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新春特別対談
世界の中の日本
複雑な時代に求められる自覚と責任
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さわやか福祉財団会長
(慶應義塾大学名誉教授)石川 忠雄
21世紀は新しい社会構造への分岐点
いかに乗り越えるのか?
 堀田 新しい世紀になって一年が過ぎましたが、これまでのご指摘のとおり、複雑な世紀を予兆させる事象がさまざまに起こりました。
 石川 本当に。21世紀が非常に複雑な世紀になるであろうということはいまや確実でしょう。社会の仕組みがとても複雑になりましたし、国家間の貧富の差も拡大しています。旧来の常識では律せられなくなっているんですよ。
 
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さわやか福祉財団理事長 堀田 力
 堀田 私は、21世紀最大の課題は、人類が持続的に発展しながら、しかもあらゆる人がより幸せになれる世界を実現することだと思っているのですが、現実には、前世紀には陰に隠れていた問題が目の前に一気に押し寄せてきています。
 大きな過渡期というかこの分岐点を、何とか乗り越えないといけないのですが、人口問題一つをとっても、2050年には人口が100億人を突破するといわれる一方で、食料資源は適正に配分しても生存可能な人口は70億から80億人程度といわれ、深刻な状況は何も変わっていません。このままでは下手をすると社会の枠組みが変わる前に、世界的な資源枯渇や環境破壊が起きてしまいます。先進諸国を含めた人類全体が貧困と崩壊への道に逆戻りしかねない状況をいったいどう抜け出すのか。
 石川 私がまず思うのは、もうこれからは、長い予見をすることは難しいだろうということですね。もうわからないですよ。
 堀田 これまでであれば、長期的視野で社会の方向性を予測して、そこから今どうあるべきかを考えるということが当然の理でしたが、これからはそれもだんだん難しくなってきたと。
 石川 そうですね。一途に経済発展を目指してすすめる時代ではもうないですから、以前のようにすっきり将来を割り切ることができないんですよ。だから大変に身の処し方が難しい。ただ、いくつか特徴はいえると思うんです。21世紀は国が開き合ってお互いの影響度がさらに大きくなるだろう。社会主義対資本主義という時代は終わり、両方の体制が融合していく時代になるだろう。にもかかわらず対立的な要素はたぶんいくつも残るだろう、とかですね。だからできることは、とにかく短期的な事象の対応に尽力して、それを連続して続けていく、それしかないんじゃないですか。
 文明が進むにつれてこんなことになるとはどうしたものか、こんな状態はそう長く続かないと思いたいけれど、ここ1、2年そうした心配がとても強いんですよ。悲観的で申し訳ないんだけれども(苦笑)。
日本は変われるか?
先進諸国に求められる役割とは
 堀田 いえいえ。私も、発展途上国・先進諸国がそれぞれに問題を解決して新しい世界観ができるまでに数十年から下手をすると2世紀くらいは覚悟しなければいけないと思っているんです。その間、今でも消費エネルギーは猛烈に増えて、環境破壊もどんどん進んでいます。一方で人口増加は一番根底の原因が発展途上国の貧困にありますから、工業化、産業化による経済レベルの向上も必要。彼らの暮らしは子どもの労働力にかかっていますし、その子どもが死ぬ確率も高いから多産多死の状況を変えられないという悪循環なんですね。
 石川 これは本当に難しいですよ。先進諸国がさんざん旨味を享受してきた中で、発展途上国にだめだと言ったってなかなか聞く訳がありません。中国はそのいい例ですね。日本人もいろいろアドバイスしているんですが、自分に欠けているものを追いかけるほうが強いですから。公害問題もようやく論じるようになったけれども、しかし、もう手遅れです。相当ひどいですよ。あまり語られないけれども、四川省の成都、重慶、広東、上海…。北京の公害も大変な状況です。
 それでも、我々の責任として、経済発展の代わりに何を失ったのか、その失敗を教えていく努力を続けていくべきなんです。そのためにも、まず、我々自身が起きた結果を認識しなくてはいけないんですが、どうもまだまだ足りませんね。
 堀田 新しい経済国家の姿を、我々先進諸国がどう範として示せるかが試されているのでしょう。過度に物質的豊かさを追うのではなくて、もっとそれを心の豊かさの面から楽しむ、知恵を絞ってそうした豊かさを提供する経済が理想だと思うんですが、ただし経済の仕組みは本来利潤追求に走るものですから、これを可能にさせるには、人が価値観を変えるしかありません。日本でも「モノから心へ」という流れは少しずつ根付いていると思うんですが、本音のところではまだ心許ないのも事実なんです。
 石川 ええ、ぼくはぜんぜん心許ないんです(笑)、堀田さんより悲観的ですよ(笑)。
 堀田 日本もリーダーシップを取れ、と世界各国から求められてくるわけですからその責任は重大なんですがね。今後もそうした要求はどんどん強くなるでしょうし。
 今回のテロ爆破事件、対アフガン紛争でもそうですね、日本は平和憲法で武力行使はしないと宣言しています。一方で、ああしたテロや暴力行為は絶対に排除しなければなりません。憲法が想定しているのは侵略的戦争行為ですが、憲法の想定外の、紛争抑圧のための武力行使、むしろ国際平和維持のための世界警察的な武力行使にもまったく参加しないのか。国連をきちんと通して、手段・方法について皆の合意を得ることは必要ですが、従来の聖域に踏み込む必要がある時代になったことは確かでしょう。
 石川 世界の中で日本はどうすべきなのか、これからの時代にどういう責任を果たしていくべきなのか、日本自身が主体的に真剣に考えて答えを出さないといけません。皆で自国の都合や利益だけ言っていても何も変わりませんし、特に先進国から譲る気持ちがないと、発展途上国は絶対に納得しませんよ。
 堀田 おっしゃる通りですね。今回の「京都議定書」の議論でも、本来ならアメリカが譲歩すべきもので、もっとも率先して範を示すべきなんです。
 石川 脱退するなどというのは、私はちょっと考えられないですね。やっぱり、自分の都合ばかり考えてはいけないですよ。弊害はいつかアメリカにも戻ってくるんですから。
 堀田 日本は今回の議論を見ていてもアメリカに従うという姿勢が強すぎますね。ずいぶん引っ張られてしまいました。それでアメリカが喜ぶかというと短期的には喜ぶでしょうが、長期的には尊敬されません。
 石川 世界の環境問題のためとか、自国の利益ではない要求であれば、しっかりと日本は意見を言うべきなんです。アメリカが同調するかどうかわからないけれども、相手はそれを言われたからどうっていうことはないんですよ。中国へ遠慮し、アメリカへ遠慮しているだけでは、どうかと思いますね。おそらくアメリカ人でもわかっている人はそう言うでしょう。遠慮しすぎだから日本はだめなんです。何でも「イエス」と言っていたら最後は信用を失います。
複雑な時代をどう生きるか?
互いに認め合える温かい社会を
 堀田 その意味でもこれからの時代を生きる子どもたちへの教育はとても重要です。複雑な時代の中で、自己を大切にし、しかし同様に他人も大切に思えるような人間に育ってもらわないといけません。
 石川 本当にそうです。だから暢気な顔をして生きている若い人を見ると、「大丈夫かな」とも思うんです。こうした時代に即応した人間になっているならいいんですが、どうもそうでない人間がずいぶん育っているでしょう。そもそも日本でこれだけ学校に行かない子どもが増えるなんて考えられませんから。
 堀田 本当に深刻な状況です。
 石川 私の時代でも精神的な病気を持った子が周りにいたけれども、皆でかばったものです。でも今は平気でいじめてしまう。文部大臣が「13万人も不登校の子がいる」というのを平気で数字で発表できることがおかしいんです。教育者だったらいかにその数を減らすかということを考えなきゃいけない。その意味で、戦後の教育は人間教育についても学問についてもあまりうまくいったとは思えませんね。
 国も「考える力」とか「道徳的な力」とか言っていますが、それを今の教育のやり方で果たして養えるかどうかが問題で、私はできないと思いますよ。かえって逆のことを数多くやっているんじゃないかと心配しています。
 堀田 日本の教育でいえば私も二つ大きな問題があると思っています。まず経済的に稼げる人間をつくるという点で教育を進めてきたこと。もっとそれぞれの個性を生かした教育、心の豊かさを重視した教育が必要だったはずなんです。それと何のために学ぶのかという目的ですね。自己利益、あるいは国益尊重だけを目指していて、人を愛すること、地球人として生きる教育がなされてこなかったこと。
 石川 そうですね。それと戦前は、いいか悪いかは別にして上昇志向もありましたし、いやにアカデミックな学生もいましたけど、みんな夢を持っていたでしょう。でも今は大学を出る時になっても何になるかは考えるけど、何をやろうかというのはあまり考えない。何になるかは目的を達するためのあくまで手段だということをぜひ認識してほしい。
 堀田 そもそも範になるべき大人がしっかりしないといけないんですが、どうも大人のほうが予見できない社会の中で自信を喪失しているというか。
 石川 日本は諸外国に比べてもひどいんでしょうね。「迷える羊」じゃないですか。
 堀田 残念ながら男はずいぶんへたっています(笑)。でもこれまで非常に苦労し、社会の壁にはねつけられてきたはずの女性はとても元気なんですね。なぜかというと、彼女たちは市民社会という新しい時代の生き方の本質を感覚的に理解できているからだと思うんです。だから男も古い衣を脱ぎ捨てて新しい社会のあり様をしっかりと直視する。組織も絶対ではないし、国すらも絶対ではない。誰だってどの国の人だって同じように幸せになりたいんです。そう思えれば、互いに自己を生かし認め合って生きる社会が自然とつくられていくと思います。
 石川 従来の習慣やしがらみがあると、自ら変わるのはなかなか難しいですから、こうしてさわやか福祉財団でやっているような活動は、社会に対する意識啓発というか、一つの大きな教育として、とても重要なことだと思っています。
 どうも私は最近心配事ばかりなのですが、でも、日本人の持っている生命力というものがまったく枯渇してしまったのかといえば、そんなことはこの国の国民はないだろうとも思いたいですね。今までずいぶん苦しい目に遭ってきましたけれど、しかし何とか切り抜けてきました。その力がいつか発揮されるんじゃないか。ぜひそうした人たちがどんどん社会に出てきて私の心配を打ち消してくれることを願っています(笑)。








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