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エッセイ 新たな“生と死”を求めて 6
尾崎 雄
(プロフィール)1942年6月生まれ、フリージャーナリスト、老・病・死を考える会世話人、元日本経済新聞編集委員。著書に「人間らしく死にたい」(日本経済新聞社)、「介護保険に賭ける男たち」(日経事業出版社)ほか。現在仙台白百合女子大学で非常勤講師として死生学、終末ケア論等を教える。
「医者を先生と呼ばないで」
 医師を「先生」と呼んだらその罰金百円を徴収する集まりに出た。医師・看護婦、一般市民ら2500人が参加した第9回日本ホスピス・在宅ケア研究会大阪大会(6月30日〜7月1日)である。この研究会は「がんや在宅ケアなど今日的な医療や福祉の諸問題について専門家と市民が同じ目線で考えるため」に199 2年の設立以来、医師も患者も「先生」は禁句にしているという。
 とはいうものの会場では「先生」が頻発。そのつど司会者が“イエローカード”を提示するユーモラスな情景が笑いを誘った。私も懇親会では気が緩んだせいか親しい医師を何度も「先生」と呼びかけ、ざっと500円の罰金を徴収された。昨年、大学講師になったおり教員同士で「先生」と呼び合う風習にびっくりしたのだが、それから1年、私も同僚を「先生」と呼んでいた。馴れは恐ろしい。これを機に大学でも先生は“さん”に改めようと決意を新たにしたものである。
 帝政ロシア時代の作家・ゴーゴリは傑作「外套」の冒頭、「我が国では何はさて、官等を第一にご披露しなければならないのであるが」と皮肉たっぷりに主人公が九等官であることを詳述する。ご存じのように、この哀れな下級官吏、その階級の低さゆえに他省の長官に侮辱されて憤死、幽霊になって仇を返す。実は我が国の市民と医者を隔絶する意識の階級構造は帝政ロシアの官僚機構とそれほど違わない。医師と患者間の“階級”を取り払って「死に方」を語り合うはずのホスピス在宅ケア大阪大会でもそれが滲み出た。がん手術の諾否を患者は自己決定できるかどうかについて語り合う自由討論会に参加したときである。
 議論はセカンドオピニオンの入手こそ自己決定の条件だとなり、患者が別の医者に診断を受けセカンドオピニオンを出して貰えるかどうかに焦点が移った。一般市民の発言を要約すれば「主治医が怖いから、そんなことはできない」。医師の発言は概ねこうだ。「自分の親戚の医師が診たいと言っているからなどと上手に方便を使って主治医の機嫌を損なうことがないようにセカンドオピニオンを求めなさい」。もう一人は「医師にコネを持つ人以外はセカンドオピニオンを取ることは困難です」と。
 二人とも市民とともに歩む姿勢がみえる真面目そうな医師だっただけに日本の医療の現実がよくわかった。この討論会に先立つ前日の鼎談会で日野原重明聖路加国際病院理事長は「日本の医療は先進国に比べて20年遅れている」と語っていたが、2人の「先生」がそれを証明した格好である。蛇足ながら、ここで言う「医療」とは医療技術ではない。
 「患者さま」と呼ぶ病院が増えつつある。だが「先生」を廃止し患者を「患者さま」と持ち上げるだけでは医の本質は変わらないだろう。病院はサービス業ではあるが、ロボットのように「いらっしゃいませ、コンニチハー」とセールス・トークを繰り返すファストフード・チェーンとは違うのである。








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