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5.おわりに
 本事件でフランスの特任裁判官を務めたジャン=ピエール・コットは、ベリーズの代理人が、フランスは国際法において「速やかな没収」という新しい概念を導入したと非難したのに対して、次のように答えている。「刑事手続の迅速性は第292条の違反を構成するものではなく、むしろ、その規定の精神を適用しているのである。なぜなら、第292条は、排他的経済水域で行われた犯罪に対して、沿岸国の刑法の適用を排除することをその対象としているものではないからである。第292条を保証金を支払うことによって、違反を行った犯人に罰が科せられないことを確保する形式とみることこそが、奇妙な条文の読み方である。したがって、「合理的な保証金」は、沿岸国の立法が規定する罰則に取って代わられ得る(58)」と反論するのである。つまり、沿岸国は、みずからの排他的経済水域の生物資源の保存管理のためには、目に余る違法操業を繰り返す船舶に対し、没収という罰則を科することは条約上も排除されていないというのである。
 しかし、はたして即時釈放制度の中で、「合理的な保証金」が、安易に沿岸国による他の罰則、すなわち「速やかな船舶の没収」に取って代わりうるものであるかどうか疑問なしとしない。仮に国内法の平面において、沿岸国の排他的経済水域に対する主権的権利の重大な侵害は、旗国の航行の自由を奪うのはもちろん、船舶の所有権すら奪うという罰則が規定されていたとしても、即時釈放制度を生み出した国際法の平面において、それをそのまま受容せねばならないかどうかは慎重な考慮を要するように思われる。いずれにしても、本事件は条約解釈の問題のみならず、制度の根幹にも関わる問題を提示している。繰り返しになるが、本事件は、条約第292条がはたしてフランスの行為を許容するのかどうかという海洋法条約の重大な解釈問題を提起したのであり、ITLOSがその判断の機会を逸したことは誠に残念といわざるを得ない。代わって、本事件では、船舶の旗国の地位に関する文書の解釈問題という、いわば「枝葉の問題」で、即時釈放制度と沿岸国裁判権の関係という「幹の問題」を回避する事態になってしまった。いずれにしても、提起された論点は極めて重大であり、今後の即時釈放制度の帰趨にも関わる事件として注目する必要があろう。
 ところで、条約第292条2項の初期の起草過程では、即時釈放制度における釈放の申請主体についても議論が戦わされていた。本条は、モントルー・グループ文書の段階では、「船舶所有者若しくは船長」又は「その乗組員若しくは乗客」となっていたが、アメラシンゲ案で「船舶登録国」に代わり、改訂草案の段階で「船舶の旗国」に変更されるという経緯を辿った(59)。今回の事件では、スペインの個人弁護士がベリーズの代理人になったが、想像の域を出ないが、ベリーズが便宜置籍国であったことも手伝って、本事件は、ある意味で、その内実は船舶所有者であったスペインの会社による申請ではなかったかという疑念を拭い去ることができないでいる。便宜置籍国による即時釈放事例への対応は、その意味で、こうした独自の問題を孕んでいるように思われる。
 いずれにしても、今回の事件は、当事国というより、むしろITLOSに大きな宿題が残った事件のように思われる。








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