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学校こそが地域の「仲介の場」 自然体の交流の促進を
 教育改革に一歩踏み出した学校現場。たしかに、たとえば「総合的な学習の時間」の実践は全国津々浦々で始まってはいる。しかし、そうした私たちを尻目に、さらにものすごい勢いで社会は変化を続けている。教育改革の意義と本質をどれだけ真摯に現場の教員は捉えているだろうか。
 「高度経済成長の画一的教育から脱却できていない」という学校現場への指摘に対し、私自身は「地域に開かれた学校づくり」の必要性や、「地域の教育力」を生かすことの重要性などもこれまで十分に認識しているつもりだった。しかし、実際に「地域の教育力を生かす」ということがどういうことなのかについて、具体的なイメージをつくることはできなかった。それは、なぜか?学校も地域の一部であり、子どもたちの成長と明るい未来は、学校だけでつくることができないこと、そして、地域社会全体で子どもは育てていかなければならない、という意識に立てなかったからだ。学校だけですべてを請け負うことなど到底不可能なのだ。教育だけではなく、社会、地域ぐるみで、明るい方向に変わっていく必要がある。そうした未来像を大人自身が示せたとき、初めて子どもたちも一人ひとりの思いが生かされた明るい未来への生き方、夢を描くことができるのではないだろうか。
 学校と地域の助け合い団体との連携は少しずつ増えているが、私もそんな現場を見たくて各地に足を運んだ。その一つが、毎週月曜日に地元のNPOが「ふれあい喫茶「欅」」を行っている千葉県四街道市立八木原小学校である。
 ここの活動は本誌「さぁ、言おう」でも何度か取り上げられているが、学校の余裕教室の1室を使い、地元のNPO法人たすけあいふきのとうが喫茶を運営して地域の高齢者と児童の楽しい交流の場となっているというユニークなもの。そのキーワードは自然流だ。
 「決して、無理に交流させようという場にしないように学校にお願いしたのです。何かをさせるのではなく、自然にそういう場が持てるように仕組みづくりをすることが大切です」と、同会代表の國生美南子さんは話す。「高齢者には学校は遠い存在。ふれあい喫茶に足を運ぶことで、子どもたちと地域の学校が身近なものになり、私も何かしてみよう、という気持ちとつながりができることは、学校のためにも地域のためにもよいことだと思っています」と活動の意義を語る。
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東京都板橋区立上板橋第2小学校より。地域の歴史をお年寄りに聞く学習(写真[1])と国際理解授業風景(写真[2])。地域の人たちとにぎやかに餅つき大会(写真[3])も行う
 次項のグラフにあるように、現代社会での近所同士のつながりは希薄である。しかしその一方で、学校こそが地域の様々な助け合い活動の「仲介の場」となることも可能なのだと、改めて実感させられた。
近所付き合いは必要最低限のものにしたい
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首都圏10代から80代までの男女計5000人対象。回収率60〜67%(東京ガス都市生活研究所調査。1999年3月)
授業は教師と子どもと地域の「共有財産」 「学校を開く」ために
 ただし、地域とともに子どもを育てるためには、学校の閉鎖性・批判を受け付けない体質からまず改善しなければ話は先に進まない。開かれた学校づくりと一口に言ってもその壁を破ることはなかなか難しいが、しかし最近では、地域の人々やNPOが学校の授業にも共に参画していく例も少しずつ出てきている。
 その一つとして今注目を集めているのが、神奈川県の茅ケ崎市立浜之郷小学校で行われている研究だ。浜之郷小学校は、3年前の1998年に、県教育委員会が地域コミュニティーの中で共に歩む学校という位置づけで計画的に設立した非常にめずらしい学校である。同小の「授業」は、教師と子どもと地域の皆さんの「共有財産」という考え方で、年間100回の授業公開が行われる。
 「公立小中学校の教員で、1年に一度も授業を公開しない教員がいたとしたら、私は公立学校の教員として認めない」と浜之郷小の研究会で厳しく語るのは、同小の教職員とともに研究をすすめる東京大学の佐藤学教授。この学校では先生が自分で自分の師事する人=パーソナルチューターを自由に見つけて、方針を相談し、共に授業に参加してもらったりもする。
 「ぼくは、ボランティアは「人を助ける」ことではなく、「自分が友達をつくることだった」と気がつきました」
 これは、福岡県行橋市のNPO法人たすけあい京築の阿部かおりさんが参加している地元の学校での福祉授業で、実践交流のホームページサイトに掲載されていた言葉だ。書き手は小学校4年生。こうしたことは「教え込み」の授業では決して学ぶことはできない。
 岐阜県木曽川町で活動しているNPO法人さわやか木曽川代表の丹下多栄美さんは、「ここ数年で、学校の側の受け入れ態勢がガラリとかわった」と話す。丹下さんも元小学校の教員で、現在は同町の教育委員も務めている。これまでも学校と連携した実践を行えるように様々に尽力してきた。
 このように地域には元気な、知恵にあふれた助け合い活動が、そして、学びの場がたくさん存在する。ただしそれらは自ら壁を取り去った学校と、心を開いた教員にしか見えないものかもしれない。
 これからは「学校が地域に学ぶ」時代なのだ。ありがたいことに、地域で助け合い活動をすすめる団体にはたくさんの事例が蓄えられている。我々学校の側も、地域での助け合い活動の中での知恵を求めている。元学校関係者の先輩たちが、地域で溌剌と輝いて頑張っているのも頼もしい。学校側も、今、変わろうとしている。地域の皆さんから、もう一歩の勇気と励ましを送ってほしい。
 さて、この稿を皆さんにお読みいただいている頃には、私はまた学校現場に戻っていることになる。自分にできることの第一歩は何なのだろう。まずは梅原校長もいう学校の敷居の高さを何とか変えていきたいと思う。学校に足を運んでくれる地域の人、父母にこれまで以上に気軽に声を掛けていきたい。特に普段はあまり学校に顔を出さない、目立たないような人などにはこちらから積極的に声をかけて、心の垣根を取り払ってもらう努力をしたい。これまで学校にとっての地域とは、行政機関などを通じた限られたつながりであった。本当の意味での地域の人々との交流を広げるために、自らアンテナを立てて、地域の中で信頼されるような学校づくりを目指したいと思う。
 よりよく生きるための動機づけ、自己肯定感、個性を尊重した教育。きちんとした目標さえ持たせてやれば、子どもたちは多少苦しくても自ら学び伸びていく力を持っている。従来の学校という枠組みの中にいるだけでは不可能に思えることも、地域の人々の知恵を借り、共に参加してもらえれば可能なのだということがわかった。
 新しい社会のビジョンは自立した市民がつくる―、この言葉を学校教育の現場でも忘れずにいたい。








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