新たな“生と死”を求めて 9
尾崎 雄
(プロフィール)1942年6月生まれ、フリージャーナリスト、老・病・死を考える会世話人、元日本経済新聞編集委員。著書に「人間らしく死にたい」(日本経済新聞社)、「介護保険に賭ける男たち」(日経事業出版社)ほか。現在仙台白百合女子大学で非常勤講師として死生学、終末ケア論等を教える。
●エッセイ●
国際テロに遭って「泥流地帯」を読む
三浦綾子著「泥流地帯」をニューヨークで買い求めた。米国を旅行中、ワシントン、ニューヨークを同時に襲った大規模テロで足止めを食らって帰国が予定より4日も遅れたときのことである。検問が厳しいため空港で搭乗を待つ時間が長くなる。時間潰しに本を読もうと、旭屋ニューヨーク店で仕入れた文庫本の一冊だった。旅行の目的は医療視察。同行した医師の一人とワシントンのホテルで昼食を共にした折、彼が「泥流地帯」の感動を語ってくれたことを思い出し、この本を選んだ。
ケネディ空港での待ち時間は長かったものの無事日本に帰れるという喜びに興奮して読書どころではなく「泥流地帯」を開いたのは帰国してから。一晩で読了し、引き続いて「続・泥流地帯」も読み上げた。
北海道の貧乏な開拓部落に生まれ育った兄弟が母親と生き別れ、父親を冬季の森林伐採の事故で亡くし、父親代わりの祖父と祖母そして姉妹をも十勝岳の爆発が起こした泥流に奪われてしまう。共通の“恋人”は遊郭に売られた。それだけではない。泥流に覆われた荒野の復興に取り組む兄の方は強欲な遊郭の主、高利貸が雇ったヤクザの手にかかって身障者に……。いつか幸せが来るはずだと、願いつつ読み進めたが、祖父母、父、姉妹を襲った非業の死は残された兄弟に何も報いることなく物語は終わってしまう。
旧約聖書「ヨブ記」を下敷にした、この小説。敬虔なクリスチャンなら非業の死に「受難の意味」を汲み取るのだろうが“異教徒”には納得がいかぬ。「ヨブ記」の主人公、ヨブは家族と財産のすべてを失うものの最後には再び家族と以前を上回る財産を得て一四〇歳の長寿を全うする。だが「泥流地帯」の主人公は清く正しく生きていくにもかかわらず最後まで悲運に翻弄されるのだ。
この作品に引き合わせてくれたのは東京のある病院で副院長を務めるホスピス医。米国の同時大規模テロの直後、マンハッタン中心部にあるホテルに滞在中に爆弾テロの警告を受けた。28階にいた私たちは非常階段に殺到、メイドらホテルの従業員を突き飛ばすようにして館外に転がり出た。ところが彼は少しも騒がずパスポートを探しに自室に戻り、悠々とエレベーターに乗って正面玄関から“退出”した。同じ旅行に参加した女医や看護婦さんらがファンクラブを結成したというハンサムな風貌。真顔でジョークをささやく温厚な中年紳士である。こんなドクターに末期を看取ってもらえるならばホスピスも捨てたものではないと思ったものである。
ただ、私たちは死に場所を選ぶことは難しい。今から約75年前の大正15年、十勝岳の爆発による泥流の犠牲者は老幼合わせて137人。この9月、ニューヨークのツインタワービルでテロリストに殺された市民は5000人を超える。罪の無い彼らがどうしてこんな目に遭わねばならないのか? この不条理に神はどう答えるのだろう。