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エッセイ 新たな“生と死”を求めて 7
尾崎 雄
(プロフィール)1942年6月生まれ、フリージャーナリスト、老・病・死を考える会世話人、元日本経済新聞編集委員。著書に「人間らしく死にたい」(日本経済新聞社)、「介護保険に賭ける男たち」(日経事業出版社)ほか。現在仙台白百合女子大学で非常勤講師として死生学、終末ケア論等を教える。
治療と癒しを同時に目指す第三の医療
 「がんの遺伝子治療は効果がない」
 年に1度のがん検診は、毎年同じ月の同じ日の、とりわけ同じ時刻に採血しなければ効果が薄い。今年も8月の暑い日の定刻、ある医療施設に赴き採血してもらった。これはその時その道に詳しい研究者から聞いた話である。数千人のがん患者を対象とした海外研究の結論だとか。遺伝子治療は万病を治すという報道は嘘なのか?がんの遺伝子治療の研究には国も力を入れているはずだ、と聞き返すと、「公共事業と同じで効果がないことは判っていても簡単にはやめられないのさ」という答えだった。
 そんな“先端医療“よりも手術や化学療法と心身の痛みを和らげるための緩和医療を上手に組み合わせてがん治療効果を上げる方法を研究・普及すべきだ、とその研究者は語る。1980年代のがん治療法は早期なら患部を摘出する外科手術、進行期に入ったら抗がん剤投与による化学療法を加える。現在は早期がんなら手術、進行期は手術と化学療法の併用、末期は緩和医療である。だが、今後はこのパターンを打ち破り、初めから緩和医療を手術や化学療法と同時並行して施すべきだという。その口火を切ったのが東京都立豊島病院。都立病院として初めて緩和ケア病棟(定員20床)を備え、化学療法専門医の向山雄人医長がそれに取り組んでいる。
 一例を挙げよう。卵巣がんが肺、肝臓、骨などに全身に転移し、痛みと食欲不振と全身の倦怠感を訴えたため医大病院が匙を投げた31歳の女性を引き取って退院できるまでに病状を改善した。モルヒネなど痛み止めの薬及び食欲不振と全身倦怠感に効果のあるステロイドを投与する緩和医療と化学療法を同時に施して強い疼痛や食欲不振をなくした。ほとんど寝たきりだった体もベッドから起こせるようになった。入院1か月半で退院、今は自宅から通院しているという。匙を投げた医大病院はいったいどんな治療をしていたのだろうか?
 11年前、ベストセラー「病院で死ぬということ」を書き、病院で死ぬということは痛みに苦しんで死ぬことだと指摘した後、聖ヨハネ会総合病院ホスピスの医師になった山崎章郎医師によると、日本でWHOの疼痛緩和マニュアル通り疼痛緩和をきちんとできる医師は半数もいるかいないか。悲惨な入院は今も続いているらしい。
 ホスピス医と一般医との間には深くて暗い河が流れている。がんの手術・化学医療に打ち込む医師は緩和医療やホスピス・ケアについて「治療を放棄した“敗北の医療“だ」と軽蔑し、一方、ホスピス医たちは手術・化学療法一辺倒のがん治療を「患者の苦痛を顧みぬ“人間不在の医療“だ」と不信を募らせる。そんな両者の間をがん患者は漂流している。
 治療だけの医療でも癒しだけの緩和ケアでもない「第三の医療」。それこそ生と死の狭間に迷う末期患者を救う道ではなかろうか。








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