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厚労省が「身体拘束ゼロ作戦」を開始
 こうした中、厚生労働省は「身体拘束ゼロ作戦」と名付けて、積極的な取り組みを各施設や自治体に促している。今年3月には、冊子「身体拘束ゼロヘの手引き」を作成して介護施設などに配布し、「身体拘束廃止」の周知徹底を図る一方、医療と福祉にかかわる有識者からなる「身体拘束ゼロ作戦推進会議」を同省老健局内に設置した。
 身体拘束はなぜ問題なのか? 改めて問うまでもなく、身体拘束によって筋力は確実に低下し、寝たきりにつながる。そればかりか精神に与える影響は限りなく大きい。人間としての尊厳を侵され、生きる気力を失い、時には死期を早めるケースにもつながる。
 
身体拘束ってなに?
(介護保険指定基準において身体拘束禁止の対象となっている具体的行為)
[1]徘徊しないように、車イスやイス、ベットに体幹や四肢をひも等で縛る。
[2]転落しないように、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る。
[3]自分で降りられないように、ベッドを柵(サイドレール)で囲む。
[4]点滴・経管栄養等のチューブを抜かないように、四肢をひも等で縛る。
[5]点滴・経管栄養等のチューブを抜かないように、または皮膚をかきむしらないように、手指の機能を制限するミトン型の手袋等をつける。
[6]車イスやイスからずり落ちたり、立ち上がったりしないように、Y字型拘束帯や腰ベルト、車イステーブルをつける。
[7]立ち上がる能力のある人の立ち上がりを妨げるようなイスを使用する。
[8]脱衣やおむつはずしを制限するために、介護衣(つなぎ服)を着せる。
[9]他人への迷惑行為を防ぐために、ベッドなどに体幹や四肢をひも等で縛る。
[10]行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服用させる。
[11]自分の意思で開けることのできない居室等に隔離する。
(「身体拘束ゼロへの手引き」から)
 
 では、身体拘束は本当になくせないのだろうか。「手引き」では「緊急やむを得ない場合」として身体拘束を行っている例はむしろ少なく、代替方法を十分に検討せずに「縛らなければ安全を確保できない」と安易に身体拘束を行っている例が多いのではないかと指摘する。問題行動の原因を探り、まずは苦痛や不快のもとを解決する努力が必要ということだ。
 
身体拘束を廃止するために
(「身体拘束ゼロへの手引き」から)
[1]トップが決意し、施設や病院が一丸となって取り組む。
[2]みんなで議論し、共通の意識をもつ。
[3]まず、身体拘束を必要としない状態の実現をめざす。
[4]事故の起きない環境を整備し、柔軟な応援態勢を確保する。
[5]常に代替的な方法を考え、身体拘束するケースは極めて限定的に。
 
 こうした考えを実践に移すため、身体拘束ゼロ作戦推進会議では、2000年秋から全国自治体で身体拘束廃止のモデル事業を実施した。今年9月10日現在、32都道府県が推進会議を設置している。
 その中でいち早くこのモデル事業に参加したのは北海道だ。
 道の身体拘束ゼロ作戦推進会議と介護保険課が8月にまとめたアンケート調査によれば、身体拘束を行っている施設は77.6%にのぼり、入所者の13%を占める。調査対象は道内の特別養護老人ホーム、老人保健施設と療養型病床群、グループホーム等合わせて755施設(回答は633施設)に上る。
 同様の実態調査は他の県でも始まっており、たとえば日本一の高齢化率の東和町を抱える山口県では、対象とした県内255施設の約68%が身体拘束を実施、入所者比率は約14%。また石川県が行ったアンケート調査によれば身体拘束されている入所者の比率は16.4%を占め、家族の承諾を得ていないケースは33.6%に上っている。
 北海道介護保険課の深山英寿主査は道の実態について「他県では20%という結果もあり、13%という数字は低い部類だろう。民間と行政が一緒になって支援してきた結果と評価している。今後も、拘束しないことが正常なケアだということを施設の管理者研修等で徹底していきたい」と語る。
18か月で身体拘束を限りなくゼロへ
定山渓病院(札幌市)の場合
 この北海道の取り組みの中心となったのが札幌市の定山渓病院だ。同院長の中川翼氏は道内はもとより、全国の身体拘束禁止活動におけるキーパーソンでもある。定山渓病院は366床の療養型病床群で、うち230床が介護保険対象。ただし同病院も初めから拘束がゼロであったわけではない。
 1999年6月、病院内の実態を調査したところ、何と231件もの「拘束」があった。ベッドに縛る行為はなかったものの、脳卒中の患者が8割を占める中でベッド柵4本が130件、車イス使用時のY字型拘束帯が51件という身体拘束が安全確保という理由で行われていた。
 翌7月に出した「抑制廃止宣言」を機に、身体拘束除去の取り組みを開始。「やれるところからやっていこう」をモットーに、たとえばなぜY字型拘束帯が必要なのかまず原因を究明した。その結果、代わりにその人に合った車イス(シーティング)を用意するなどの工夫を積み重ねていったという。
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 また8つある病棟ごとに、婦長に毎月自分の病棟の拘束件数を報告してもらい、それを病院全体で集計し、病院内外に公開するという方法を採った。事実を直視して減らしていこうというやり方で、みんなが緊張感を持って取り組んだことが奏功し、4か月後には当初の約半分の件数に、そして一年半後にはベッド柵3件のみにまで減らすことができた。
 一方こうした取り組みで最も危倶されるのが、転落や転倒などの事故とその責任問題である。他県の調査でも廃止できない理曲として「事故が起きると、家族の苦情や損害賠償請求が心配」という声は高い。この点について中川院長は、「万が一事故が起きても、それは組織の取り組みにおいて院長の責任であるということを明言しました。だから、緊張感とともに勇気と工夫をもって取り組んでほしいと話した」と振り返る。
 また厚労省が出した手引き書にも「仮に転倒事故などが発件した場合でも、身体拘束をしなかったことのみを理由として法的責任を問うことは通常は想定されていない」と表記がなされたことも、取り組みに味方したという。
 中川院長は「当院のような長期療養型病床は看護職と介護職の力に負うところが大きい。そういうところで組織が一体になって取り組んだ結果、抑制をはずすことができて患者さんの表情が明るくなり、ご家族からも感謝される。それが看護職と介護職の自信になって院内が活性化されたことも大きな成果です」と、別の効果も語る。
 身体拘束を解くことは家族や介護者の心の葛藤をも解放することなのだ。
開所時から一切の身体拘束なし
清水坂あじさい荘(東京都)の場合
 今回のトークアンケートで「身体拘束は安全確保のためやむを得ない」と答えた人が半数以上を占めたことを伝えると、鳥海房枝さんは、介護する立場に立てば結果は当然、という表情。しかし「安全確保のために縛るなんて、介護する側の勝手な理由づけです。縛られれば不安になって余計に立ち上がろうとする。かえって危ないんです。ケースバイケースというのも論外。身体拘束が必要な場合なんて一つもないんですよ」と鳥海さんの答えは明快だ。鳥海さんは東京都北区立の特別養護老人ホーム「清水坂あじさい荘」の副施設長で、厚生労働省の身体拘束ゼロ推進会議の委員でもある。
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あじさい荘全景
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手拍子をとりながら歌声もはずむ
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ホームに暮らすお年寄りと話す鳥海房枝さん
 あじさい荘は一切の身体拘束をしない特養ホームとして98年10月にオープンした。鳥海さんは開設準備の段階からかかわってきた身体拘束ゼロの実質的な責任者である。
 定員120名、ショートステイ40名、デイサービス45名という大規模施設だが、「生活の場に管理は不要」という理念のもと、起床の時間も食事時間も基本的には本人の自由である。
 身体拘束をしない介護を行うために、テーブルやイス、ベッドを低くするなど備品に配慮はしたが、あとは介護職の上手な誘導や言葉かけなどソフトの部分で対応する。
 「身体拘束をしないというのは、単に“縛らなければいい“というのではなくて、どういう介護をすればお年寄りが心地よく暮らせるのか介護の本質を考えることなのです」と鳥海さんは指摘する。
 平均介護度が4.4と、あじさい荘の中で最も重度の人たちが暮らす5階のフロアには、他の施設や病院で身体拘束されていた人が半数もいる。しかし、ここでは全員が普通にイスや車イスに腰掛けて穏やかに昼食を食べていた。拘束を解かれ自由に暮らすことができるあじさい荘では、結果的に入院する人も死亡する人も少ない。1日当たりの平均入院実数は2.5名、死亡退所は年間10名と国の平均を大きく下回っている。
 もちろん入所者が転倒してケガをすることもある。
 「でも、それは元気な人にも起こり得る生きていく上でのリスク。抑制によって100%動けなくすることと、暮らしの中に普通にあるリスクとは全然質が違います」と語る言葉は、現場の実績に基づいたものだけに重みがある。
 最後に本誌トークアンケートの中にあつたこんなコメントをご紹介しよう。
 
●「人生の先輩である老人を敬うことを忘れて、馬鹿にしたような扱いをしていることを耳にすることがある。老人介護に携わる人の質の問題が大きく影響しているのではないかと思う。老人の心の問題を理解してあげたり、まっすぐ向き合い、不安な心を解きほぐしてあげることによって、拘束しなければならないような問題行動は防げると思う」
(秋田県 64歳女)
●「人は誰でも必ず命を終わる。どんな終わり方をするかは仕方のないこと。徘徊、自傷行為、転落、転倒は事前にいろいろな設備的・人的配慮をしてできるだけ発生しないよう手を打つのは当然だが、10 0%のものはあり得ない。介護する側が防衛的に都合を押し付け拘束するのでなく、万一の時は仕方ないこと、本人の生きざまの一つの形として受け入れるべきだと思う」 
(神奈川県 71歳男)
●「身体拘束禁止は理想でやむを得ない現実があると言いたい気持ちもわからないわけではない。ただしその人は「自分は将来縛られても構いません」という覚悟をしっかりと書面に残しておくべきだろう。私は自分の人生最後の日々にそこまで覚悟はできない。だから自分が望まないものをどうして他人に求めることができるだろう」
(東京都 48歳女)
 
 身体拘束に頼る理由として職員数の少なさや機器や整備の開発の遅れなどがよく指摘される。もちろん制度や施設において改善すべき課題は山のようにあるだろう。しかし現実には現行の制度で身体拘束をせずに介護を行っているところも少なくない。今回の取材を通じて強く感じたことは、「身体拘束禁止」という意識を強く持てば、まず自分たちの側でやるべきこと、できることが数多くある、ということだ。広く施設を開放し、地域の人々の支援も得、新しいアイデアも多方面から取り入れる。そんな工夫が求められる。
 やむを得ないという現実を変えるために、施設は病院は、職員は家族は、そして地域の我々はいったい何ができるのか、それぞれの立場で踏み出せる具体的な一歩を皆で考えていこうではないか。








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