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ユニットケア実施2か月で徘徊が消えた!
 このように利用者と職員の距離が近く親密になったため、主菜は厨房で作るものの、味噌汁やおやつを各ユニット(グループ)ごとに担当職員と利用者が一緒に作るようになった。というよりも利用者の指図に従って職員が調理の仕方を習い、作るようになった。何しろ万葉苑にいる35名の寮母・寮父のうち31名は20代とあって味噌汁の作り方もわからないからである。こうして孫と同年齢の職員と利用者が「介護する、介護される」という上下関係から解放され、世間話をしながら一緒に食事をするという「普通に生きる」暮らしを取り戻せるようになった。車イスから離れたことのない人が立ち上がってキッチンで調理をするようにもなった。「食事を互いに作り、食べるということで話題ができ、会話がはずむようになりました」(小寺さん)。
 利用者の居場所を創り、介護される束縛から解放し、職員が介護者ではなく共同生活者に変わることによって、施設生活のストレスが軽減した。計画実施は2000年の6月1日。その結果、2か月後には利用者の徘徊がなくなった。少なくとも取材時に滞在した1泊2日の間はいわゆる「問題行動」を見ることはなかった。家族とは年3回の定期会合と随時会を開くほか代表者会を毎月行うなど交流を密にして、毎月150人のボランティアが朝8時から夜10時まで出入りしている。万葉苑の風呂場の壁には銭湯と同じように富士山の絵が描かれているが、これも地元美大の学生ボランティアの作品だ。
 利用者が落ち着くと家族の訪問も頻繁になる。一緒に食事やおやつを作るために訪れるエプロン姿の家族も増えた。万葉苑に通えるバスの増便をバス会社に掛け合ってくれという家族の要望も寄せられている。夜、有料で開く居酒屋やビアガーデンで老親と一緒に楽しむ家族も増えてきた。家族が「面会人」から本来の家族に戻ってきたのである。さらに面会に来た家族が食べ物を同室の利用者だけでなく他のグループの人たちにもお裾分けするようになった。施設内の近所付き合いの復活である。居場所づくりに必要な家具や家庭用品も家族が持ち寄ってくれるのでそのための費用はほとんどかかっていない。
見学者は年間100件にも達し、講演依頼は40件も
 こんな成果を昨年10月、老人福祉施設協議会の全国大会で披露したところ、8月までの11か月間で94件の見学や視察を受け、現場リーダーの小寺さんは今年8月末までに40回もの講演を頼まれるなど万葉苑の「大改造計画」は全国から注目を浴びている。小寺さんは今年6月、国の肝いりで始まった高齢者痴呆介護研究・研修センターの指導者養成研修の講師として招かれたほど。彼を痴呆介護指導者養成研修の講師に推薦したのは、「きのこ老人保健施設」の副施設長・武田和典さんや「宅老所・グループホーム全国ネットワーク」事務局長・山田昌弘さん。小寺さんを明日の高齢者福祉を担うエースとして注目しているが、その目新しさは5つのポイントに絞られる。
[1]新たな施設の建設ではなく少人数ケアの利点を生かすユニットケアの手法を導入して旧い施設を蘇らせた。
[2]それらを施設経営者のトップダウン(命令型)でなく、若手職員の意識改革に基づくボトムアップ(自発型)方式によって実現した。
[3]その際、全共闘に代表される団塊の世代のように権威に挑戦するのではなく、若い現場職員のやる気と力を引き出し、粘り強く上司を説得するなど現実的な戦略で臨んだ。
[4]介護保険移行への混乱期という絶妙なタイミングを利用して一気呵成に職員の意識改革と施設の手直しを進めた。
[5]制度に乗った基準通りのハコモノをつくるのではなく、目の前のお年寄りのために、創意工夫を凝らして、その「居場所」を用意した。
ヒントは大震災がもたらした尼崎のグループハウスから
 特養・老健ユニットケア研究会の代表を務める武田さんによるとユニットケアは、「既存の特養や老健施設を老人のためにより良くするための改善手法」であってハコモノをつくる事ではないのだが、老人介護施設の新顔として脚光を浴びている。万葉苑は、若い職員の意識改革によって本来のユニットケアを実施して大きな成果を上げたと武田さんは評価する。それも理事長や施設長の発案や指示ではなく一生活相談員の発案と“仕掛け“からスタートしたところが面白い。そのきっかけは介護保険だった。万葉苑は介護保険の要介護認定のモデル事業主体に指定されたため小寺さんも介護保険制度の勉強をしたところ、「介護保険には施設介護の質を上げる要素がない。何とかしなければ」と「大改造計画」を思いついた。
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松尾利恵グループハウス主任(左)と彼女を引き立てた中村大蔵同ハウス苑長
 直接のヒントは尼崎市のグループハウス(写真下の2枚。注[2])。阪神・淡路大震災で家を失くした高齢者のために尼崎市がつくったケア付き住宅だ。そこの寮母主任の松尾利恵さん(32歳)が「ここのお年寄りはわがままで、私とよくケンカするんよ」とボヤいていたのだが、グループハウスに行ってその理由がわかった。お年寄りが施設の主人公なのだ。18人のお年寄りはそれぞれ自分が好きな時刻に起きて自分が好きな時間に自分が食べたい食事を作ってもらい、寮母の勤務表もお年寄りたちが決めていた。「お年寄りが主人公。これこそ本当の老人ホームだ!」と気づいた小寺さんは、グループハウスに日参し、そこで万葉苑の職員研修をし、万葉苑を「利用者(お年寄り)が普通に生きることができる」居場所につくり変える「大改造計画」に取り組んだのである。
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グループハウスの朝。
体の動くお年寄りは食事の支度は自分でする
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普通の民家と間違えるほど地域に開かれているグループハウス
注[2]「尼崎市グループハウス」=阪神・淡路大震災に被災して仮設住宅に入居していたお年寄りのために尼崎市が開設したケア付き小規模住宅。運営は特別養護老人ホーム園田苑が受託。お年寄りの暮らしの自由を可能な限り尊重したグループホーム的ユニットケア住宅(定員18名)。出入り口が20か所もあるなど地域に開かれている。海外からの視察、見学者も多く、これを見習ったグループハウス第2号は9月、日本ではなく台湾にオープンした。
 真っ先に行ったのは高齢者疑似体験。直接処遇職員全員、栄養士、厨房から事務職に寝たきり、排泄、食事、抑制、経管栄養、ナースコール受話から孤独体験まで施設利用者の身に起こることを一日がかりで体験してもらった。「老人ホームはお年寄りにとって生活の場だが、私たち施設職員にとっては職場である。所詮生活の場と職場は噛み合うはずがない」。ではどうするか。「職員はお年寄りの協同生活者になる」。全員疑似体験はそのための意識統一をするためだった。
 また、プロジェクトチームのメンバーに織り込む若い職員に参加意識をかき立てるため、施設長の印を押した委任状を一人ひとり渡して責任感を喚起した。連日深夜に及ぶプロジェクト会議に家族が音を上げて退職を申し出た寮母の家族に手紙を出して退職を思いとどまってもらったこともある。施設長を説得するためにはキチンとした計画書を作り、成果が目に見える形で報告書を提出するなど、組織を通す細かい手順を踏んだ。ユニットケアの実施に当たり職員の勤務表を作るにも18回ものシミュレーションを実施したほどだ。








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