本で、秋田で初めてのワールドゲームズとあって、ボランティアとして雑用しか出来ないが協力できたことを満足しています。
痛切に感じたことは、語学のできないことに劣等感を覚えました。戦前、戦中に育った者としてやむを得ないと考えました。
でも、若い人たちはそれなりに会話していたので、「自分は自分の役割を一生懸命やれば」と考えました。
最終打ち合わせ(8/10)に連絡無しに欠席してしまいましたが、その時IDカードを渡したそうでしたが、空手の準備に行ったがIDカードがなくてもらえず、いささか不満でした。
結局、空手の4日間はパスで過ごしました。(事務局の無責任を指摘したかった)相撲の時はIDカードが見つかったといただきましたので、記念にします。
すごく暑かったが、クーラーの設備により選手・観客も満足していました。
観客のマナーも良かったし、選手たちも満足した様子で良かったと思う。会場にもお茶の接待、おみやげなど外国選手も喜んでいた。
事前のマニュアルと当日の計画と違ったりして「なぜ?」と思ったが、臨機応変にしないと運営できないから仕方ないと指示に従った。大成功に終了したことを大いに喜びたいと思います。
佐藤 典隆 (競技総務班 通訳係)
「秋田の国際化のきっかけになったと確信」
天王町会場で通訳を担当した。学んだロシア語が活用できる絶好の機会だと思ってボランティアを引き受けた。空手競技でメキシコの女子選手が防具をホテルに忘れて困っていた。防具を買いたいといっていたが近くに防具店があるはずもなく、連盟と折衝して試合の時だけ貸すことにした。この時は片言の英語で対応した。
相撲競技では出場した外国13のうち、7力国がロシア語を理解できるということでフルにロシア語を駆使した。選手繰出係なので東西の控えに選手を待機させたり順番を知らせたりした。
カザフスタンの監督は話好きで、試合の合間に雑談をして親交を深めボランティア冥利を実感した。
また、ウズベキスタンの選手と男鹿の細川さんの会談した秋田魁新報のニュースが話題となり、翌日は会場が賑わいを見せた。ウズベキスタンの監督から新聞が欲しいとの要請をうけ本部と折衝したが会場には新聞がなかった。競技進行を優先しなければならないため、観客から新聞を借りてコピーして渡してあげたが監督は大喜びだった。
会場では婦人会が茶道や華道のセレモニーで選手たちを歓迎していた。日本の伝統文化であり説明に苦慮したが(例えばこれが花の顔になりますという表現など)片言の外国語で体験を楽しんでもらった。選手たちも自分の作品を写真におさめたり、サインを残したりとよい思い出になったと思う。このように競技以外の文化交流にも関わりを持つことができた事にも喜びを感じている。
今回の経験が民間外交の一助となり、秋田の国際化に少なからず影響を与える良いきっかけになったものと確信している。
機会を与えていただいた事務局に感謝し、今後もこのようなイベントがあれば協力をしていきたいものだ。
佐藤 聡子 (観客整理班)
「ワールドゲームズは閉幕しても、私達の国際交流は現在進行形」
一生のうち、これ程の大イベントに参加できるのは何回あるのだろう。そんな思いからボランティア活動に申し込みしました。
参加している誰もが「当日になってみないとどんな状況になるのかわからない。」という不安を抱えていたと思います。しかし幸いなことに、私たちの会場の事務局は親切で一生懸命な方が多く、不都合があれば対応策を考え、次の日には解決されている、という行動力を持っていたため、私達は恵まれた環境で働けたのではないかと思います。
但し、スタッフの中には、自らボランティア志願をしたとは思えないような人もいて、いつも暇そうにしているのが目につき、とても残念でした。
個人的には、好きな英語を通して多くの外国人と接したい、という野心(!?)を抱いていたので、できるだけ選手・役員に挨拶するように心掛けました。
偶然にも配置された近くに生け花体験コーナーと抹茶のお茶席があり、外国人に簡単な説明をする機会に恵まれました。そのおかげで、フィンランドの空手の女性コーチと交流を深めることが出来、彼女の帰国後メール交換をしています。
その他にも、今回の活動を通じて知り合った仲間達と親睦を深め、みんなで度々集まっては楽しんでいます。
ワールドゲームズは閉幕しても、私達の国際交流は現在進行形なのです。
最後に、私自身精神的にも実質的にも得るものが多かった大会でしたが、秋田県及び県民一人一人がこれを機に向上心を持って前進して欲しいと思います。
秋田の違う一面が見れた良いイベントでした。参加させていただいたことに感謝と共に誇りを感じています。
高橋 美智子 (警備係)
「理解出来ない事実に呆然」
選手の控所にするという建物に、その会場作りに行った時、トイレは足を踏み込むのも恐いくらいの汚れ様、得体の知れない汚物が散乱、シャワー室は何年も使用していないとの事で、こびりついた土ぼこり、サビまでついたタイル、穴の空いた窓ガラス、これが公共の施設か、しかも本日から使用するというのに、誰もこの現状を見ていないのかと理解出来ない事実に呆然。が、しかし、目の前にはすでに選手達の姿が…。夢中で掃除しました。私とその時一緒に建物を見に来た男の方と。
しかし、トイレ・シャワールームは私1人で水びたしになって。終わって皆(ボランティア)の所に帰ったら「どこに行ってたの?」と言われ、今して来た仕事の内容など話す気力もなく、午後の作業の前に昼食の弁当を持参し、家に帰り、シャワーをあびる。
グショグショにぬれたシャツやズボン、今見たトイレの汚物が頭から離れず気持が悪い。昼食をとる時間がなく、そのまま戻ると午後の作業はまだ始まってなく、それから3,40分も待たされる。
☆目の前で、外国の1人の選手と夜、会う約束をするボランティアの女子高生。
☆仕事の割り振りしたのに当日来ず、偶然その方が会場で自由に飲めた飲物を持参し、観客になってました。IDカードを首に下げて。
☆開会式終了後、機材運搬のトラックを会場に入れて良いかと聞きに来た人への答えはタライ廻しが、1時間半もかかった。
そしてツラツラ考えて、ボランティアとは全くの“自己満足”でしかないという結論に達しました。が、しかし、前記の1人でした作業は誰にも言うまいとは思ってましたが、今考えが変わりました。
決して怒っているのではなく、これが秋田のワールドゲームズなのです。
小玉 諒太 (観客整理係)
「一番楽しかったのは年齢差のかなりある仲間達と最後までやり遂げたこと」
「☆△□☆×…?」う〜ん。何て言っているんだろう。
私は彼のベネズエラ語が理解できなかった。
しかし、次の瞬間、彼は男性がするおしっこのしぐさをした。それで彼をお手洗いまで連れていったが、英語が分かれば全てOKだろうと思っていた私には、ちょっとした驚きだった。そして彼から返ってきた「ありがとうございます」という日本語と笑顔は新鮮な驚きだった。
でも、やっぱり一番楽しかったのは年齢差のかなりある仲間達と最後までやり遂げたこと。
一緒に流した汗は心地よかったし、その生き生きとした瞳は忘れることができない。
こんなWGに参加できてうれしく思う。ありがとう。