戦争を無くすには
筑後 龍太郎(ちくごりゅうたろう 一九二五年生)
桜並木がすっかり青々としています。「万朶の桜か襟の色……」毎年パッと咲いて短い花の命を又今年も散らして時は過ぎてゆきました。
思い起せば我が国では、明治以後の日本は「常勝の国・日本」であり、国民は道徳堅固にして風雅な情緒をもち、日本人は世界のリーダーの矜持を持った「栄えある日本」と自認していました。私も二十一歳までこれを誇りに「お国の為に」を自分の修業目標と信じていました。桜はその象徴でした。
ところが、国は戦争を余儀なくされ、更に悪戦苦闘の末、戦いに敗けてしまいました。そして敗れた途端、世は一変して「日本は帝国主義侵略の国家」の烙印を捺されてしまい、未だにその影は尾を引いています。
一体死を賭して戦い散っていった桜は悪の道化者だったのでしょうか。
そもそも戦争が起きた所以は何であったでしょうか?
昭和初期の大不況にあえぐ日本を建て直そうと、当時の歴代の為政者たちが採った政策の行き着いたところが戦争ということになりました。そして戦い敗れましたが、世界は日本がこの戦争にいたらしめた政策が悪であり、無理矢理に侵略戦争を仕掛けたと言うことで、その責任を追求されました。しかし真実はなお、後世の歴史が明らかにするところだろうと思います。
私は其の戦争に国民として、兵士として、参加しました。そして其の事は私の人生の若かりし時に、盲目的といえばそうかも知れませんが、国体を信じて疑わず、国のため命を捨てる覚悟で死線を越えてきた人生として、悔いはありません。色々な批判はありましょうが、個人として信ずるところに命を賭けたことに悔いはないのです。またかつての「日本兵」としての誇りさえ持っています。
しかし「戦争」の悲惨さ残酷さは胸の潰れる思いでした。もっともそのことは大東亜戦争に始まったわけではありません。日本史の中には同胞相喰んだこと、農民の苦難、残酷史の数々は、私達も頭のなかでは知っていました。けれど今度の戦争での何百万の戦死・戦傷者、家を焼かれ肉親を失い、食べるものにも事欠き、その上痩せ衰えた帰還兵士、シベリア抑留、外地からの引揚者等々、敗けたための残酷・悲惨さの数々を骨の髓まで思い知らされました。そして更にそういった現実を前に、精神も病みました。
私は敗けた軍隊の一員として肩身の狭い思いにも駆られました。敗けた悔しさと共に、これからどうなるのか分からない状態に、生きる目標を失ってさ迷いました。「立ち上らねば」と思いつつもその日の食を求めて田舎に買い出しにゆく日が続きました。
時には「こうなるくらいなら、いっそ敗ける戦いをするより屈辱にひれ伏して堪えたほうが良かったのか?」「否、民族の運命をかけて最後のひとりになるまで玉砕すべきだったのか?」悔いても始まらない事にさえ思い惑いました。
しかし国は民族の存続を願い、苦しくとも生きてゆく道を選びました。そして私も戦争と敗戦を運命と観じて、これからの生涯をなんとしても生きてゆこうと思うようになりました。
そして又、私は、敗れた日本人だけが苦しんでいるだけでなく、勝った国の方にも戦争の惨禍を齎らしていることを思いました。戦いは勝者にも敗者にも苦しみを与えたのです。幼友達の中国人も殺されました。学友の朝鮮人も死にました。今は敵味方の別なく、ただ冥福を祈っています。
しかし、戦後はアメリカとソ連の争いに様変わりして、なお戦争は世界の各地で起こって、今なおつづいています。私の心の中では「なぜやめないんだ!」との叫びが延々として続いています。
戦後半世紀が過ぎました。日本は平和憲法を基に戦争を忌避し平和を謳歌してきました。それを維持してきたのは、戦争体験をした、今は高齢化した時代の人々の切実な平和希求であったと私は思っています。唯惨禍を恐れるだけでなく、ともすれば発火しそうな国家・民族間の摩擦にも、過去の経緯を分析反省し、懸命に泳いでいます。にも拘らず近隣諸国からは、日本の再爆発を懸念されています。いやな表現ですが、そこには「勝てば官軍・敗ければ賊軍」の譬えに似た匂いも残っているような気もします。それも戦争をして敗戦国になった日本の苦しみです。けれど耐えてゆかねばならないと思います。その意味では戦後は終わっていません。悲惨な戦争の体験はこどもたちや孫達に伝えようにも、若い人には「話」であって、切実に伝わらぬもどかしさを感じています。
私の体験から出る戦争回避のための突き詰めた考え方は、極言すれば「人間の欲」のぶつかり合いから戦争は起こるものだと考えるのです。という事は個人個人が人間としての在り方を反省せねばならないのではないでしょうか。個人の欲望の追求が、地域や社会構成の中で纏ってゆき、更に国家意思・民族意思へと拡大すると、其の欲望に抵抗する他の社会(そこにも同様の欲望追求の固まりが存在する)と激突することになり、遂には力の戦いが起こるのだと思うのです。それを少なくとも武力戦争にいたらしめないためには、人間一人一人の欲望の浄化が必要だと思います。経済的にも唯裕福・贅沢を追求していては限りがありません。終戦の詔勅ではありませんが、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」事も覚悟して己が身を治めることこそ、平和につながる道だと思っています。より大きな人類の幸せを念頭に、我が身を治すると言うことは宗教心の問題かもしれません。
こう思うのも、生死の境をさ迷った経験から出てくるように思います。そしてもっと端的に言えば、人間相互の「思いやり」という事から発すると思って自分を戒め、これからの人生を修業してゆきます。