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(2)漁船玉丸覚せい剤密輸事件控訴審判決
 玉丸事件第一審判決の内容については別稿において検討したことがあるので(15)、ここではその後の裁判所の動向について紹介しその問題点を述べることにしたい。2000年(平12)12月20日、玉丸事件の控訴審である東京高裁は、陸揚げ説を適用し輸入予備罪の成立を認めた一審判決を支持すると共に、一審判決にも増して詳細な理論的な展開を行った(16)。そこで、前述のヨット事件判決を考える手掛かりとして、東京高裁の理論構成に若干の検討を加えたいと思う。
 玉丸事件における検察官の主張内容は次の通りである。すなわち、「覚せい剤取締法にいう輸入とは、同法による取締りを行うことができない本邦外の領域から、その取締りを行うことができる本邦の領域内に覚せい剤を搬入し、濫用による保健衛生上の危害をもたらす危険のある状態を作出することをいい、輸入の形態毎に輸入の既遂時期は異なる。そして、本件のように、日本人の犯人が支配している日本船籍の船舶を用いて公海上で覚せい剤を受け取り、その後引き続いて覚せい剤を本邦に陸揚げすべく同船を本邦に向けて航行させた上、本邦の領海内に入り、陸上の者と頻繁に連絡を取り合い、GPSを作動させ、いつでも何処の港にも覚せい剤を陸揚げすることが容易な態様で実行される密輸入事案においては、犯人が公海上で覚せい剤を受け取った後、これを本邦の領海内に持ち込んだ時点で、覚せい剤濫用による保健衛生上の危害発生の危険性が顕在化ないし現実化したと認められるから、覚せい剤輸入罪は既遂に達すると解すべきである。」
 これに対し、東京高裁は次の四点に注目し、陸揚げ説に基づいて本件事案を解決しようとしている。
 第一に、最高裁判例の射程距離についてである。覚せい剤輸入罪の「輸入」の意義については、指導的判例として1983年(昭58)9月29日の最高裁判決があるが、これは、「覚せい剤輸入罪は、覚せい剤を船舶から保税地域に陸揚げし、あるいは税関空港に着陸した航空機から覚せい剤を取り下ろすことによって既遂に達するものと解するのが相当である」と判示したものである(最判昭58・9・29刑集37巻7号1137頁)。判例が、陸揚げ説をとる理由は「陸揚げあるいは取り下ろしにより危害発生の危険性」が生じることにある。検察官は、この判例は、外国貨物に対する税関の実力的管理が及んでいる地域に外国から覚せい剤を持ち込んだ事案についての判断であり、本件のように日本の小型船舶を用意して公海上で外国船籍の船舶から覚せい剤を受け取り、本邦へ持ち込むという瀬取り方式の事案が異なるとし、本件は最高裁判決の射程距離の外にある主張している。
 しかし、控訴審は、最高裁判決は税関の実力的管理支配が及んでいるかどうかに着目して既遂時期を判示したものではなく、覚せい剤の我が国領土への「着地」という点に着目して既遂時期を判示したと反論している。たしかに、判例は、覚せい剤の流通・拡散の危険は「着地」という事実によって飛躍的に高まると考えて「陸揚げ・取り下ろし」を一律に既遂判断のメルクマールとしたものと解するのが相当で、これを輸入の形態毎に既遂時期が異なるということを前提に保税地域を経由する場合に限定して判示したと見得る根拠を最高裁判決の中に見出すのは困難であると思われる。
 第二は、本件既遂時期を領海搬入時とすることの当否についてである。控訴審は、「陸揚げ行為と領海外から領海内に覚せい剤を搬入したにとどまる行為や陸揚げ前に海上で覚せい剤を第三者に譲渡した行為との間には、保健衛生上の危害発生に関してわが国に生じさせる危険性の程度に差があることは明らかで、陸揚げにまで至らなかった犯人に対してあえて輸入罪と同等の刑罰を科さなければならない必然性までは認められない。」とし、「瀬取り船の乗組員が陸揚げ前に領海内で覚せい剤を譲り渡したとき、譲受人が陸揚げしたとしても、譲受人には……共犯関係が認められない限り、覚せい剤輸入罪が成立しないことなる」が、それでは「領海内搬入よりも危害発生の危険性の高い領土内への陸揚げ行為をした者が輸入罪で処罰されず、譲受罪又は所持罪にとどまるというのは明らかに不均衡であろう」と批判している。
 第三に、輸入形態毎に既遂時期が異なることの当否についてである。検察官は輸入形態毎に既遂時期を個別的に考えようとするが、控訴審は、「濫用による保健衛生上の危害をもたらす危険のある状態を作出すること」という基準は必ずしも明確でなく、いかなる行為が右危険状態を作出する行為に当たるのかは不明確であり、「輸入の形態毎に覚せい剤輸入罪の既遂時期に差を設けるという解釈は、輸入罪の構成要件の理解に甚だしい不明確さをもたらす」と指摘している。たしかに、構成要件の明確性という視点からは検察官の主張には無理があるように思われる。
 第四は、覚せい剤輸入罪の実行行為性についてである。控訴審は、覚せい剤輸入罪の実行行為を「陸揚げ行為」とし、陸揚げの現実的危険性が生じたとき、すなわち、陸揚げ行為を開始したとき又はそれに密着する行為を行い陸揚げの現実的危険性のある状態が生じたときに実行の着手が認められると判示している。このように、控訴審は、陸揚げ行為の危険性に着目し一審判決の結論を支持しているのである。
 それでは、このような陸揚げ説をとる高裁判決の論理を我々はいかに評価すべきであろうか(17)。まず、第一に、「輸入罪」と「製造罪」は共に我が国に存在しなかった覚せい剤を存在させることによって保健衛生上の危害を発生させることがその処罰根拠であり、法定刑も同一であるが、製造は領海内で行われれば処罰されるのに、輸入は陸揚げしなければ処罰しないというのは不均衡ではないかという点である。
 この点につき、陸揚げ説の側からは、覚せい剤製造設備を積み込んだ大型船舶で領海内の洋上で覚せい剤を製造した場合などというほとんどあり得ない教室設例を持ちだし、それとの均衡を持ち出すのは説得力に乏しいと反論することになろう。しかし、現行法が製造と輸入を並べて規定した根拠を考えれば、現行法の解釈論としては不均衡論に正面から答える必要があるように思われる。
 第二に、控訴審判決は、領土への陸揚げと領海への搬入との間で公衆の保健衛生に対する危険の発生の程度に質的な差を認めている。たしかに、領土は不特定多数の公衆が存在する場所であるから、類型的に見て危険性が高いといえる。その意味で、陸揚げを既遂時期とみることには一定の合理性がある。しかし、処罰根拠としての保健衛生に対する危険が陸揚げの時期まで待たなければ存在しないとなぜ言えるのであろうか。抽象的危険犯の実行行為がなぜ法益侵害の危険の「切迫」までをも要求されるのかが問題である。例えば、抽象的危険犯の典型例である文書偽造罪においても、名義人と作成者の人格の同一性を偽る行為を行うだけで文書に対する公共の信用を害する危険があるとされ法益侵害の「切迫性」などは要件とはされていないのである。
 陸揚げ説が輸入罪の実行行為を「陸揚げ」に限定する根拠は「実行の着手とは法益侵害の具体的危険が発生した時点をいう」とする一般理論にあり、陸揚げを法益侵害結果のようにとらえその具体的危険の発生時点を陸揚げ行為の開始時と解していると思われるが、そもそもこの基準は(法益侵害の発生を要件とする)侵害犯における法益侵害の「具体的」危険の発生が問題となる場合の基準であり、抽象的危険犯の場合にそのままの形で採用できる基準ではないと思われる。抽象的危険犯の場合、実行行為は構成要件に規定されている行為であり、流通・拡散の危険が「切迫」していなくても、ある一定程度以上の流通・拡散の可能性があれば抽象的危険犯は肯定できると思われる。覚せい剤の「輸入」とは本邦の領域外から本邦の領域内に覚せい剤を搬入することであり、それを法益で限定するとしても、陸揚げ行為に限定されるべき根拠は必ずしも明らかではない。
 なお、控訴審判決は、瀬取りによる密輸入が陸揚げの蓋然性が低いことを根拠に輸入(未遂)罪の成立を否定している。たしかに、瀬取りの場合に陸揚げできないケースもあるが、周到な準備をして陸揚げを敢行している事例も存在しているのであり、陸揚げの蓋然性が低いと言い切れるか、そのような認識自体に問題があるように思われる。








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