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剣詩舞の研究(特集) 現代リサイタルの展望(1) 石川健次郎
 毎月の「剣詩舞の研究」コーナーでは、「剣詩舞コンクール指定吟題」の作品研究を掲載してきましたが、平成十四年度分の課題曲は前月号で終了しました。そこで新年度(平成十五年度)の指定吟題が決まる迄は、今月から数回にわたり、現代剣詩舞界の舞台公演から、主にリサイタル形式の催しに注目して、その公演の内容を分析しながら、また主催者の貴重なご提言を伺わせて頂き、現在リサイタルの開催を思考されている方々や、また舞台構成に関心をお持ちの方のご参考になればと考えました。
 
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藤上南山氏
《作舞リサイタル・考》
 さて、今回はまず岡山県の藤上南山師にアドバイスをお願いしました。藤上南山師はご存知の方も多いと思いますが大変多才な実力者で、ご自身が企画構成した剣詩舞作品のその一部は「作詩」「作曲」「振付」を創作し、勿論ご自分も演舞し、そして門下生の演技指導や演出を手がけて来られました。
 そこで今回は、昨年(平成十三年)七月二十二日に倉敷市民会館大ホールで公演した「第27回藤上南山作舞リサイタル」のプログラムから話題を取上げさせて頂きました。プログラムのサブタイトルは「古今東西夢舞台」で、内容は第一部「ふるさとの歌暦(一)」[1]「円通寺と良寛さん」、[2]「ねんねん坂の子守唄」。第二部「もののふの歌」[3]「桶狭間を過ぐ」、[4]「阿倍野」、[5]「月下の陣」、[6]「もののふの歌」。第三部「花形見」[7]「吉野山懐古」、[8]「芳野」、[9]「ゆきくれて」、[10]「落城」、[11]「醍醐桜」。第四部「ふるさとの歌暦(二)」[12]「八浜七本槍」、[13]「貧乏神と福の神」。第五部「月影に」[14]「夜墨水を下る」、[15]「応制天の橋立」、[16]「武野の晴月」。第六部「母三題」[17]「冑山の歌」、[18]「母ありて」、[19]「小手鞠の歌」。第七部「まぼろし」[20]「紅葉狩」、[21]「藤戸の月」(フィナーレ)。以上の七部構成で21曲を約三時間で上演しました。
 
 〈石川〉  まず藤上南山師から今回の作舞リサイタルの基本的なねらいについて伺います。
 
 〈藤上〉  何と申しましてもご来場のお客様に「楽しんで頂く」ことが第一です。リサイタルとは独演会のことですが、私の場合は私の一人舞台ではなく、私の作った作品のリサイタルと云うことで、勿論私も出演しますが、多くの門下生(十歳位の小さな弟子さんから、上は七十代の方々)がそれぞれ手わけをして、プログラムの流れに沿って楽しい踊りを見せてくれればと思って居りました。
 
 〈石川〉  それでは今回の企画についてお聞かせ下さい。
 
 〈藤上〉  「古今東西夢舞台」と題した構成の内容は、岡山県はもとより、日本各地に点在する伝説や民話・詩歌を吟と歌と舞、更に詩舞劇で企画しました。
 私達の先祖が永い年月をかけ、血と汗と涙で綴った詩歌や伝説、又民話には尊い歴史が刻まれており、これらは現代の私達に様々な教えをなげかけています。四季おりおりに咲く花は人の心を和ませてくれますように、又、自然の摂理の不思議さに心のふるさとを甦らせてくれます。
 美しい日本のふるさとは、その自然と調和しながら、生きものを愛し、草花を賞で、人の哀しみに対しては共に涙し、人の喜びは心から賛辞を贈る、その様な大らかな愛のドラマの舞台創りを夢みて居りました。
 
 〈石川〉  それでは具体的な内容についてお話して下さい。まず第一部から[1]「円通寺と良寛さん」ですが、実に感心しました。よくも少女達十六人が集まりましたね、東京では考えられないことです。それによく揃った演技が見ごとでした。
 
 〈藤上〉  この作品の円通寺は倉敷市玉島にあり、良寛さんが二十年近く修行したお寺です。良寛さんは子供達と、毬をついて遊びながら手まり唄を聞かせたと伝えられています。私の流儀では子供向きの平易な作品を心がけて毎年創作して舞台にかけます。まだ漢詩ではむずかしい年頃ですが、こうしたリサイタルで大人の作品に混ざりながら次第に成長してくれます。子供達もローカル的な作品に興味を感じたのか、次々と集まってくれますので作品作りを続けてきました。とにかく、これも大切な芸能ですから、幹部の人達もよく指導してくれますし、子供達も負けずにがんばっています。
 
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円通寺の良寛像

 
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円通寺と良寛さん(絵コンテ)
《音楽制作・考》
 〈石川〉  一番のご苦労は何んでしょうか。
 
 〈藤上〉  音楽制作ですね。現代の剣詩舞のための「作詞」や「作曲」に協力してくれる人が欲しいと常に思っています。
 例えば「円通寺と良寛さん」の場合、既成の音楽はありませんから、ついつい私自身が子供の詩舞に相応しい様な作品を作ることになるのです。
 
 〈石川〉  ご苦労なことですが、然し大変すばらしい作品が次々と誕生するのだから結構なことだと思います。次の[2]「ねんねん坂の子守歌」もドラマ仕立ての内容で、ホロリとさせられました。
 ところで第二部「もののふの歌」では漢詩の吟詠による群舞が続々と登場しましたね。
 
 〈藤上〉  そうです、剣舞の最初の見せ場を考えて振り付けました。[3]「桶狭間を過ぐ」[4]「安倍野」の音楽は特に手を入れてませんが、[5]「月下の陣」では「九月十三夜陣中作」を、また[6]「もののふの歌」では「春日山懐古」をはさみ込んで、その前後は作品の雰囲気を盛上げるための歌曲を作詞作曲して、一般の方には口当りのよい音楽構成にしました。
 
 〈石川〉  そのネライは第五部「月影に」、第六部「母三題」にも共通していると思いますが、更に気がついたことを申しますと、この会に出演されている吟者の皆さんが大変熱演で、橋本光世、小林北鵬、河野鶴声、青木紫扇、田畑水姫、藤原光伶子、小宮晃世、和田彩楓、八代光晃子、山岡桜山、山岡珠山、高岡芳燿、宮野鶴誠、山城明洲、と作曲家の赤木守の皆さんの協力が、このリサイタルを成功させた一因だと思います。
《番組構成・考》
 ところで第四部の[13]「貧乏神と福の神」では岡山県に伝わる民話から「永年貧乏神が住みついた家に、福の神が来ることになり、嬉しいはずのご主人は、それでは貧乏神が可愛そうと、福は外と豆をまく」と云った喜劇化した創作詩舞劇で、貧乏神を藤上南山、福の神を田中恵山、ほかで抱腹絶倒の舞台を楽しませてくれました。また第七部の[20]「紅葉狩」は能や歌舞伎が原典で、美しくも恐しい鬼女達が紅葉の精であったとする幻想的な創作詩舞が圧巻でした。
 
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貧乏神と福の神(絵コンテ)
 
 そして最後[21]「藤戸の月」では、地元の藤戸に伝わるお話を歌で紹介しながらフィナーレの様式で全員が登場して幕になりました。
 さて、今回は藤上師とのインタービューを、電話やファックスなどで行いました関係で、振付のこと、稽古のこと、それに演舞者のことなどが取材出来ず残念でしたが、作舞リサイタルの全貌はおわかり頂けたものと思います。
 次回は又、別な形のリサイタルにご案内致します、ご期待下さい。








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