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新たな“生と死”を求めて 1
 尾崎 雄
 (プロフィール)1942年6月生まれ、フリージャーナリスト、老・病・死を考える会世話人、元日本経済新聞編集委員。著書に「人間らしく死にたい」(日本経済新聞社)、「介護保険に賭ける男たち」(日経事業出版社)ほか。現在仙台白百合女子大学で非常勤講師として死生学、終末ケア論等を教える。
女子学生に教えてみてわかったこと
 定年前に会社を辞め、東北の女子大で「医療福祉論」「終末期ケア論」と「死生学」を教えている。いちばん気掛かりだった「教室の崩壊」現象は杞憂に終わった。私語や携帯電話によって授業が成立しないという通説は少なくとも私の教室では証明されなかったのである。
 それどころか、若い人たちはきっかけさえ与えれば人生の最大テーマ、たとえば「生きること死ぬこと」を真剣に受け止める感性が輝くことがわかった。日本におけるホスピス運動の立役者の一人、山崎章郎医師にお目にかかったおり、その点について尋ねると「その通り」と共鳴してくれた。看護婦でも同様で、別の医師は病院がホスピス建設をうたうと
「若い看護婦を募集しやすい」と語ってくれた。だからサラリーマンから教員に転身した感想を聞かれるたびに「今どきの若いもんは捨てたものではない」と吹聴している。
 「捨てたものではない」という感想は、今では確信に変わった。課題レポートを書かせたからである。課題は「母を看取るすべてのひとへ」 (森津純子著)の感想文。同書のあらすじはこうである。
 ホスピス医である「私」の母は死ぬほど病院が嫌い。その母が末期がんになったため、やむなく医師である「私」が在宅看護する。家庭という閉鎖空間で医師と娘の一人二役を演じなければならない「私」。両者の凄まじい葛藤を冷酷に観察するもう一人の「私」。それら3人の「私」を抱え込んだ著者が、700日に及ぶ在宅介護を全うし、母の死を受容していく。
 在宅医療とホームヘルプが整備されていない我が国においてその人らしい在宅死を遂げることは難しい。不可能ではないが、看取る家族も看取られる本人も相当な覚悟を強いられるのだ。実の娘がホスピス医であっても患者本人と家族が支払うエネルギーは心身ともに測りがたい。
「母を看取る…」は在宅の看取りにつきまとう「光と影」をこれでもかこれでもかと執拗に描く。女子学生たちはそれをしっかり受け止めてレポートを書いてきた。文章の巧拙、肉親との死別体験や看護体験の有無、家庭環境によって差はあるものの、それがいずれも読ませるのである。「涙を流しながら読んだ」と綴る学生もいた。これが教育の醍醐味か!そんな手ごたえに感動する自分は、うぶな一年生教師だからだろうか?
「まっとうな若い人は手を抜かず指導すればついてくるもんだよ」。サラリーマンをしながら私大で産業論を教えている友人の言葉である。教育の問題点は、やはり、教えられる側よりも教える側により多くあるらしい。
 生き方も死に方も、前の世代がきちんと見せてやれば、若い人は人間の真実をちゃんと見抜く。当然のことを、サラリーマンをしていたときはわかっていなかったようである。








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