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吟剣詩舞の若人に聞く 第四十一回
大岡 史帆さん(二十五歳)
●愛知県岡崎市
(平成十三年度全国剣詩舞コンクール決勝大会剣舞青年の部優勝)
師(宗範)・・杉浦 英容さん
分家家元・・杉浦 容楓さん
(北辰神明流分家剣詩舞)
母の思いを知った、涙の優勝
 詩舞での優勝はあるものの、剣舞ではなかなかだった大岡史帆さん。ついに大輪の花を咲かせ、晴れの栄冠を手にしました。そんな彼女に、分家家元、師(宗範)と共に剣詩舞をはじめ、いろいろなお話をお聞きしました。
 
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大岡史帆さん
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インタビューに答える左より、杉浦容楓分家家元、大岡史帆さん、杉浦英容宗範
 

いつ頃から詩舞をしていますか?
大岡 「三歳の頃から母について詩舞を習っています」
お母さんも詩舞をしているのですか?
大岡 「はい」
容楓 「お母様も一般一部で全国優勝をしているのですよ」
習い始めた頃の史帆さんの印象はいかがでしたか?
容楓 「お父様は詩舞をしていませんでしたが、史帆ちゃんをひざに乗せてお稽古場に、毎週連れて来られたのが印象的でしたね」
どのようなお子さんでしたか?
容楓 「想像を絶する面白いお子さんで、とてもチャーミングな子でした(笑)。とにかく踊りは、小さなときから上手く、これは天性のものでしょう。それと、お母様が踊れると言うことで、お稽古で習ったことを次の週までにお母様ご自身が教え込んだようで、とても厳しく仕込まれているなと感じました」
英容先生はいつから教えているのですか?
英容 「いつからと言うことはなく、徐々に私が教えるようになりました。最初の印象は、年齢よりも小さく見える子でしたが、スケールの大きな舞をする子だなと思いました」
いつ頃から剣詩舞を本格的に意識するようになったの?
大岡 「全国大会のコンクールに出始めた頃から、気になり始めました。その前までは、どちらかと言うと遊び感覚でやっていましたね」(笑)
遊び感覚でも、お稽古は厳しかったでしょ?
大岡 「厳しかったです。毎回、泣いていました」(笑)
誰に泣かされたの?
大岡 「母ですね、とても怖かったです。母のことを昔は“鬼”と呼んでいました(大笑)。英容先生はとても優しかったです」(笑)
今日まで、壁にぶつかったことはありませんか?
大岡 「剣舞に変わってから、悩まされました。まず刀をどのように振るか、何もわからない状態で、基本を学ぶところから始めましたので、それは大変でした」
何もわからない人への指導とは?
英容 「刀自体、私も弱いので、力強い男性と一緒にお稽古させて、覚えてもらうようにしています。うちは皆で切磋琢磨するグループレッスンですから、良いと思った人の後ろについて、取れるものを取りなさいと指導しています」
大岡 「良いところがあれば、教えてくださいと、その人に近づいていきますね。実際、見ているだけではわかりませんから、休憩しているときなどに聞きに行きます。皆さん親切に教えてくれますよ」
コンクールで、初めて優勝したのは?
大岡 「幼年の部の詩舞でした」
何度かチャレンジしての優勝ですか?
大岡 「はい、初めの頃は幼年の部がなくて、少年の方と一緒にしていましたが、幼年の部ができて初めての優勝が私でした。それから少年の詩舞で優勝しました」
剣舞での優勝は初めてですか?
大岡 「ええ、初めてです」
剣舞と詩舞では、どちらが自分に向いている?
大岡 「踊っていて楽しいのは剣舞です。詩舞は自分の中で柔らかいと言うイメージがあって、剣舞だと自分を全部出せる感じがします」
 
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杉浦英容宗範より演技指導を受ける大岡史帆さん

題材ではどのようなものが好きですか?
大岡 「ドロドロとしたと言いますか(笑)、語りかけるような内容の物が好きです」
今回の吟題「那須与一宗高」を選んだのは誰ですか?
容楓 「宗範が史帆にはこれが良いのではと選びました。また、史帆に合うような振りだと感じました」
英容 「表現力のある子なので、今回の振りもドラマ的で、技術よりも芝居を見せると言う感じの仕立てになっており、男性に比べると剣さばきの強さや鋭さでは少し劣っているかもしれませんが、それをカバーするためにも芝居的にしたほうが良いと思い、そういう振り付けをしました。同じ題材で他のメンバーも出ていますが、その個人に合わせて、少しづつ振りが違っています」
容楓 「うちの流統は、それをやっております」
英容 「ある程度、振り付けはしますが、最終段階では個人の持っているものを出してあげたいし、負担になるような子にはその部分を差し替えることをしています。史帆の場合なら、表情が活きるように考慮しました」
表現力がつきだしたのは、いつ頃からですか?
英容 「小さい時からありましたね。年齢以上に表現力を持った子だと思います。ただ、これからは私から言われるのではなく、自分から表現を開拓できるようになって欲しいと思います」
今回はかなりのところまで行くと思われましたか?
英容 「剣舞も長いことしていますが、それまでは決勝にも出られませんで、去年から決勝に出られるようになり、今回は失敗がなく、力が出し切れれば、まずまずのところにはいけるだろうと思っていました」
出られなかった時と比べて、何か変わったの?
大岡 「私は自分一人でいるのが駄目で、一人で出番を待っているのがすごく怖くて、臆病になってしまいます。それが全国大会に行くようになってから、怖いことは怖いのですが、自分の中に強さも出てきたように思います。それが良い結果につながったのではないでしょうか」
何度も優勝している詩舞も同じではないですか?
大岡 「詩舞の時は母がついてくれますから」(笑)
優勝した時、お母様は何か言いましたか?
大岡 「すごく喜んでくれました。当日、母は都合で来られなくて、電話で連絡したのですが、初めて私の前で泣きまして、私も本当に嬉しく思いました」
“鬼”の目にも涙ですか?
大岡 「はい、そうですね」(笑)
同じ流派の中に競う人はいますか?
大岡 「ライバルと言うより、皆さんが自分の励みです。また、皆さんの踊りを見ていると、自分の踊りも見えてくるようになりますから、勉強にもなります」
史帆さんにとって剣詩舞とは何ですか?
大岡 「生き甲斐、夢、楽しみ、自分自身。剣詩舞をしているときの自分が好きですし、踊っていること自体が好きで、そうした全てが私にとっての剣詩舞ではないかと思います」
ほかの事に興味はありませんか?
大岡 「いろいろな事に興味はありますが、たぶん剣詩舞ほど奥深く入っていこうとは思わないでしょう。やはり剣詩舞が好きです」
何がそれほど魅力を感じさせるのですか?
大岡 「仲間です。自分一人では面白くないでしょうし、皆がいて楽しくやれる、仲間がいてこそ剣詩舞が面白くなっているのだと思います」
これからの目標などはありますか?
大岡 「技術の向上はもちろん、皆といろいろなことを経験し、小さい子供さんには剣詩舞って楽しいと言うことを、一緒になって教え感じていきたいです」
若い人たちに剣詩舞の魅力を一言で言うなら?
大岡 「まず見てください、と言います。口だけでは伝わらないことも、見ればわかることがありますから」
史帆さんヘアドバイスなどがありましたらお願いします。
容楓 「舞一筋できたご家庭ですから、踊りが上手になるだけではなく、剣詩舞で培ってきたいろいろなものを今後の生活に活かしながら、踊りをしてきたから辛いこともがんばれる、そんな生活を切り開いて欲しいです」
英容 「舞そのものは順調にきていますが、これから人生の節目でいろいろなことも迎えるでしょう。その節目節目をクリアしながら、上手に剣詩舞と付き合っていって欲しいと思います」
最後に史帆さんご自身の抱負をどうぞ?
大岡 「いま自分の生活で精一杯のため、先生方に迷惑をかけていますが、これからも何かと迷惑をかけることがあると思いますが、ずっと見守っていて欲しいです」
本日はありがとうございました。今後のご活躍をお祈りしております。








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