3. 対応の基本
このような身体的な問題に対して,医療スタッフはどう関わったらいいのかについて,基本的なことだけを箇条書きにして述べます。
1)身体疾患を考える
第一に強調したいのは,患者さんが精神疾患であろうとなかろうと,身体的な訴えがある場合は,まず身体疾患を考えることです。「これは精神症状だ」「また言っている」という対応はしない。身体疾患の可能性がある場合と,本人や家族の不安が強い時にはしかるべく専門医にかかるように勧める。ただし,紹介状を書いたり,直接電話をして予約をとるような受診のお膳立てはしないほうがいい。あくまでも受診する,しないの選択は本人がする。私は他から紹介された患者さんを診る機会がありますが,「○○さんから言われたので来た」と自分の意思ではないことを強調する患者さんが少なくありません。受診が必要なことをコメントして,それ以上は立ち入らないのも大切な態度です。
2)薬物との関連を考える
第二は薬との関連を考えることです。これは非常に大事なことです。今日のように効果のある新しい薬が続々登場しているのですから,薬の副作用の知識も必要ですが,身体症状が出たら,薬によるのではないかという目をもっていることが大切です。そうすると思いがけない薬の副作用に気がつくことがあります。私は患者さんの家族からずいぶん薬の副作用を教わりました。家族は生活場面で変化をとらえるので重要な観察者なのです。新聞では新しい薬が有効だとは書き立てますが,副作用については因果関係の証明はあるかとやたら慎重です。しかし,重要なのは副作用情報のほうです。
医療スタッフの意識も問題があります。多くの人は,医師の出している薬は飲みなさいと言います。ところが,患者さんがこの薬を飲んだら具合が悪いと言った場合に,その話をきちんと受け止めるより,医師が出しているのだからとりあえず飲みなさいと,医師の立場で発言して患者の立場に立たないのです。
患者の訴えをまずきちんと受け止めて,医師に検討してもらうようにすることが大切です。薬については実際に服用している患者さんの疑問をきちんと受け止めるほうが大事です。医師の代理人になって飲んだほうがいいとか,やめないほうがいいなどと言うのでは,看護の自立などありえないと私は言いたいのです。
3)病気はなくても症状はある
心気症状のところでも触れましたが,身体的な基盤がなくても,いろいろな身体症状は出ます。医療スタッフは,身体疾患がないと,そこで患者さんの訴えをカットしてしまうことが多い。病気はない,だから症状もないというわけです。しかし,患者は病気に悩んでいるのではなくて,苦しい,痛いというような症状に悩んでいるのです。身体症状はあるのです。だから「痛いと言いますけど,骨は折れていませんよ」で終わりではないのです。その人の痛みをきちんと受け止めなければいけないのです。その点では日本の医療は疾患中心です。そこにはまらないようにして下さい。
4)訴えの背景を考える
いろいろな身体症状の訴えには心理的な背景とか精神的な問題による場合があります。教科書にはおしなべて「全人的な関わりが必要だ」と書かれていますが,今日のように医療技術が高度化してくると,トレーニングは技術の修得に重きをおかれているのが実情です。古い医者の私では扱えないような器械が導入されますが,看護婦さんはそれを日常的に使いこなして仕事をしています。そういう技術が看護に要求されている時代なのです。そういう中で,心理的な面とか全人的なアプローチが,技術の修得と同じレベルでトレーニングされなくなっています。技術の修得が優先されるのは生きるか死ぬかに関係するからで,これだけ治療技術が高度化して重篤な患者さんをみる時代では,それにふさわしい技術を身につけていなければ患者さんは死んでしまうわけです。
一方,患者さんの理解は,それをしなければ死ぬというものではないために,きわめて個人的な経験やその人の人生観の中で処理されていることが多く,それがまかり通っています。しかし医療技術が高度化すればするほど患者の心理的問題もふえて,それへのアプローチが必要となっています。ところが高齢者の看護やケアの理論では自分が親を看たという経験だけで,患者さんに対していることが多いのです。患者さんは一人一人違うのに,「老人とはこういうものだ」「自分は親をこう看取った」といった自分の価値観で対応している。死なないので,それが検証されずにすまされているわけです。
そのようなことがチーム医療の中できちんと理論化されないのです。スタッフ一人一人の人生観や価値観は違っていて当然ですが,チームの中で自分の人生観やその患者さんについての自分の見方をきちんと他のスタッフに説明したり,他の人の意見を聞く必要があります。そのトレーニングが日本ではしっかり行われていないのです。