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新たな“生と死”を求めて 11
 尾崎 雄
(プロフィール)1942年6月生まれ、フリージャーナリスト、老・病・死を考える会世話人、元日本経済新聞編集委員。著書に「人間らしく死にたい」(日本経済新聞社)、「介護保険に賭ける男たち」(日経事業出版社)ほか。現在仙台白百合女子大学で非常勤講師として死生学、終末ケア論等を教える。
●エッセイ●
ワシントンのエイズ・ホスピスで聖女に会う
 
 昨年の9月、あるホスピス視察団に加わってワシントンDCの「ギフト・オブ・ピース」を訪ねた。1986年、マザーテレサが貧しいエイズ患者のため作ったホスピスである。緑の丘に建つ2階建ての煉瓦館。屋根に十字架を戴き前庭に白いキリスト像が立つ。壁に「チャリティー女子修道院海外宣教団 ギフト・オブ・ピース」とシンプルな文字。キリスト頭上の青空高く星条旗が翻っていた。
 陽光が溢れる2階のテラスには車イスや盲目の患者が日光浴を楽しみ、広いリビングルームでは患者たちがチェスを打ったり、ソファに寝そべったり、音楽を聞いたりしていた。たまたまリビングでくつろいでいた患者9人は黒人、アジア系など全員エスニック。殺人犯だったこともある高齢患者も。定員はエイズ患者だけで15〜16人。ほかに精神病、身体障害者などあらゆる病気の患者を受け入れている。瀕死の重症でここに来て同復し、そのまま居着いてボランティアをしている元患者も。いまは3人の元患者が他の患者のオムツ交換や入浴介助などを手伝っている。
 50人の修道女がケアにあたり、うち3人が看護婦、9人が見習い修道女。メディケアなど政府医療保険の適用を受けず、運営費はすべて寄付や献金で賄い、神に仕える女性たちとボランティアの労働と地域の病院の協力によって支えられている。エイズに対する偏見から設立当初は地元住民に拒まれたが、今は地域に溶け込み、在宅患者のホスピス・ケアもする……。
 亡きマザーテレサから引き継いだミッションを静かに説明する責任者はカナダ人のシスター・ビンセント(写真)。年のころは30歳代前半。スラリとした長身にサリーがよく似合う。胸に組んだ指とサリーの裾からのぞく素足は労働に鍛えられ太くたくましい。
「とりわけ信仰心の篤い環境に生まれ育ったわけではありませんが、人のためになりたくて看護婦になりました。恋も結婚もしたかったし、子どももつくりたかったけれども何かに導かれるようにここまで来ました。天啓を受けたのです」
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 彼女がケアの苦労には一言も触れず、ミス・ビンセントからシスター・ビンセントに生まれ変わった経緯を語ると、視察団の面々はハッと目覚めた。はるばる何のためにアメリカに来たのか? ホスピスの原点に引き戻されたのである。
 ある外科医は述懐する。「視察団にはホスピスという“ハコモノ”を学びに来た方が少なくなかったと思いますが、彼女の真摯な生き方や人格に感化され、ホスピスは施設ではなく理念だということを理解しました」。老健施設長の医師は自分に、こう言い聞かせた。「目の前に困っている人がいて、その人たちを支えたいという気持ちがあれば、人も金も自ずとついてくるはずだ」
 日本から来た迷える子羊の群れはマザーテレサの後継者から授けられたギフトを胸に次の視察地ニューヨークに発ったのである。








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