思いつくまま
田坂 茂
初心
五十余年前のことになります。それまで川しか見たことのなかった子供がはじめて目にする海。
はるか彼方まで広角に拡がる水面、石組みのガンギで打ち寄せる波のしぶきを浴びながら飽くこともなく眺めた新世界。
満潮時の溢れるような海面、干潮時の干潟、カニ、シャコ、ゴカイ、水溜まりのチヌや小エビ、船底をたき火で焼いて防汚する小型木造漁船、私の海の原点です。
いつまでも海を大切にしたいと思っています。
船酔い
小学生のとき、宇品から宮島に船で行き、向かい波で酔って目を回してしまいました。
中学生のとき、広島の御幸橋のたもとで友達と二人、船を借りて(当時は中学生だけでも貸してもらえる良き時代でした)釣りにでました。このときも酔って釣りどころではなくなりました。
酔うのは子供のときだけかと思ったら、学生時代足摺岬沖のうねり攻めで、高知に入港上陸してからも数時間、周囲の建物や路面が揺れ動いていました。
少しでも気分のよい姿勢をと必死になって工夫しました。立っているときはひざの力を抜き、少し曲げて乗馬のときのような姿勢になる。寝ているときは横向きで身体を丸めているのが一番楽なようです。
酒に酔えば船に酔わないとききましたが、真理でもなさそうです。
2、3トンの船での大揺れにも平気な漁師さんが、300トン程の船に乗り移った途端、気分が悪いと言っていたのを覚えております。
昭和34年、伊勢湾台風の次の次の18号台風に遭遇し、3日3晩飲まず食わずでしたが4日目からは、重湯、お粥と食い気のほうが勝って、これで度胸がつきました。 自分が責任ある立場につくようになり、大時化で「もしかすると……」と極度に緊張したときは酔うどころではありませんでした。年と共に自分でも酔うことが少なくなり、若い人が青い顔をしているのを見かけるようになったのは、慣れたのか、感覚が老化したのか。
いずれにしても酔いに強いということは感謝すべきことだと思います。
視力
「大空のさむらい」(坂井三郎著)という本で、遠くの山の稜線を眺めて視力を養ったということを知り、実行を心掛けたものです。現在眼鏡を常用するようになってそのはん雑さを強く感じています。子供のときから眼鏡をかけているのを見掛けると可哀そうな気がします。
テレビを見過ぎないよう、視力を大切にしましょう。
水平線上に船体は見えず、煙やマストだけ見ると、地球は丸いと実感したものです。
暗夜、無灯の船でも、ある程度の大ささの船は1海里ぐらいまで近づくと船影(シルエット)が浮かびます。
夜間、明るいところから暗いところに入って目が慣れるまで、15分はかかると教わりました。
船員法関係の「航海当直基準」では、引継相手が正常且つ準備完了まで前直の責任とされています。
双眼鏡は自分の目に合わせたものを常備しましょう。
サングラスも必要に応じて使えるように。
泳ぎ
子供心に泳げるようになりたい一心でした。泳げる友達の様子を観察しては考え、水深30センチぐらいのところで顔を漬け、手足を伸ばしうつ伏せになってみました。一瞬フワッと身体が浮く感覚、ヤッター!
顔を漬けるのがポイント、溺れる経験なく泳げるようになりました。それでも救命胴衣は必需品、物置に仕舞うのでなく、特に小型船ではしっかり身につけていただきたいものです。事故はなかなか予告してくれません。
風
一般の天気予報などで言われる風速は主として陸上で観測された平均風速です。海上での実測データは極めて少ないものと考えられます。
瞬間最大風速は平均風速の5割増し以上。陸上に較べて障害物の少ない海上では陸上風速の5割増し程度を見積もるべきでしょう。
陸上 |
平均10m/s |
瞬間最大15m/s |
海上 |
平均15m/s |
瞬間最大20m/s以上 |
帆走(セーリング)で、風上には間切りによって航走します。若い頃目的地を風下の方に間違え、泣く思いをしたのを覚えています。夏期の瀬戸内海では朝夕の凪が有名ですが、午後の海風も特徴的です。島と島の間など海上にも風の道があります。これを上手に見つけるのも帆走の醍醐味の一つです。
(参考)〔バイスバロットの法則〕
台風中心は風を背に受けて、左少し前方の方向
潮汐、潮流、波
地球は太陽の、月は地球の回りを回っています。地球-月-太陽が一直線に並ぶと(実際には摩擦の関係で、満月・新月の2、3日後)大潮になります。
岸壁係留ではもやい索による首吊り、防舷材に船体がつかえて沈没などの実例があります。
瀬戸内海では「風に乗るより潮(流)に乗れ」と教えられました。鳴門、来島、開門海峡では10ノット近く、他の瀬戸や水道でも5ノット前後、広い水域でも2、3ノットの流速になることがあります。ワイ潮流域では流向が本流と逆向きになります。
潮目(境目)では浮流物が集まり易く、推進器障害や冷却水の目詰まりを生じかねません。
潮流と風向が逆になったり、川口で潮流と川の流れが逆になると三角波となります。
磯波、津波もそうですが、沖合では波長が長く静穏に見えても、水深が浅くなると波長が短く波高が高くなります。岸壁近くでは返し波で、複雑な波となります。係留に注意!
(参考)
潮流の方向:北流→南から北へ流れる
風の方向:北風→北から南へ吹く
視界
夜間は、昼間より距離感が働かないものです。近く見積もるべきでしょう。
都会の夜空はよく明るく見えます。
陸上の灯火が背景になって、灯台や他船の船灯を見落とすおそれもあります。
瀬戸内海では放射冷却のため朝霧となり、お昼前には晴れることがよくあります。
視界不良時にも、視達距離の半分の距離で停止し得る速力が絶対の必要条件でしょう(十分条件ではありませんので念のため)。
海図
登山に地図は必需品ですが、海上では海図が情報源になります。海図を眺めていると旅行気分を味わえますが、自分の船に合わせて水深の浅いところに赤マークをするなど、使いこなしたいものです。
(参考)I
緯度:赤道を0度とし、極点を90度として、中心から赤道とその地に引いた2本の線の角度で表します。
1海里:緯度1分の地球表面上の距離で、約1852 mです。従って、赤道から北極まで凡その距離は次式で表せます。
1852m×60×90(1度=60分、赤道〜北極=90度)約1万km
経度:イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線(北極〜南極を通る大円)をO度とし、東西に180度まで測る角度で表します。
時間と経度:24時間=360度、1時間=15度
(参考)II
1哩(ランドマイル):約1609mで古代ローマ人の2歩分の千倍の距離とのことです。古代ローマ人の足の長さがしのばれます。日本の丈、尺、寸も昔の日本人の体格から決まったものでしょうか。
(参考)III
日本の海図は、これまで日本測地系(天体観測基準)で表されてきましたが、これからは世界測地系(GPS測定基準)に変更されます。
GPS機器の規格と海図の測地系を一致させる必要があります。
天文航法
1 北極星の高度から緯度が判る。
※地球から北極星までは遠いので、O〜北極星、A〜北極星は平行線と月做せる。
(参考I)
地球上のA点での水平線と北極星の角度がA点の緯度となります。
2 太陽南中(真南、高度最大)のグリニッジ時刻が判ると経度が判る。
(参考II)
3 或る天体について、或る場所(仮定)での或る時刻の方角と高度は計算で判る。
実際の観測によって高度差(角度の分)が出ると、それがある場所から観測地点までの距離の差(海里単位)となる。
このように、海里という距離の単位は天体観測(角度)との深い関係があります。
航法
昔から3L(Look,Log,Lead)とよく言われています。
1 Look(見張り)
道を走る車の運転でも前後左右の見張りが必要です。道が無く、水面下にも(時には橋や架空線など上空にも)障害物のある海上ではなおのことです。
特にコースを変えるときは必ず変針側の安全を確かめる習慣付けをしたいものです。
2 Log(航程)
航海では自分の現在位置を知ることが大切です。位置は前回測定の位置からの時間、速力、方向及び風潮による圧流値から推測もできます。前回測定値から時間差が少ないほど誤差も少なくなります。
霧や夜にも備え、GPS以外にも位置を知り得るようにしておきたいものです。
3 Lead(測深)
航空と同じく、航海は3次元の空間の移動です。特に水面下は目視が困難です。
海図でよく確かめ、時には重りをつけたロープで実測が必要なこともあり得ます。
風潮による圧流や、走錨(錨が引けること)もあります。
シーアンカー
舶は停まっていても風に流されます。圧流中は船体の横方向から風を受け、横揺れが大きくなることがよくあります。浅いところでは錨を用いますが、深いところでもバケツに長いロープを付けて海中に垂らして圧流の抵抗とし、船体を風に立て、横揺れを抑え得ることがあります。
合図
遠く離れたお互いが意思を通じるのは難しいものです。
携帯電話、光、音、身振り手振りなど、夜や霧の場合も考えて、十分な準備と有効な使い方を工夫したいものです。
錯覚防止
危険が迫っているのに大丈夫と思い込んでいる……一番危険な状態です。見張不十分もその一つです。本人は大丈夫と思っているのでなかなか気付けません。
なるべく複数で行動し、お互い注意し合うチームワークが望ましいところです。
海上衝突予防法
海の基本的な航法ですが、操船者の判断に委ねられているものが多くあります。
また、基本的には2船間の関係で、最近のように第3、4、5…船と復そうしているところでは一層その度合いが増します。要は航法云々ではなく、衝突しないことが眼目で、余裕をもって航法上の関係をつくらないのが最も望ましいことです。
「君子危うきに近寄らず」。
暖気運転
北海道の小型さけ・ます漁船は、冬季海上凍結などのため、半年余り上架しています。春先になると幾百隻が一斉に海上に浮かびます。整備、試運転、積込みとあわただしく、エンジンメーカーも天手古舞。
操業許可証を手に入れると船に一目散、船は競争で漁場に一目散。
さけ・ますで満船になると重くなった船体をエンジン目一杯にして港へ一目散。
これの繰り返しのピストン操業です。
体力不足、トレーニング不足のエンジンが悲鳴をあげないわけがありません。
エンジンも生きものです。息があがらないよう、オーバーヒートしないよう、可愛がってやりましょう。海上ではエンジンも家族の一員です。
お願い
旅客船の乗組員はいつも乗客の生命を預かっているという重圧と闘っています。
直前横切り、接近並走、航走波でのサーフィンなど寿命の縮む思いがします。
お互い日本人の美徳といわれる思いやりで快適な航海を、そして何時までも泳げるきれいな海をと願っています。
(事務局 注)田中茂氏は、平成13年4月30日まで、瀬戸内海汽船(株)に顧問として勤務しておられました。