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新たな“生と死”を求めて 5
尾崎 雄
 
(プロフィール)1942年6月生まれ、フリージャーナリスト、老・病・死を考える会世話人、元日本経済新聞編集委員。著書に「人間らしく死にたい」(日本経済新聞社)、「介護保険に賭ける男たち」(日経事業出版社)ほか。現在仙台白百合女子大学で非常勤講師として死生学、終末ケア論等を教える。
「一瞬の死」と「緩慢な死」
 Nさんは高校山岳部のキャプテン、大学山岳会のチョモランマ遠征準備事務局長を務めた。定年後、「これからは山とスキーをこころゆくまで楽しめる」と第二の人生を満喫し始めてまもない1995年2月、群馬県の武尊山をスキー登山中に雪崩に襲われて亡くなった。
 同じ学校山岳部の後輩として山歩きのてほどきを受け、中年になってからも白馬、蓼科、皇海、武尊などに何回も山行のお供をしていた私は一報に接するや遭難現場に飛んだ。捜索本部が置かれた山麓のスキー場に着くと、わずか1、2キロ先の雪の中に一人の人間が生き埋めになり、家族らが悲嘆に暮れているという現実を知ってか知らずか、若者たちが拡声器から流れる陽気な音楽に乗って雪と戯れていた。
 豪雪のため遺体捜索は雪解け後の5月の連休に。全長800メートルに及ぶ雪崩跡に一列横隊となって長さ3メートルのゾンデ(鉄製の探索棒)を雪に突き刺しながら遺体を探る捜索隊に参加したが空振りに終わった。遺体発見は連休明けの5月9日。私たちが捜索した場所からわずか2メートルしか離れていない斜面で見つかった。検死結果は「後頭部挫傷による即死」。苦痛をほとんど伴わぬ「一瞬の死」であったことがせめてもの慰めである。
 雪崩は雪の斜面を横断中のNさんとその仲間に突然襲いかかった。安全地帯に逃げ切った仲間が振り返ったときNさんの姿はなかった。その間、わずか数秒だったという。山の遭難は思いがけない場所で思いがけない時刻に発生するとはいえ、登山家として技術、経験、体力、統率力及び人柄の五拍子もそろったNさんにそれが起きたことはショックだった。
 そのころ私は痴呆老人や寝たきり老人の介護、終末期ケア及びホスピスの報道に打ち込んでいた。少年時代は「山」を通じて青春を共有し、長じてはライフプランの形を示していただいた先輩の「一瞬の死」は、「緩慢な死」一色に塗り込められていた私の死生観を揺さぶった。定年を待たず会社を辞める遠因の一つになったのだ。加齢とともにひたひたと足元を浸してくる「緩慢な死」と、ある日、突然、雪崩のごとく我が身を襲うやもしれぬ「一瞬の死」。死に方を選ぶことが困難だとすれば、せめて会社員としての゛死に方゛くらいは自ら選びたい。57歳で早期退職を決めたのである。癌や脳血管障害で亡くなった友人らの葬儀に参列する頻度が増え、「メメント・モリ」(死を忘れるな)を実感する年代になっていた。
 東京・生と死を考える会の代表・アルフォンス・デーケン上智大学教授が我が国にデス・エデュケーションを提唱して久しい。死への準備教育とは「緩慢な死」と「一瞬の死」という二つの死から目を背けず、いつでも肉体的な死と社会的な死を迎える心の準備をしておくことなのであろう。








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