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<寄稿>
遥かなる遊牧民の国モンゴルは今…
安野 守 (当協会総務部長)
1.はじめに
 国土が広大で、人口密度の低いモンゴルでは、自然条件も厳しく、鉄道、道路の密度がまばらであることから、航空輸送は国内、及び国際経済活動の基本的な役割を担っている。現在、モンゴルでは先に述べた広大な国土、地形及び整備のための経費の観点等から、衛星技術を基準にした全国航行援助施設整備プロジェクトを推進中であり、現在の地上型航法システムから衛星航法システムに改善する計画がある。モンゴル空域が運輸多目的衛星(MTSAT)(注1)のサービス範囲にあることから、モンゴル政府は衛星航法システムとして、我が国が現在整備を進めているMTSAT用衛星航法補強システム(MSAS)(注2)を利用する意向を固め、当該システムの整備を行いたい旨の申し出を我が国航空局に行った。このため本年6月航空局の担当者がモンゴルに必要なシステム整備等の説明及び方策を検討するために現地を訪問した。
 一方、モンゴル国内で唯一の国際空港であるウランバートル(ボヤント・オハー)国際空港は片側のみの運用を強いられていること、滑走路の傾斜が1.5度近いこと(国際民間航空機関の基準では1度以下となっている)、気象条件悪化時の代替空港がないこと、長距離便のための滑走路延長が山の関係でできない等の理由から、代替空港の整備を行いたいとして、既に一定の候補地の選定を行っている。
 このような状況から、協会はこの度(株)日本空港コンサルタンツ(JAC)のN国際業務本部副本部長を団長に同社Y調査員、それに筆者の3名とともに情報収集のため、平成13年10月17日から現地調査を行った。専門的な事柄は本調査報告書に委ねることとし、肩の凝らない、調査の中で見聞したことについて紀行文風にご報告をと考えたところが、拙文のため必ずしもそのようにならなかったことをお許しいただきたい。
 
(注1)MTSAT:Multi-functional Transport Satellite(運輸多目的衛星)
 航空管制等のための航空ミッション機能と気象観測のための気象ミッション機能を併せ持つ多目的衛星。航空ミッション機能には、航空機と地上施設の間の通信機能、航法を支援する機能、及び航空機の監視機能がある。2003年の打ち上げが予定されている。
(注2)MSAS:MTSAT Satellite-based Augmentation System(MTSAT用衛星航法補強システム)
 GPS信号を航空機のすべての運航フェーズにおいて使用するためには、GPS補強信号を提供する必要がある。MTSATを利用してGPS補強信号を提供するシステム。航法統制局、GPS監視局、標定局及び地上ネットワークにより構成される。
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モンゴル航空局
2.初めての国モンゴル
 東京からモンゴルヘの空の便は距離的な面を考えると、成田(関空)〜北京〜ウランバートルがあるが、手荷物トラブルのないよう、北京において機材変更のない関空発着のモンゴル航空を利用することとした。同航空はルフトハンザ航空からリースしているエアバスA310-300一機によりモスクワ、ベルリンの路線等に運航している。一旦機材が故障するとどうなるのだろうと考えてしまう。羽田から関空まで国内線で行って、そこで乗り継いだ。同行の団長は10年程前に一度調査で2月という極寒の時期に訪問した経験があるが、筆者は初めてであり、ガイドブックであらかじめ気候、通貨、食べ物、観光地等一般的なことについて調べたところでは、10月の平均気温は1度ということで、一日でも早く出かけたほうがよいということで準備を急いだ。
 モンゴル航空906便は約45分遅れて関空を出発(17:05)、目的地到着予定が遅いだけに遅れが気にかかった。韓国ソウル上空経由で、北京到着までは2時間40分程で予定どおりだったが、1時間のはずが何だかんだで機内で待つこと2時間の後、機は北京を後にした(20:45)。高度3万5千フィート、途中機内は暗くなり、窓が下ろされ2度目の食事が出された。中国仕立ての食事なので狂牛病は大丈夫だろうと考えながらビーフを注文した。食事が終わって少し眠くなったが、到着後のことが気がかりで、すぐには眠れなかった。映画を見たりしているうちに、なぜか思ったより早く機は22時25分ウランバートル国際空港にすべり込んだ。北京から1時間40分程だ。機外温度マイナス1度と案内している。用意したセーターと冬用ダウンを委託荷物を待つ間に着込む。ガイドブックでは外貨持ち込みは制限がないが、申告をしないと出国の時残額を没収されると書いてある。申告書を持ってどうしようかと考えていたが、経験者の団長が必要ないということなので、又外貨をいちいち出国の時調べないだろうと読んで申告は止めた。これは後で正解だったことがわかった。入国は入国カードを提出しただけですんなり。ホテルまで時間が遅いのでタクシーが拾えるかなと思って到着ロビーに出ると団長の知人で現地JICA事務所の環境保護専門家で獣医の坪内さんに出迎えられ、ホッとした。日本製の四輪駆動車で荷物共々楽々と乗せてもらった。途中の景色はもうこれぞモンゴルというべき枯れ草の広大なる平地、この辺りも狼が出るんですよとこともなげにいう。かなりガタガタの道路を30分程走って今度の調査のベースであるチンギスハーンホテルに着いた。ウランバートル、いやモンゴルでは最高級のホテルという。到着客は我々の他に2名ほど、レセプションは1人の対応で何だか時間がかかった。チェックイン後翌日のモンゴル航空局(MCAA)の担当者に会うための時間を決めてそれぞれ早々に部屋に入った。
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ウランバートル管制塔から滑走路を望む
3.ガソリンがない!
 10月18日、MCAAとのミーティングのため8時半にロビー集合、初日でもあり、移動の足の状況がわからないため、タクシーを1日チャーターした。ホテルが確保してくれたがフロントガラスにもひびの入った白タクだった。途中ガソリンを入れたいというので、スタンドへ寄るが何やら入れた風もなくすぐに次のスタンドへ行くと言う。これを繰り返すこと4〜5回。やっとチケットを購入していくらか燃料が入った様子。どこもガソリンが入荷しないのだという。初日にして、約束の時間に間に合うのか、今後もこんな調子なのか、大いに不安となった。ホテルからは真っ直ぐ行けば25〜30分の距離、MCAAの場所も何回か確認してやっと空港から800メートルくらい離れたところの何でもないビルにたどり着いた。15分程遅れてしまった。ガンバータ、チンギスボールド両担当が我々を出迎えてくれた。メンドバイヤー次長は待ち切れず次の会議に出たらしい。
 簡単な自己紹介の後、我々の訪問の目的等を説明をした。モンゴル側からは現空港及び新空港の予定地選定の状況の説明があった。
 昼食をターミナルのレストランでとった。完全なるモンゴル料理だ。オードブル(チーズ、ピックルスなど)、スープ(羊肉がたっぷり、じゃがいも、人参が入っている)、羊肉ステーキ、パンと小麦粉で作ったマンドウー(メリケン粉を固めて蒸したパンのようなもの)などなど。スープとマンドウーでお腹が一杯に。
 午後は空港管制塔、管制センター(航空路の管制施設)とこれら職員の訓練所の見学を行った。管制塔では15人の管制官が交替で24時間働いている。他に飛行情報担当等が48(医者、看護婦、警備員を除く)名いる。交通量は1日20機(出発、到着含む)、夏季は40機という。決して忙しいとは言えない。3100m滑走路(R/W16/32)、約1.5度の傾斜。周辺の山等の関係で滑走路の延長は不可能で且つ一方通行を強いられている。ここに長距離便のための新空港を整備したい一つの理由がある。加えて空港周辺のスモッグにより着陸できない場合の代替空港としての必要性からだ。なにしろ国内に国際線用の代替空港が他にないから、出発空港または他国の空港へ行かざるを得ないということは、国の威信にもかかることだと推察された。
 管制センターでは、3つのセクター(管制空域の区分)があり、2ヶ月前まで全国に3つあった管制センターのうちの1つを当センターに統合したものだという。全体の交通量は多くはないが、屋外から見ることができる飛行機雲からも推測されるとおり上空通過機が多く(70機/日)、これが航空局の大きな収入源にもなっている。管制卓にはADS(注3)のモニターが設置されていた。すでにCNS/ATMシステム(注4)の先取りをしており、驚きだった。
 
(注3)ADS:Automatic Dependent Surveillance(自動従属監視)
 データリンクを利用して、航空機の位置等の情報を管制機関に自動的に伝えることにより、管制機関が航空機を監視する機能。レーダーを整備できない内陸部や洋上を航行する航空機の位置を正確に把握することが可能となり、航空機の安全を確保しつつ、管制間隔を短縮することが可能となる。
(注4)CNS/ATMシステム:Communication,Navigation,Surveillance/Air Traffic Management(通信、航法、監視/航空交通管理)第10回ICAO(国際民間航空機関)航空会議(1991年開催)において、将来の航空交通システムとして整備することが決定されたシステム。衛星やデジタル技術を多用したCNS/ATMシステムを世界的規模で整備し、その整備されたシステムをもとに国を越えた航空交通管理が可能となる。
 
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ウランバートル管制センター管制卓
4.新空港予定地
 航空局訪問第2日目は、モンゴルが最終新空港予定地に選定しているズーモッドの視察に出かけた。局の車で前日の2名の担当者と空港担当と運転手に我々だ。ウランバートルから南に約36キロメートルのところにある。途中めずらしく鉄道が走っていたり、モンゴル特有の禿げ山に枯れ草(春には緑になって美しいらしい)の草原を通り過ぎて現空港から40〜50分で目的地に着いた。そこは近くに丘が見られるものの、予定の滑走路の方向から支障はなさそうで、小さな溝に水が流れているが、排水の問題や永久凍土もなく、事前調査では特段の支障はないということらしい。見えるのは遠くの丘と馬糞と野ネズミの穴ばかり、見渡す限りの広大な土地、さすが国土の割に人口の少ないお国柄だ。しばしの視察の後、道なき道をしばらく走って元の道に戻り、予定地を後にしたが、ここに新しい滑走路ができるのはいつになるだろうという思いでいっぱいだった。
 夜はズーモッドへ同行してくれたガンバータさん、チンギスさんと韓国レストランへ出かけた。日本と同じようなメニューと思いきや韓国・モンゴル風とでもいった感じだ。飲み物を頼むと必然的にかなりのボリュームの韓国風オードブルがずらり。意外だったのは焼き肉が羊肉だったこと。ガッカリしている間もなく、「トクトーイ!」(乾杯!)といって案の定ウオッカの一気飲みでスタート。効くー!筆者は一杯だけ一気をやって、後はチビチビやらせてもらった。韓国焼酎、日本酒と出てきたが、先方は勿論平気な顔でどんどんやっていたが、こちらも負けじとがんばった?よせばいいのにホテルに戻ってまた一杯。翌朝聞いたところでは、自室に戻ってそれぞれ小さな出来事があったらしい。
 翌日は土曜日で資料の整理等をしたが、お昼前からは、話に聞いていた「タケちゃんラーメン」または日本料理で有名な「ハナマサ」を、英語はほとんど通じない現地の人に訊きながら探し歩いたが、結局両店とも店を閉めてしまっていた。他にも同様の例があり、夏場はともかく一年を通しての日本人客は少ないためだ。ちなみにモンゴル在住の日本人は200人くらいだという。
 翌日曜日はJICA専門家の坪内さんが、こちらの希望も入れて、ウランバートル近郊のダンバダルジャー日本人墓地と観光地テレルジを案内していただいた。
 ソウル・クラブで昼食後、墓地は郊外を走ること40分、一般道路をそれてデコボコ道をさらに20分、小さな村のはずれの山の中腹にあった。最近ばらばらにあった墓石を集め現在のようにきれいに整備されたという。周りは他に何もない。今でも移動が大変なところで、当時特に冬などは食事、移動手段などどんな状況であっただろうと想像する。墓地を後に、道中の安全祈願のおまじないということで、路肩の石を3個拾って積み上げ、その周りを3回廻った。前に降った雪の残る峠を越える。道路からところどころにゲル(円形の移動式住居)や放牧の馬、牛、羊、山羊などの家畜がみられる。モンゴルではあいかわらずの風景だ。モンゴル人は馬に乗れること、羊を解体できること、酒が飲めることが必要という。遊牧で生活をする場合当然のことなのだろう。途中に、他の場所で出土したという恐竜をコンクリートで作って展示してある公園に立ち寄り、ウランバートルの東北東約50キロメートルの保養地テレルジに着く。草原の中のいろいろな形の岩があるが、亀の形に似た巨大な岩石が一際目立つ。1〜2のホテルとツーリストゲル、モンゴル人専用の保養所がありシーズン中はにぎわうらしい。
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モンゴルは大昔はこうだった








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