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まちのお医者さん最前線 3
川崎幸クリニック院長 杉山 孝博
すぎやま たかひろ
1947年愛知県生まれ、東京大学医学部卒業。川崎幸病院副院長を経て現職に。在宅の高齢者宅等を自転車で往診する銀輪先生として、また「ぼけの専門家」として地域医療に情熱を傾ける。
 
「心理的ハードル」
 「電動リフトを使うと本人を車イスに移すのが楽になり、私の腰の痛みも軽くなるが、吊り上げるのはかわいそうだ」「他人(ヘルパー)を家の中に入れると、家庭内のことが外部へ漏れてしまうのではないかしら?」「年寄りを老人ホームへ預けて旅行へ行くなんて、けしからんと思われないかしら?」など、どのように便利な介護用品であっても、また有用な介護サービスであっても、新しい試みをするとき、介護者にはどうしても越えることのできない気持ちの壁あるいは深淵が存在するものである。そのような気兼ねや遠慮、ためらいの気持ちを、私は「心理的ハードル」と名付けている。
 親戚の目や世間体を気にし始めると心理的ハードルが一気に高まる。「他人は他人、自分は自分だ」「いずれ皆私と同じ経験をするのだ」などと割り切ると楽になる。
 かつて、結婚後女性が働くことも、まして子どもを保育所に預けて働くことは非常に冷たい目で見られていた。その時期には、保育所を利用することの心理的ハードルは高かった。しかし、今日では保育所や幼稚園に子どもを預けることに心理的なハードルを感じる若い両親はまずいない。制度の普及や社会的な理解の深まりによって心理的ハードルが低くなるものである。ゴールドプランによりサービスの基盤整備が行われて普及がはかられ、介護保険によりサービス利用の権利意識が醸成されることによって、介護サービス利用における心理的ハードルが着実に低くなってきているのを感じる。
 知識を豊かにすること、人々とのつながりをもつこと、過去にこだわらないで現在を認めること、福祉サービスや介護用品を上手に使うこと、などもまた心理的ハードルを低くするのに有効である。同じ悩みを持つ家族の会に参加して気が楽になり福祉サービスを利用する気持ちになった人、往診の医師や訪問看護婦からのアドバイスで思い詰めることが少なくなった人、保健所などの介護者教室で知った介護用品を使いながら介護の負担を軽くした人など、様々な体験を通して介護者は心理的ハードルを乗り越えながら上手な介護を続けていくのである。
 「初めてのショートステイが本人に負担にならないとは言えませんが、あなたがこのままストレスをためてしまったら余裕のある介護ができなくなって本人にとってもよくありません。ましてあなたが倒れてしまったら元も子もありませんよ」と主治医の私がすすめたところ、利用をためらっていた介護者がショートステイをうまく利用することになった例が少なくない。
 これからの在宅ケアは、介護者の身体的・精神的負担を軽くするために様々なサービスを利用することが必要であるが、問題はそのとき介護者が感じる心理的ハードルをいかに低くして越えやすくするかにある。専門家の重要な役割の一つが心理的ハードルを越えやすくする援助であることは間違いない。








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