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新たな“生と死”を求めて 12
尾崎 雄
(プロフィール)1942年6月生まれ、フリージャーナリスト、老・病・死を考える会世話人、元日本経済新聞編集委員。著書に「人間らしく死にたい」(日本経済新聞社)、「介護保険に賭ける男たち」(日経事業出版社)ほか。現在仙台白百合女子大学で非常勤講師として死生学、終末ケア論等を教える。
●エッセイ●
「チップス先生」こんにちは
 1933年晩秋のある日、英国紳士のチップス先生は85歳でなくなった。永年教鞭をとった古巣の学校と通り一つ隔てた我が家で。
 そのとき漏らした言葉は「何千も……何千もね……それが皆、男の子ばかりでね……」。63年前、ブルックフィールド校の新米教師として初めて教壇に立ったときの思い出話を幼い新入生に語って聞かせた直後に倒れ、駆けつけた校長らに看取られて、幸せな一生を安らかに閉じた。最期の言葉は生涯に何千人もの生徒を育てあげたのだという達成感と自負の表現。映画・演劇にもなった英国の小説「チップス先生さようなら」(ジェームズ・ヒルトン著・新潮文庫)の感動的なラストシーン。文学に描かれた理想的な死に方である。
 本名チップリング、人呼んでチップス先生は英国のパブリックスクール(中高一貫・全寮制の私立男子校)の伝統と良心を体現した人物。冴え渡るユーモアとジョークそして諧謔を周囲に振りまきながら、あるときは厳しく、あるときは寛容に、腕白盛りの生徒に接して尊敬と愛情を勝ち取ったミスターパブリックスクールともいうべき存在だが、実はそのかたときも人をそらさぬユーモラスな人柄の深奥には辛い死別体験があった。
 中年のころ親子ほども年下の才媛と結婚。幸せな家庭生活に恵まれるが、それもっかの間、出産に失敗、最愛の妻と名前も持てぬ子どもを同時になくすというどん底に突き落とされたことがあった。チップス先生が生徒からも同僚教師からも一目置かれる名物教師として磨きがかかったのはその不幸から立ち直ってからである。
 私がアメリカのホスピス視察に行ったとき一人の高校教師と道連れになった。関西学院高等部で社会科を教える古田晴彦さん。チップス先生とは違うタイプの教師だが、彼にも辛い思い出がある。がんを患った妻を大阪の淀川キリスト教病院のホスピスで看取った。この体験を自分の仕事に活かそうと今年から勤め先の高校でデスエデュケーション(死への準備教育)を実施している。
 上智大学教授A・デーケン著「生と死の教育」(岩波書店)によるとドイツでは国・公立の中学・高校では毎週、宗教の時間があり、その中で死への準備教育が行われている。すなわち「死という現象を、哲学・医学・心理学・歴史・文学・比較宗教学などの学際的なアプローチから自由に考えさせる。あくまでも生徒自身の自立した思考を促すための学習であり、特定の死生観を押しつけるものではない」(同書)。
 かつて我が国でも、ちょっとした私立校にはチップス先生に似た名物教師が一人か二人いたものだ。私の母校にもそんな教師が数人おり大学受験の足しにはならぬリベラルなものの見方考え方を吹き込んでくれた。
 おそらく生と死の教育も大学受験勉強の妨げにはなっても足しにはならないだろう。しかし、中学・高校生があっけなく人を殺し、医師が人間の命を軽んじているとしか思えないような医療ミスが頻発する世相を見るにつけ、生と死の教育は小学生から医学生まで義務付けるべきであると思う。受験の役に立たないことを教える現代のチップス先生が一人でも増えて欲しいものである。 (了)








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