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ごあいさつ
 
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(財)秋田ワールドゲームズ2001組織委員会 会長
The Organizing Committee for the World Games2001AKITA
President
林 善次郎
 2001年8月、秋田で開かれた第6回ワールドゲームズは、たくさんの感動を残すことができました。そして多くの方々からお褒めの言葉をいただき、新聞、テレビはじめいくつものメディアからも高い評価をいただきました。主催者としてともに準備にあたってきた国際ワールドゲームズ協会と参加競技の世界連盟はもとより、文部科学省や外務省、防衛庁などの国の機関、国際オリンピック委員会や日本オリンピック委員会、日本ワールドゲームズ協会などのスポーツ統括団体はじめ数多くの方々のご支援、ご協力があったからこその成果です。本当にありがとうございました。
 秋田がワールドゲームズに名乗りをあげた1994年当時、このイベントが何なのか知っている方は県内も含め日本ではほんの僅かでした。招致運動の中核だった県内の若手経済人すら、観戦経験者は皆無でした。しかしムードは、いつの間にか誘致へ…。秋田の現状に対する危機感、何とかしたいという情熱、面白そうだという遊び心…。それらがない交ぜになって突き動かしたにしても、底にあるものはこのイベントの可能性への確信でした。
 開催決定後の第5回大会(1997年、フィンランド)はその可能性をかすかに感じさせてはくれましたが、厳しい意見が多いのが現実でした。いわばゼロ以下から準備はスタートしたと言っても過言ではありません。
 秋田でも世界が注目する大会を開くことができる、21世紀初頭秋田発の情報を世界に発信できる、それによる県民の自信、とりわけ子供たちが夢と国際性を感受できる絶好の機会ではないか…。思いは一挙にふくらんでいきました。いくつもの開催目的をどうずれば実現できるか。暗中模索を重ね、事業の大枠を見直して開催契約者である秋田県と再協議に入ったのが大会2年前。県議会の承認を得るまでにさらに半年という薄氷を踏むようなスケジュールでした。
 雨降って地固まる。結果的にこの後、県ならびに開催市町村の協力態勢は以前にも増して強くなり、がっちりスクラムを組んで短距離走にも似た残された1年半を駆け抜けました。民間と行政の結束力、ひいては秋田県の底力がワールドゲームズ秋田大会を爆発的なイベントに盛り上げたのだと思います。秋田県にとって、これをやり遂げたという自信、そして、その自信を将来に活かしてこそ「有形、無形の財産」となるのではなかろうかと、強く感じます。
 開催目的の達成度は、十分自負できるものと、次の世代にどれだけ継承できたかを見極めなければ結論を出せないものとがあります。新しいスポーツ大会のかたちを提案するという目的もかなり達成できたと確信していますが、どんな形で生かされていくかはオリンピックはじめ世界のスポーツ界を見守るしかありません。
 ワールドゲームズはある意味で、旧ソ連邦のアフガニスタン侵攻を機に生まれました。20年目の秋田大会が終わった直後に米国中枢同時テロが発生し、アフガンヘの報復、そして新たなテロの不安と緊張に世界中が覆われています。歴史の因縁のようなものを感じます。国家や民族、宗教の違いを超えてスポーツを楽しめることがいかに素晴らしいことか、秋田大会は世界に向けてメッセージを送りました。それがいつまでも、世界中の人たちの心に残ることを願っています。
 
 
 
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国際ワールドゲームズ協会 会長
International World Games Association (IWGA)
President
ロン・フローリック
 秋田大会にかかわられた秋田組織委員会、加盟国際スポーツ連盟、選手、運営担当者、コーチ、審判の皆様、ワールドゲームズ2001秋田大会の成功について少し振り返ってみたいと思います。
 開会式での秋田県民の献身的な支援と満員のスタジアム。私はあれを見て、ワールドゲームズ秋田大会の成功を確信しました。ケバン・ゴスパーIOC副会長を含め参加者全員が楽しんだ素晴らしい開会式は、ワールドゲームズを開幕と同時に一段高い大会へと押し上げてくれました。これを実現した秋田組織委員会に賛辞を送ります。
 秋田市内は11,000枚の幟や旗で装飾されて活気にあふれ、すべての競技会場も飾り付けが行き届き、表彰式でのメダル授与と国歌演奏、国旗掲揚もすべて組織委員会によってスムーズに運営されていました。市内中心部に設けられたワールドゲームズプラザは素晴らしい選手の交流の場となりましたし、大会半ばに開かれたワールドゲームズパーティーも選手たちにとっては最高の思い出の一つとなったはずです。
 秋田を訪れた多くの国際スポーツ連盟、IOC委員、各国オリンピック委員会、そして招待客の皆様から賞賛の言葉をいただきました。また、何人ものIWGA役員は大会期間中毎晩遅く放送されたNHKの特別番組を見て、高く評価していました。
 すべての点において秋田組織委員会の傑出した仕事のお陰で、参加者の皆様とりわけ選手たちがこれまでで最高の大会と感じ、楽しみました。秋田県、組織委員会、そして秋田県民の皆様に感謝申し上げます。
 
 
 
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秋田県知事
Akita Prefecture
Governor
寺田 典城
 第6回ワールドゲームズの開催地を代表いたしまして、選手役員、競技関係者、運営主体である(財)秋田ワールドゲームズ2001組織委員会をはじめ、この大会のために結集し、御尽力いただいたすべての皆様に心からお礼申し上げます。
 本県にとって初めての国際総合スポーツ大会であり、それもアジアで初めて行われたこの大会で、世界のトップアスリートが繰り広げた熱戦の数々はたくさんの人を魅了し、すばらしい開会式とともに新鮮な感動を私たちに与えてくれました。
 組織委員会の下にボランティアをはじめ運営スタッフが一致協力し、難しい幾多の課題を一つ一つ乗り越えながら成し遂げたこの大会に、県民は大きな自信と誇りをもたれたものと確信しております。
 また、大会を契機として多くの方々を対象に語学や接遇研修を行うとともに、学校、団体による競技体験や文化イベントを通じ外国の人々と交流を実践できたことは、本県の国際化を大きく前進させたものと思います。
 さらに、世界に向け秋田の情報を発信できたほか、ニュースポーツを通じたまち興しの気運も生まれるなど、5年前の立候補の際に期待した以上の多くの成果を生み出すことができました。
 この大会の成功は、いつまでも県民の心に輝き続けるとともに、明日を担う青少年に大きな夢と希望を与えることでしょう。
 今後、この大会を通じて得た県民の皆様のボランティアの精神や温かいもてなしの心など数多くのかけがえのない財産をしっかりと役立てながら、21世紀の新しい秋田づくりに努めてまいりますので、皆様の一層の御支援、御協力をお願い申し上げます。








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