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近隣の助け合いのヒント 「助けて」と言えますか?[2]
同じ経験が相手の心を開かせる
(さわやか福祉財団地域助け合い普及事業リーダー)
石井 利枝
 
「助けて」と言えますか?で始まったこのシリーズですが、多分「た・す・け・て」と言って助けを求めるのは、よっぽどの緊急時やいつでも気軽に「助けて」と言える助けられ上手さんではないでしょうか。「助け」の求め方は人それぞれ十人十色。たとえば、何気ない会話や愚痴、悩み事などの延長線上で「助けて」の信号を発信している人はよくいるように思います。でも、どうして信号の発信という遠慮がちな「助けて」なのでしょうか?
 それは、多分「助けて」と言ってしまうと、
◆弱みを握られたような気がする
◆誇りがつぶされたような気がする
◆借りができたような気がする
◆今、話している相手がどんな人かまだよくわかっていないので信用ができない
◆今、話している相手の対応を探りながら……言うか言うまいか考えている
など、人それぞれ様々な思いがあると思います。何気ない会話の延長線上で困りごとを話している時、話し相手の人が「自分もそういった経験があってね…」となると堰を切ったように話が盛り上がって、なぜか安心して何でも言い始めてしまったという経験は皆さん必ず一度はあるはずです。なぜ、話し相手が同じ経験または同じような経験があると知ると急に安心してしまうのでしょうか?話が終わる頃には何だか親近感まで湧いてきてしまって、それ以来ずーっと長いお付き合い、助け助けられなんてことを経験したり、そんな話をよく聞くということはありませんか?ありますよね!自分と同じような経験があるとわかると安心してしまうのはなぜなのでしょうか?
◆自分の気持ちがわかってもらえる(共感し合える)
◆同じような経験者だから弱みを握られたことにならない、誇りもつぶされない
◆具体的にどんなことで困っているかわかり合える
などの心理的効果が働くからではないでしょうか?そうやって、考えてみると人間生きている限り様々なことを経験しますよね。つまり、私たちは老若男女問わずみんな何らかの経験者ということになります。
 たとえばよくある身近な問題で言えば、介護、嫁姑問題、離婚、恋愛、子育て、受験、挫折…。皆さんの周りは何らかの経験者や今、困っているという人がたくさんいるはずです。近所の方であまりよく知らない人だけれど今、親の介護で困っている人、転勤してきて知り合いがいない中で子育てをしているなんて人はいませんか?経験者は具体的にどんなことで困っているのかをすでに知っています。でも出しゃばりだと思われるのは嫌なことです。
 そこで今回の「助けて」と気軽に言いやすくするための提案は、まずは経験者の人が、困っているであろう人とゴミ出しで会ったついでや回覧板を持って行ったついで、買い物の帰り道で会った時など何気ない日常の中での出会いを利用して、まずは「共感を仕掛ける」ということです。そうすると相手の人は、先で述べたような心理的効果が働いて…悩み事を打ち明けたりするうちに…ということになるかもしれません。悩み事を聞くという行為自体がすでに近隣の助け合いなのです。さぁ、みなさん仕掛けてみてはいかがでしょうか。
 あなたの身近な近隣助け合いについての情報をお寄せください。








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