5. ICU精神病
ここまで身体疾患の精神症状について,意識障害と喪失体験を中心にみてきましたが,臨床の場でどのように問題をとらえるかという視点で,ICU精神病と透析を取り上げてお話しします。
1970年代以降,重い病態の患者さんの手術や脳外科や心臓の手術などが行われるようになるにつれて,術後の身体的な管理の必要からICUが急速に普及します。しかしそこで問題になったのは激しい精神症状を示す患者さんが10数%,あるいはそれ以上見られたことです。いうまでもなくその多くはせん妄なのですが,特異的なこととして「ナースステーションから,薬に毒を入れておいたと話しているのが聴こえた」といった治療スタッフを対象にする幻覚妄想が多いことと,激しい錯乱状態になっても点滴やドレンなどの治療機器を外すことが少ないことです。つまり生への願望が強いことをうかがわせます。
どうしてこのような精神症状が出るのかが検討されました。その結果,身体的な要因としては,もともとの病態が重い例が多いこと,そして手術による身体侵襲や電解質などのバランスが乱れていること,そのうえ麻酔の影響が残るなどのことが指摘されました。それに加えて,術後の管理や治療薬(点滴など)による問題も関与しています。
もうひとつの要因は心理的な問題です。重い症状だけに死の不安が強いうえに,患者さんの間にあそこ(ICU)に入ったらおしまいだという風評があります。それだけでなく,それまでの治療スタッフと離されてまったく別のスタッフに代わります。そのために不安は増強します。
さらにICU特有の問題が指摘されました。感覚遮断と睡眠遮断です。厳重に管理された部屋なので窓の外の景色を見たり,家族の面会やほかの患者さんと話すこともできず,テレビやラジオもダメ。聴こえるのはモニターの音だけといった環境に置かれていました。これが感覚遮断です。そして夜中も1時間おき,2時間おきに血圧測定やスタッフの巡視で起こされるために睡眠が妨害されます。
このような問題点が指摘されて,すぐに改善が図られました。たとえば,ICUに入る前にICUスタッフが病室を訪れたり,ICUに移ってからそれまでの治療スタッフが顔を出す,テレビを見られるようにしたり家族の面会を認める。夜間の血圧測定や巡視にも気を配ることが強調されました。このようなICUにおける患者さんの心理面や環境に対する取り組みによってICU精神病の出現率は5%以下になりました。
このことは,ICUだけではなく,重い病状の患者さんの死の不安に対して治療スタッフの心理面への取り組みが重要なことを物語っています。そして,せん妄が身体要因や薬によるだけでなく,心理的にも生じることを示しています。そのうえせん妄状態下では,自分のいる状況や周囲の人が誰かわからないので不安や困惑が強い。こうして二重三重に不安が強まるのです。それに対して,ただ精神安定剤を注射して鎮静しようとしたり,縛ったりするのではますます不安が増強してしまいます。
こういう場合に大切なことは,逃げないで話を聞くことです。座って聞く。興奮しているので見当違いなことを言ったり,攻撃することもありますが,話の誤りをすぐに正したり,弁解したりしないで,本人の言い分にトコトン耳を傾ける構えが求められます。そうすると何を言いたいのか,何が不安なのか,何に怒っているのかがわかってきます。そこまで話すと患者さんはしだいに落ち着いてきます。自分の話をわかってもらえたと思うとそれで随分と落ち着くものです。その段階で「今日は遅いから寝ましょう」と薬を勧めればたいていは受け入れてくれます。時間がかかるようで,急いで抑え込もうとして注射したり拘束するより早く事態を収拾できるし,心身ともに結果もいいのです。スタッフの精神衛生にもいいはずです。