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地域のふれあいの多さ、役割の多さが長寿の秘訣!
 今回、佐敷町の高齢者の方からはとうとう「一人暮らしのここが不安」という話は聞けなかった。これにはちょっと驚いた。これまでの取材で他の地に出向いても、「将来がとても不安」という声が多いからだ。取材には遠慮しがちという気質を割り引いても、やはり老いに自然に向かい合いながらもたくましく生きる姿には教えられるものがある。
 沖縄の人は、盆と正月以外にもしょっちゅう皆で集まるのが好き、恥ずかしがり屋だけどパーティー好き、という。そういう気風のあるところへ、行政も保健事業などとして、高齢者の集まる機会を数多くつくっている。老人福祉施設も公民館もフル活動、施設利用は100%、野菜集荷所は90歳過ぎても自分で運転して集まってくる高齢者の広場になっている。
 気軽に外出できる場所が多いこと、自分の役目が果たせること、大勢の人とのふれあいがあること、人の輪の中にいれば、一人暮らしも捨てたものではない。何より自分を表現する機会がたくさんあれば、必要以上に嘆いたり憤慨したりすることもなく、いくつになっても自然にありのままに生きられるのではないか、という意を強くした。
 家族と住んでいても無視されたり過保護過ぎたりして寂しく感じる人もいる。家族の中の孤独は一人の孤独より数倍辛い。一人暮らしを支える仕組みづくりというととても難しい響きがあるが、まずは私たちが気軽にふれあい、集い合いさえずればいい、そこから解決できることも多いのではないか。2、3日なのに明るい南の太陽のもとで元気な高齢者の笑顔とたくさん出会って、すっかり楽天家になってしまったようだ。
ドイツから一人暮らしの思い…
今回、この記事に合わせてドイツ在住の2人の日本人女性にも現地で話を聞くことができた。
異国の地に暮らす一人暮らしの思いとは…。
「病気になったとき、むしろ一人でよかったと思う」
伊藤小枝子さん(77歳)
 現役の語学教師としてデュッセルドルフ市内目抜き通りのオフィス兼アパートに一人暮らし。日本人にはドイツ語を、ドイツ人には日本語を教える毎日。合間を縫ってボランティア(受講料をアフリカのベニンに学校を建設するため寄付など)、趣味の活動と多忙な日々。くたびれるとサウナでリフレッシュ。老後を外国で暮らそうという人にアドバイスがありますか、と尋ねると、「それには賛成しかねるの。旅行するのはいいけれど、住むとなると生活の細かいこと、たとえば水道が漏れたとか電気代、賃貸料のトラブル、大家さんとの交渉、食べるもの、習慣の違い、生きるだけで疲労困ぱいしますよ。言葉に不自由しなくても大変なのですから」
 一人で良かったと思うのは「本当に具合が悪くなってじたばたしたとき。きっと一緒にいる人にすごく心配かけると思うから」と。その言葉に自立して暮らす芯の強さを見た。
 
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「お節介すぎず、冷た過ぎず」
E・Kさん(66歳)
 K子さんは今迷っている。40歳で渡独、日系企業の定年を前に退社した。病気がちだったこともあり、日本に帰ろうかどうしようか思案中だという。外国での一人暮らしは、やっと勝ち取った自由だと思えた。だから、多少の不安があってもやむを得ないと、あまり意識してこなかったが、病気になっていろいろ考えさせられたという。
 現在は8軒のうち5軒が一人暮らしの老人という集合アパートに住んでいる。お互いに干渉しないけれど、助け合って暮らしている。たとえばK子さんが風邪を引くと、うつるのはいやと、電話で具合を聞いてくる。ドアの下に買い物のメモを挟んでおくと、買ってきて領収書と一緒に置いてくれる。今度はK子さんがお金を袋に入れてドアノブにかけておく、といった具合。
 「ついでに私のドイツ語のスペルを直してくれたりもする」と笑う。そんな知人が老人福祉施設に入ったので見学がてら面会に行った。部屋のくぼみにベッドがあり、カーテンを引くと普通に応接できる空間となる構造には感心した。が、「ほぼ理想なんだけど、私が暮らすところではない」と感じたという。ただ、たとえ施設に入っても、自分のできることを登録して、ふさわしいボランティアを探してやっていく、というシステムには興味がある。
 「してもらうだけではいや、という気持ちはドイツの人のほうが強いかもしれませんね。こちらはいくつになっても自立は当たり前という風潮があり、鍛えられました」。目下のところ、迷いながらも日本の現状を調査して、少しずつ帰国の準備をしている。








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