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レポート[2]
ろう児を持つ親の社会に対する働きかけ
板垣 岳人(品川ろう学校)
1.はじめに
 我が子がろうとわかったときはとてもショックでしたが、多くのろう者との出会いによって、今までいかに自分の生きてきた世界が狭かったのかということに気づきました。それからいろいろな壁にぶつかりましたが、その都度たくさんの方が力になってくださり、新たな道を切り開くことができたように思います。今までに行ってきたいくつかの活動を紹介することにより、ろう児をもつ親である私たち一人ひとりの社会的役割について提案したいと思います。
2.ろう児が誕生して
 子どもがろうと分かったのは子どもが7ヵ月のときで、はじめは大変ショックでしたが、その後たくさんの成人ろう者と知り合うことにより、ありのままの息子を受け入れることができるようになりました。そして、多くのろう者たちが誇りをもって使っている手話という言語が息子にとって最も大切なことばになるということを確信することができました。
3.保育園入園時の体験を通して
 息子がろうと分かって最初の壁は保育園の入園でした。我が家は共働きのため、現状では子どもを保育園に預けなければなりませんが、障害を理由に入園が認められませんでした。入園不承諾通知が来たのが妻の仕事復帰1ヶ月前で会社その他すべての準備を終えていただけに大変なショックでした。しかしその際、地元のろう協や聴覚障害者団体や全国のメール仲間が力を貸してくださり、自治体への陳情書やメールによって要望をしてくださいました。最終的には地元の市民団体があいだに入ってくださり、入園不承諾の撤回、第二希望園への入園が決まり、その後第一希望園への転園という形で息子の保育園入園が実現しました。そのような経験を通して初めて障害児をもつ家庭を支える社会システムの未熟さに気づくことができました。
 自分自身の問題についてはたくさんの方の支援を受けて入園を実現させることができましたが、同じような屈辱を味わっているたくさんの方々がいます。入園時面接をさせられ、障害のない子どもは必要ない「審査会」で落とされたり、何年にも渡って入園を断られたため裁判になっているケース(他の地域)や、入園はできたものの毎年継続審査のための面接で「(障害のない子ども)の待機児童がいるので退園して欲しい」と求められるなど、単なる入園問題というよりは「障害をもつ子どもやその家族の人権」に関わる大きな問題であると感じました。
 その後市民団体とともに全国の「障害児保育実施要綱」や障害児家庭支援システムの調査を行なうことにより障害児保育に関する問題を明かにした上で、今年行政との懇談会をもつことができ、障害児をもつ親の生の声を伝え、障害児家庭支援事業に関する提案を行なうことができました。現在こうした提案を受けて行政が障害児保育に関して検討してくださっています。これは「市民の意見を聞く行政」への変革と、積極的に勉強して提案する市民集団との連携で実現することができました。その調査結果や提案は保育に関する全国的な研究集会でも紹介される予定です。
4.「保育」・「教育」の視点から
 私たちはろう児はろうである前に子どもであるということを考えなくてはいけないのではないでしょうか。通常、子どもを教える立場にある保育・教育者は特別な勉強をしています。
 「保育」という分野においては保育士になる人たちに対して次のようなことが教えられています。
 「子どもが自発的、意欲的にかかわれるような環境の構成と、そこにおける子どもの主体的な活動を大切にし、乳幼児期にふさわしい体験が得られるように遊びを通して総合的に保育を行なう」
 「子どもが思考力を始めとした多くの能力を発達させるために必要な論理の展開も、子ども同士の社会的相互作用なしには経験し得ません」
 「自分とよく似た視点を持つ他のこどもとの間で行なわれる社会的相互作用は、子どもの情緒的、社会的、道徳的な発達のみならず、知的発達にとっても不可欠な体験です」
 「子どもの発達を促すためには、大人の側からの働きかけばかりでなく、子どもからの自発的、能動的な働きかけが行なわれるようにすることが必要です」
(保母試験に合格する本 保母試験合格指導会編 有紀書房)
 
 「教育」という分野においては、昨今社会的な問題が多々発生しているため、さまざまな分析や研究がされていますが、東京大学大学院教育学研究科助教授の汐見稔幸氏は「日本の教育と人格形成上に生じている問題」について書籍(「教育」からの脱皮 ひとなる書房)のなかで次の項目を挙げています。
 ・自己肯定感の育成(子どもが自分のかけがえのなさを深く信頼する)
 ・選択能力と主体の形成(人生の選択肢の多様化に伴う選択する力の育成)
 ・判断主体の形成(解を自分でつくる力の育成)
 ・学校化過剰(家庭と学校における「教育」のみを問題にする傾向)
 ・情報管理主体形成(情報を自前で生産し管理する力の育成)
 ・真性の文化体験(学校が「文化の変容」に充分対応できていない)
 ・家庭と育児の危機(学校を含めた社会が親の育児をうまく支えられていない)
 また、同書籍の「基礎学力概念の再検討」―単純な鍛錬主義をのりこえて―という部分で、必要な基礎学力は単なる読・書・算ではなく、「現代的リテラシー教育」が必要であることに触れ、「学びの主体としての子どもが、授業、鍛錬の対象として位置づけられるのではなく―鍛錬が大事だと思えば、それを子どもたち自身が相互発見しあえるような学習が保障されねばならないだろう―、基礎学力を身につけることが、文化の基礎部分を感動的に発見し身につけていくことに重なるような、学びの質を追い求める授業が大切になるだろう。」と述べています。
 「保育」で言われている乳幼児期にこそ必要な「乳幼児期にふさわしい体験が得られるための遊び」や「自分とよく似た視点を持つ他のこどもとの間で行なわれる社会的相互作用」はどのような子どもにもあてはまるはずです。そして特にろう児の場合、乳児期においてお互いに対等で無理のない手話によるコミュニケーションができるろう学校という場(聴覚口話法のろう学校でも、モデルとなるろう者と接する機会があり、子ども同士の自由な遊びが保証されていれば効果がある)の果たしている役割は大きいと思います。そして、「教育」での問題点として汐見氏が挙げているすべてはろう教育においても点検し改善していかなくてはいけない部分だと思います。
 私の子どもは多くの方の支援により保育園への入園ができたのですが、対等な手話を使った友達関係を築いていけるようにするために、ろう学校幼稚部に入れる必要があり、現在乳幼児相談に通って準備をしています。親が働いているあいだ子どもをろう学校で預かってもらうためには、「ろう児を育てる共働き家庭への支援制度」が不可欠ですが、これについても今後提案をするとともに、具体的な手段を検討していきたいと考えています。
5.親同士の連携
 ろう児をもつ親にとって果たすべき役割はどのようなものなのでしょう。子どもの権利条約18条にもあるように「親双方が子どもの養育および発達に対する共通の責任を有する」わけですから、親は大きな責任をもっています。しかし、その際「子どもの最善の利益」が何なのか、子どもにとって、子どもの将来にとって何が必要なのかを、親である私たち一人ひとりが、「子どもにとって必要な基礎学力」という概念そのものが変化し、社会が求める人材もまた変化しつつある中にあって真剣に考えていかなくてはなりません。また、私たちの子どもはまぎれもなく大人のろう者に成長していきます。その事実は変わることはありません。そのことをいかに早く受け入れ、子どもの将来の姿であるろう者との交流を持っていくかということがろう児を育てる上で大切だと思います。そのうえで、ろう者の手話や文化について、障害一般について、教育について、育児について、地域社会と学校との関係について等幅広い学びをしていくことが大切ではないでしょうか。
 そして私たち親は単に自分の子どもの成長だけに関心を持つのではなく、クラスで机を並べている子どもたちについて、ろう学校に通う全ての生徒について、そして更には全国のろう学校のことも考え連携をとっていく必要があると思います。ろう児に対するろう教育の改善はそうした連携なしには難しいのではないでしょうか。昨年そうした思いを持ったろう児をもつ親たちが集まり「全国ろう児をもつ親の会」(http://www.hat.hi-ho.ne.jp/at_home/)を結成しました。全国の親たちが自ら勉強し、入手した情報をインターネットという形で全国に発信してろう児をもつ親たちすべてがろう児の子育てについての広い知識を持つことができればと願っています。開設当初から思いのほか反響が大きく、この1年のあいだに約2万件のアクセスがあり、全国の親から電子メールで協力をいただいたり、数々の相談をいただいております。最近ではろう学校の先生方からもメールをいただいたり、各種講演会等でホームページの資料を使わせて欲しいといった要望も来ています。
 親である私たち一人ひとりが更に勉強してお互いに連携を強めていったらもっと素晴らしいろう教育へと変えていくことができるのではないでしょうか。
6.さいごに
 これまで、教育に限らず多くの公的分野において「一方的な提供と矯正」が行なわれてきたように思います。しかし時代の変化にともない、「上からのもの」と「下からの要求」に大きなずれが生じてきました。その結果親たちから教師に対する要求が大きくなったり、役所などの職員に対する不満が増してきたのではないでしょうか。しかし、こうしたことに対して苦情を言うだけが解決の方法ではありません。政府や地方自治体が市民の声に耳を傾け、学校では校長の公募や評議会の設置などが行なわれ、行政の多くの事業が民間に委託されるなど、「地域社会との協働」が求められるように変化してきています。そうした変化を私たち親・市民はもっと重く受け止め、一人ひとりが新たな意識をもっていく必要があるのではないでしょうか。これは「プライベイト・シチズン(個人の生活を大切にしつづける市民)」から「パブリック・シチズン(社会や身の回りのことに疑問を持って積極的に関与していくことの意識を持った市民)」への変革であり、私たち親・市民が担える部分を積極的に担っていくことにより学校や行政との協働を推進し、より良い学校や地域社会をつくりあげていく必要があるのではないでしょうか。
 
畠山(札幌聴力障害者協会)
 先輩ろうあ者との交流が必要ということで、札幌ろう学校に子どもを通わせている健聴の親から、仕事を持っている関係で子どもを学校に送り迎えできないという相談があった。朝とお母さんの仕事が終わるまでの間、子どもを預かる試みを1年間してみた。仕事を持たないろうの方が保育を担ってくれて効果があった。
 
レポーター:板垣(品川ろう学校)
 私の学校は、昨年まで朝から午後まで親が付き添っていなければいけないという仕組みがあったが、要望して去年からは親が付き添わなくても良いということになった。急に全部変えることは難しいが、少しずつ実現していく、制度化していくことが大切だ。自分の子どもだけでなく、他の子どもについても積極的に関わっていくことが必要だ。








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