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未来像を描けないのは大人?「不安」「危機」の根源は何なのか
 私は、こうした研修会に秋田を含めて5回参加した、また各地のNPOやふれあいボランティア組織も見学した。その中で感じたことは、暗く元気がないといわれる日本社会の中にも「こんなにも活力ある活動が展開されていて、魅力的な人たちが大勢いる」という驚きだ。
 「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」(村上龍「希望の国のエクソダス」)と不登校の中学生が語る小説がベストセラーになるほど、今、日本では「子どもと教育の危機」といわれる社会現象が起きている。しかしそれは「子どもの危機ではない。大人社会の危機の反映なのだ」という指摘に、自分も一人の大人として同感である。
 すべてを失ったはずの戦後でさえ10年と経たぬ間に復興への道筋をつくってきた日本が、いまだバブル崩壊後の長いトンネルを抜け出せていない。政治的にも経済的にも閉塞感が漂い国民の大多数が将来に不安を感じたまま暮らしている。いったいそれはなぜなのか?一言でいえば経済成長と物質的な豊かさに代わる新しい指標を我々大人たちが見いだせていないからだ。
 ところが大人は未来像を描けないにもかかわらず、子どもに対する「要求」はとても厳しい。「(青少年は)自分自身で考え創造する力、自分から率先する自発性と勇気、苦しみに耐える力、他人への思いやり、必要に応じて自制心を発揮する意思を失っている」(教育改革国民会議最終報告)として、全員が「奉仕活動を行う」ことを要求する。その議論については今回は触れないが、忘れてはならない大切なことは、大人も、子どもたちと一緒に、人任せにせず自分たちの社会の未来像を持つ努力をしなければいけない、ということである。新しい羅針盤を用意するのは我々大人たちの責任である。では、どうすれば未来へのビジョンを持てるのだろうか。
地方分権の時代“市民の知恵は使いどころ“
 「なぜこんなに活力ある活動ができるのだろう」という素朴な疑問に対して、現場で活動する人々から得た「地方分権」と「知恵の生かしどころ」という2つのキーワードが心に残った。いずれも根底にあるのは「個の自立と尊重」だ。地域の助け合い活動にはそんな一人ひとりの思いやアイデアが縦横に生かされている。
 「地方分権とは、まず自分の周りでできることがあったら、自分たちでやろう、ということなのですよ」と語ってくれたのは山形県天童市のふれあい天童代表・加藤由紀子さん。「自分たちが主体だからこそ生き生きとできる」という加藤さんも実は元中学校の教師だった。家族の介護のために教職を辞め、その後「ふれあい天童」を立ち上げた。
 加藤さんは教員時代の思い出の一つとして、最後に担任した中学一年生のことを話してくれた。生徒との日記や学習カードを通じて生徒の目線で心の交流をしていく中で、生徒自身が課題を自分のものとして考え始め、学級全体が大きく成長したという。
 「福祉の問題も同じです。依存するだけでは、何も見えてこない。自分たちに何ができるか、という立場で社会を見ると、いろいろなニーズがどんどん見えてきますよ」(加藤さん)。
 振り返ってみれば、日本社会のレールは、戦前・戦後を通じて「トップダウン」の形で敷かれたものばかり。我々国民の価値観もそうした画一的なものに引きずられてきた。あるいは海外からの価値観だったり、マスコミの流行に左右されるものだったり。要は、一人ひとりの生き方を大切にして、下から社会を創り上げていくことが未経験なのだ。
 一方、市民のいろいろな知恵をうまく生かして地域の助け合いに結び付けているのがコミュニティー・サポートセンター神戸(CS神戸)だ。
 1995年の大震災からの復興を支えたさまざまな活動は、「今、何が一番必要なのか」という住民のニーズを敏感に捉えることから始まった。ニーズを見つけたら、後はみんなであれこれと知恵を出し合い、それを支えるプログラムをアイデア豊富に用意する。今では高齢者福祉をはじめとして、子育て支援から、昨今社会問題となりつつあるDV(ドメスティック バイオレンス=家庭内暴力)に対する相談、循環型のまちづくりのための風力発電のプロジェクトなど、まさに多種多様だ。
 この3月に訪ねた時も、「うちの見学を1日でしようったって無理、無理。時間を十分にとって、しっかり見て研修していって」と理事長の中村順子さんが笑いながら話してくれた。ここでも日本の社会を覆う「先行き不透明感」など微塵も感じられない。
 「今は一日一日、社会が大きく変化している時。知恵の使いどころなんですよ」とは事務局長の坂本登さんの言葉。彼も企業サラリーマンから福祉分野に飛び込んだ一人だ。
 未来への道を「不透明」だとして不安を持って見るか、「新しい変化」として「知恵の使いどころ」と見るか。そこには大きな違いがある。NPOは組織的にこそ不安定と見られがちだが、描く未来は、ビジネス社会よりずっと前向きで具体的、そして力強い。しかも、一人ひとりの気持ちや願いが息づいている。身の回りの人たちのニーズに気づき、それをみんなで何とかしようと行動を起こす。そんな積み重ねが、今、日本全体で見失っている新しい社会の方向性を形成していくのではないだろうか。さわやか福祉財団では、それを「新しいふれあい社会の創造」と呼ぶ。
地域助け合いで児童虐待防止子育ての「社会化」を
 また、こうした地域の人々同士のふれあいや助け合いは、最近日本でも社会問題化しつつある幼児・児童虐待への解決策にもなるという。この分野の研究に長年携わってきた東京都大田区立東調布第3小学校の梅原厚子校長は、幼児虐待の打開の道筋として、「子育ての社会化」の必要性を語る。つまり、地域の子育て経験豊かな人の力を生かす助け合い活動である。
 「どんな親だって、自分が生んだいとおしい命を大切にしたいと思っているのです。虐待をしようと思ってしている親はいません。そこまで追い詰められている親をどう救えるかが課題なのです」(梅原校長)。
 核家族化の進行の中で、子育てが母親一人の負担になるケースが増えている。泣きやまない、ミルクを飲まない、発育が悪いようだ…、さまざまな不安の中で苦しむ母。そして泣きやまない幼児に「これ以上、私にどうしろっていうの」と怒りが爆発する。こうした「子育てで孤立する母」「子どもと向き合う時間が持てない母」が増えている。そして「子育ての外にいる父」も。
 梅原校長の、「子育ての不安を親個人のものにしないこと、社会の宝物である子どもは、社会全体で育てることが大切」で、そのために学校はどうすべきかについては、地域の人々の目線で考え、行動し、手をつないでいこうという提唱には、深く考えさせられた。
 「社会のいろいろな価値観に縛られて不安になっている人にとって、学校の敷居がどれだけ高いか、先生たちの理解はまだまだ低いのです。高いところから物を見て要求してもだめ。手をつなぐと同じ体温を感じた時に心地良さを感じますね。冷たい手を温かい手で包んであげる。体温を同じにしてこそ、初めて手をつなぐというネットワークになるのではありませんか」という言葉は、日頃の行動に裏打ちされたものだ。
 梅原校長は、実際に地域の児童館や民生委員の人たちと協力して、一人ぼっちで悩む親をなくす試みをすすめ、児最館では、人とふれあう機会の少ない孤独な母親をつなぐ場として「乳児教室」を始めた。海外から移住してきた両親が仕事に追われ、弟の世話をするために不登校になった5年生の児童が学校に来られるように、弟の保育園探しにまで奔走している。
 「校長の仕事ではないと言われればそれまでですが、でも、一人でも学校に来られない子がいたら、みんなで協力して何とかしようということは当たり前、とても大切なことだと思っています」。梅原校長の一人ひとりの子どもへの温かい声かけや、一人ぼっちの親をなくす取り組みは、地域の支援を得て今も続いている。








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