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ふれあい活動奮戦記
NPO法人芸南たすけあい(広島県)
助け合いの社会を築くためにも今、NPOに必要なのは体力をつけることではないでしょうか
芸南たすけあい
 「今年の3月に発生した芸予地震では、呉市は震度5強の揺れで、重軽傷者やがけ崩れ、道路の陥没など大きな傷跡を残しました。あの際、私たちにできることは何かと考え、呉市災害ボランティアセンター開設と同時に、芸南たすけあいとして、被災高齢者の応急介助に対応したい旨の登録をしたんですが、会のほうにも、一人暮らしのお年寄りなどからSOSが入りましてね。地震でただでさえ心細い思いをしているところに、復旧作業は気力も体力も必要となりますから大きな負担。それで、家屋の後片付けなどに当たりましたが、皆さんからは“心強かった““助かった“といった言葉をいただきました。“遠くの親戚より近くの他人“という諺もありますが、こういうときにこそ地域の助け合いが必要であり、人と人との温かなふれあいが被災者の心の支えになることを改めて感じました」
 
 こう語るのは、NPO法人芸南たすけあいの代表を務める島本幸子さん。夫の島本隆視さんも常任理事として活躍するなど、設立以来、夫婦二人三脚で活動に励んできたという。
男女がそれぞれの得意分野を生かしたことで有効な組織づくりができた
 同会は1995年12月、市民互助型の草の根団体として、在宅介護の家事支援サービス活動を開始。設立のきっかけは、夫・隆視さんが見たテレビ番組だという。
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事務所にて。
手前が島本幸子さんと夫の隆視さん
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ボランティア送迎サービスグループのメンバーと
 
 「確か93年の3月頃のこと。主人がNHKのテレビシンポジウムで拝見した堀田理事長のボランティア論に感銘を受けましてね。持ち前の行動力で早速上京し、当時品川にあった「さわやか福祉推進センター」を訪問、夫婦で入会の手続きをしました。その後地域推進委員となった私どもは、財団主催のリーダー研修会に2回ほど出席したんですが、全国各地の草の根活動を目の当たりにし、ああ、こんなにも熱い思いを持った人たちがいるのかと目を見張りました。そして“このままじっとしてはいられない“という主人に引きずりこまれるような形で、私どもの地域でも有償ボランティア団体を立ち上げようということになったんです」
 島本さんは、過去10年以上にわたって地域の婦人ボランティアの代表幹事や呉市の婦人ボランティア連絡協議会の会長を務めてきた経歴の持ち主。地域に友人や仲間を多く持ち、ある程度の社会的な信用も得ていた。また隆視さんも自治会長、老人会長、そして市会議員などの要職に就き、幅広い人脈を持っていたことから、この2人の呼びかけに賛同した発起人13名には、家庭の主婦から市役所や企業などで活躍してきたOB諸氏まで、様々な人材が集まったという。
 「おかげで女性は主に活動部隊として、男性は運営や渉外折衝に携わるなど、それぞれが得意分野での経験や知識を生かしながら、組織づくりをすすめていくことができました。このことは私たちの団体にとって、とても有効に働いたと感じています」
 その成果の一端は、実質初年度にあたる96年度で1191回、2649時間の活動実績を示したこと。さらに翌年度の活動実績は前年度に比べて1・6倍の増加。62名で出発した正会員数も97年度末には195名となるなど、順調に伸展していったことにも見受けられる。その結果、98年4月には活動拠点となる事務所も、島本さんの自宅から市の中心部へ移転。それも社会福祉施設などが入る呉市所有のふれあい会館内の一室を貸与してもらうことができた。
 「入会第1号はパーキンソン病の方で、一人暮らしのために遠出をしたくてもできないと援助を申し込んでこられました。念願だった広島護国神社への参拝が実現した時には本当に喜んでおられたことが、昨日のことのように思い出されますが、この6年、目の前に起こる待ったなしの問題に夢中で対処してきたというのが実感。とにかく“芸南たすけあいに頼めば、いつでも助けてもらえる“という安心感を持っていただけるよう、真心を込めて活動に励んできたつもりです」
 こうした地道で誠実な活動が実を結び、現在では、正会員と賛助会員を合わせて500余名の規模となり、NPO法人として社会的にも責任ある団体に成長。2000年4月からは介護保険事業にも従事。また、この5月には呉市に隣接する熊野町に支部を設置するまでに至った。








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