日本財団 図書館


生き方・自分流
目指すは地域家族
自分の好きな料理を通じて人と人とが支え合える場づくリをしていきたい
NPO法人すずらん理事長
高橋 恵美子さん(61歳)
z0007_01.jpg
 
 料理好きの普通の主婦が、高齢者を抱えた友人からのSOSに応えて届けたたった1食のタご飯。それが14年の時を経て、現在は地域の高齢者へ1日200食、年間4万食の手づくりのタ食を届け、昼間は昼間でアパートの一室で高齢者向けの会食会を開催するNP O法人にまで発展した。「困っているお年寄りを見ていると放っておけない性分なんですよ」と語る高橋さんの目指す地域社会のあり方とは…。
(取材・文/城石 眞紀子)
 
 緑豊かな学園都市・東京都国立市のアパートの一室。「移動デイホーム・ふれあいの広場」と名付けられたこのデイホームからは、今日もお年寄りの明るい笑い声が聞こえてくる。
 「この年になると、話し相手も少なくなる。ここは気の合う人と会えるたまり場みたいなもの」「おしゃべりに花を咲かせながら味わう料理は、一人ぼっちで食べるのとはけた違いのおいしさ」と口々に話す参加者たち。昼食を共にした後は絵手紙や合唱、お茶を楽しんだり、囲碁や将棋を指したりと、思い思いの時間を過ごす。
 「天気のいい日はお弁当を持って公園に出かけたり、散策や買い物にもよく出かけるんですよ。何でも話せる家庭的な雰囲気のせいか、皆さんどんどん明るさを取り戻していく。その姿を見られるのが何よりうれしいですね」
z0008_01.jpg
お弁当はお年寄りの好みや健康を考慮した野菜中心の和食メニューが中心。この調理場で1日180〜200食のお弁当が作られる
 体つきもふくよかなら、その笑顔も日だまりのような温かさ。まるで近所の世話焼きお母さんといった気さくさでお年寄りに接する高橋さんの姿が、その輪の中心にはあった。
友人からのSOSをきっかけに食事サービスをスタート
 22歳で結婚し、一男一女をもうけた高橋さんはごく普通の主婦として、子育てにいそしんでいた。そんな彼女が福祉の世界へと足を踏み入れたのは、同居する姑の介護がきっかけだという。 「姑が痴呆症となり、嫁としていろいろ悩んでいたとき、市のケースワーカーをはじめ、多くの友人や知人が介護を支えてくれた。お陰で何とか乗り越えることもできました。その感謝の気持ちとして、いつかは自分の住む地域で、援助を必要とする方々を支える一助を担いだい。そんな気持ちを持つようになったんです」
 1974年(昭和49年)に舅を、77年に姑を相次いで見送ったのを機に専業主婦を返上。特別養護老人ホームなどの老人施設で8年ほど働くが、「施設という組織で働くことに疲れた」こともあって退職。何をするでもなく、家にいたちょうどそのとき、友人からのSOSが入った。
 「それはお母様が病気で倒れ、食事づくりに困り果てているので助けてくれないか、というものでした。もともと料理は大好き。人に食べていただくのはもっと好きでしたから二つ返事で引き受け、毎日、手づくりの家庭料理を届けることにしたんです」
 やがて、同じような事情で困っている人は少なくないことに気づき、自宅の台所を開放して、親しい仲間と当時利用者負担500円で、月〜土曜日まで夕食を自宅に届けるサービスを開始。地域のニーズとも重なったのだろう、人から人へと口コミで利用者が増え続け、88年には任意団体「家庭料理研究所」を立ち上げ、都の振興財団の助成事業となった。
配食以上に大切なのは「会食」だと気づいた
 
 そんな高橋さんの作るお弁当は、家庭の味を大切にし、季節感のある野菜中心の和食。「健康を考えて薄味を心がけ、昆布、削り節、煮干し、鶏ガラスープなどを料理に合わせて使用するなど自然の味を基本にしていますが、ご利用いただくうちに、皆さん次第に肌の色ツヤがよくなり、それに伴いメキメキと元気も取り戻していく。食事というものの大切さを改めて感じましたね」
 また活動を通して、食事サービスとは、単にお弁当を届けるだけでは済まされない場面がたくさんあることも知った。利用者は一人暮らしや老人世帯、障害等心身に何らかの虚弱な部分を抱えて生活をしている人ばかりなので、精神的に孤独だったり、病気の不安を持っていたりする人も少なくなかったからだ。それゆえ、配達の際には利用者に直接お弁当を手渡して言葉を交わし、料理の感想を聞いたり、個人的な悩みごとにも耳を傾けるようにもしたという。
 「声を掛けることで安否確認もできるし、常に気に掛けてくれる人がいると思えば孤独感や不安感も癒される。そうして心の扉を徐々に開いてもらえれば、イザというときに頼りにされる人間関係も培えるんじゃないかと思いましてね。実際、利用者から“怪我をした”などのSOSの電話が入り、駆けつけたことも一度や二度ではないんですよ」
 こうした心のふれあいを大切にした活動も、同会の評判を高めた理由の一つだったのかもしれない。だが、高橋さんはある日気づいた。
「毎日、配達人が訪れるのを心待ちにしてくれるのはありがたいことだけど、裏を返せば、それだけ家に閉じこもりきりで、一日中対話がないお年寄りが多いということ。食事サービスだけではお腹を満たすだけのわびしい食事になりかねないのではないか」と。
 そこで、「生活を支える」食事サービスから一歩進んで、お年寄りが定期的に集まれる場をつくって「生活の質の向上」を図ろうと、96年6月にはアパートの一室を借り上げ、会食サービスも立ち上げた。それが冒頭に紹介した「移動・デイホームふれあいの広場」である。
「“移動”と付けたのは家と会食場所の往復だけでなく、仲間と買い物や温泉旅行、散歩などに積極的に出かけてほしいとの思いを込めてのことです」
z0010_01.jpg
近所の子どもたちを迎えて
いい仲間と出会えたことが何よりの財産
 
 それから5年。活動は順調に広がり、昨年には「家庭料理研究所」と「ふれあいの広場」を合わせて「すずらん」という名称にし、NPO法人の認証も受けた。また不登校児等解消事業として、デイホームに不登校児をスタッフとして受け入れるなど教育や家庭を巻き込んだ新たな取り組みも行っている。
z0011_01.jpg
お花見を兼ねて、近くの公園で昼食会
 「好きで始めた活動ですが、今やその規模も責任も、私の身の丈をはるかに超えてしまったというのが正直な感想です。夜中の3時ごろからその日の準備や日中できない仕事を始めるなど、毎日が目が回るほどの忙しさで、遊ぶ暇などまったくなくなってしまいました。それでも与えられた仕事ではなく、自分たちで考えて主体的に動くことだから、やっていけるんでしょうね」
 この間には乳がんも患ったが、仲間に支えられながら活動を継続することもできた。
「このときほど、人の親切ややさしさが心に浸みたことはない」と当時を振り返る高橋さんだが、この闘病体験で、改めて人と人とが支え合う大切さを思い知ったとも。
「普段は、言いたいことを言い合って、時には意見の食い違いでケンカをすることもあるけれど、いい仲間と出会えて、私は本当に幸せだと思った。これはお金には代えられない財産です。やはり人間は、人と人との出会いがあって、笑ったり、怒ったり、泣いたりする場を持つことが必要なんですね。それによって人間的にも成長できるし、元気の素にもなる。だから将来的には、お年寄りだけでなく、障害者や子どもやボランティアらが集え、皆で食事をつくり、一緒に食べるといった、家庭を大きくしたような場所をつくれればと思っているんですよ」
 実は現在借りている調理場は、契約上、3年後には移転しなければならない。資金的な問題はあるが、それを機にこの夢を実現したいという。
 走り続けて14年。「自分の好きな料理を通じて、人に喜んでもらいたい」。高橋さんの心の中には、友人に助けを求められ、サンダル履きにエプロン姿で初めて料理を届けたときの気持ちが、今も変わらずに息づいている。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION