蘆綸
(七四八―八○○)字は允言。河中蒲県(山西省)の人で幼い頃は安禄山の乱をさけて

陽に住んでいたが、のちに都へ出て幾度も進士試験を受け、ようやく閔郷の尉となり、次いで検校戸部中から監察史になったが病気で辞し、郷里に帰っている。晩年徳宗に召され出発直前に没している。盧戸部詩集十巻三百四十首の詩が残っている。
顧況
(七二七―八一五)字は逋翁、蘇州の人で進士に合格して徳宗のとき秘書郎になったが、あまり昇進せず、晩年は家族とともに隠棲し、自ら華陽真逸と名乗って詩を作り、顧華陽集三巻、詩二百三十首を残している。
李益
(七四八―八二七)字は君虞といい姑蔵(甘粛省)の人。官につき侍御史、礼部尚書にまでなったが、疑い深い性格で妻や妾を非常にいじめたといわれるが、詩歌にはすぐれ、特に七言絶句が優秀で、李君虞集二巻百六十五首の詩が残っている。
耿

(七三四―七七三)字は洪源、河東(山西省)の人で官についたが左拾遺で終った。”大歴の十才子”の一人と称せられ、自然を良く表現した風格ある詩を作り、耿拾遺詩集一巻、百七十三首の詩が現存している。
張籍
(七六八―八三〇)字は文昌、和州鳥江(安徽省)の人で五十を越してから国子助教、秘書郎になり韓愈の推薦で国子博士になった。杜甫に傾倒して影響を受け、韓愈の門人になり、天下に名をなしたが晩年失明している。世を警告した詩が多く、重税や戦乱に苦しむ民衆の姿を良く描いている。張司業集八巻、詩四百五十首が残っている。故郷へ出す手紙に封をし、またその封を切るといういかにも情のこもった”秋思”という詩がある
「秋思」
(語釈) 家書・・・故郷の家へ出す手紙。??・・・あわてる。行人・・・使者。
(通釈) 洛陽城にも秋風が吹いて来た。故郷の家の者に送る手紙を書こうとすれば、心が千々に乱れて説きつくすことができない心地である。使いの者に投函させようとする前に、再び封を開いて書き足りない心をまた書き足す自分であるとしみじみとした気持を詠じている。
銭起
(七二二―七八○)字は仲文、呉興(浙江省)の人で官の方は翰林学士となっている。唐詩が盛唐から中唐へと転機する時の中心をなした”大歴十才子”の第一人者と称せられ、銭考功集十巻、五百三十二首の詩が残っている。”帰雁”がことのほかすぐれている。
「帰雁」
(語釈) 瀟湘・・・瀟江と湘江の二つの河。等間・・・いいかげんにすること。二十五絃・・・琴の一種。却飛・・・退却して飛ぶ。
(通釈) 雁よ、なぜこの美しい瀟江や湘江の地域をすてて、みすみす北へ向っていくのか。水はあくまでも碧く、岸辺の砂は白くかがやき両岸は苔むしているというのに。二十五絃の琴を月に向かってひくのを聞けば、その音色が余りに清らかで哀しい為に、たえかねて飛んでいってしまうのか・・・。